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上町台地の高低差を歩く・八軒家浜

2013年03月11日 07:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
19. 八軒家浜周辺を歩く

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上町台地の北西端になります。茶色い部分が標高が高い場所。松屋町筋に向かってなだらかに低くなっているのがわかりますね。

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地図と重ねるとこのようになる。

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八軒家浜です。前を流れる大川は、仁徳天皇が開削したと古事記や日本書紀に書かれている難波の堀江だといわれています。近くの高麗橋付近に難波津と呼ばれる港があったという説もありますね。

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八軒家浜は江戸時代に京都と大阪を結ぶ三十石船が発着する船着場として賑わいました。

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江戸時代、天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が八軒家と呼ばれた。八軒家には京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があり、淀川における貨客輸送のターミナルであった。道沿いには旅籠や問屋が並び、船着場は旅人や運送にかかわる人々、客を呼び込む人たちの喧騒に包まれていた。そのようすは落語『三十石』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にいきいきと描かれている。
この地域は八軒家と呼ばれる以前には渡辺と呼ばれ、渡辺津を中心に平安時代から瀬戸内と淀川を結ぶ水上交通の拠点として栄えた。また、熊野三山への参詣道である熊野街道の拠点でもあり、交通の要衝として古くから賑わいをみせるところであった。現在も船着場が整備され、「みち」と「かわ」を繋ぐ、水の都大阪の拠点として、賑わいをみせている。

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江戸時代、八軒家には三十石船をはじめ野崎詣・金毘羅参などのさまざまな船が発着し、淀川流域の船着場として随一の賑わいを見せた。船着場には、京街道でもあった浜通から川岸にかけて、石の階段「雁木」が築かれ、物資の積み下ろしや人の乗り降りに便利な工夫がされていた。
三十石船は八軒家と京・伏見の間、十一里余(約45km)を上り一日、下り半日で運航し、江戸時代を通して貨客輸送の中心を占めた。明治三年(1870年)に蒸気汽船が就航すると三十石船は衰退し、明治四三年(1910年)に京阪電気鉄道が天満橋-京都五条間に開通して、八軒家は淀川の貨客輸送のターミナルの役目を終えた。
しかし、現在、水の都大阪再生の核となる取り組みとして、水上交通の拠点となる船着場が八軒家に完成し、往時の賑やかな水上ターミナルの役目は、現代にも引き継がれている。

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こちらには渡辺津の碑。

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渡辺津から世界遺産熊野古道へ
平安時代後期(12世紀頃)から熊野参詣が盛んになった。
白河上皇や鳥羽上皇は鳥羽離宮(現在の京都市城南宮あたり)で身を清め道中の無事を祈願した後、京を出立。淀川を舟で下って渡辺津(現在の天神橋あたり)で上陸し、熊野街道を通って熊野三山(和歌山県)へ、往復1ヶ月ほどかけて参詣した。
熊野本宮・新宮・那智のいわゆる熊野三山への路は右図のように、メインルートの中辺路のほか、大辺路・小辺路・伊勢路があり、峠越えの古道を中心に、2004年世界遺産に登録されている。
江戸時代以降このあたりは八軒家浜と呼ばれている。

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ここには小楠公義戦之跡碑もあります。

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小楠公義戦之跡碑
大阪は今と昔と地勢が全く変つて居り昔はこの大川の幅も広く橋が唯一つ架ってありました其位置は判然としてはいませぬが今の天満と天神の二つの橋の中程だろうと言われていますこれを渡邉橋又は大江橋といいましたこの渡邉橋は楠公父子の戦蹟であります大楠公は元弘二年に北條方の兵をここで敗られました小楠公は後村上天皇の正平二年瓜生野の戦に足利の將山名時氏細川顕氏を敗り逃げる敵を此川邉に追いつめられ敵は我先きと橋を争い川に落ちて流されるもの五百人をこえました公は部下に命じて之を救はせ其上十一月二十六日の寒天に凍えふるへて居るのを衣食を与へ薬を給して京へ帰されました公は翌年正月五日に四條畷で戦死せられましたがこの時の恩に感じて帰順した兵ともも皆討死をしたのでありました公は忠孝を雨つながら全うししかもかく勇気と仁愛とを備へられたこれこそ日本精神の化身というべきであります我等は天や地や山や川はいつまでも変らぬものと思うて居ますがこの天地山川も昔のままではなく常時の橋も岸も皆変って居り其功を立てた小楠公も再び見ることはできませぬただ公の敵をも愛しまれたこのゆかしい心のみはいつまでも我が士道の華として我等の心をうごかし更に欧米の人をも感じさせてために我国が赤十字社に加盟することを容易ならしめたのであります今や皇紀二千六百年にあい窮りなき皇運を仰ぎまたこの碑に向ひ公の此心を念う時我等もまた正しく大きい心を修めてこの精華を培うことを勉めようではありませぬか(※旧漢字は現代漢字に、カタカナはひらがなにしています) 


ここまですべて読まれた方はもうお腹いっぱいだと思います ^^
このエリアは、それだけ一言では語りきれないもっとも重要な要所のひとつなのです。   

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さて、谷町筋と土佐堀通りが交わる天満橋交差点です。

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上町台地の北端の傾斜。

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天満橋は2階建ての橋です。

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この西側の道路がもっこりと「コブチケイ(こぶ地形)」になっている。

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東側には大阪城がそびえている。
上町台地で一番標高が高い場所に建っています。

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谷町筋から西側に入った土佐堀通り沿いの駐車場です。
マンション下の石積みがかなりいい。

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石積みの西側にある石段です。

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上町台地の北端の傾斜。

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途中に踊り場的な場所がある。
何だろう?

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左右に一カ所ずつある。
この石段が出来た当時は横に建物の入口があったのでしょうか。

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上から見た所。

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この石段も上町台地を表す象徴的な場所かもしれませんね。

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石段の西側にある坂道です。

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ここも「コブチケイ」のようにもっこりしている。

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ここは熊野街道(御祓筋)。

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この辺りが熊野街道の起点です。

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傾斜角度はこの程度。
マンションと公園の壁の隙間に石積みが見える。

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上から見たところ。

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少し下がると斜面がなくなる。

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反対側はさらに少し傾斜している。

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西側は松屋町筋に向かって下がっています。

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少し下りた所に坐摩神社行宮(いかすりじんじゃあんぐう)がある。

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熊野街道の陸の出発点、九十九王子の第一社、窪津王子(渡辺王子)跡とされる場所です。

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元あった坐摩神社は広大な敷地を有していたようですが、

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天正11年(1583)、豊臣秀吉が大阪城築城の際に現在の久太郎町4丁目に移転させられました。

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この地は神功皇后が新羅より御帰還の折、御休息されたといいます。

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御休息されたという石がこのステンレスの囲いの中にある。この地が石町(こくまち)と称するのもこの石があるかららしい。

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さて、熊野街道のひとつ西側の筋(骨屋町筋)です。

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信号の所がもこっとしている。

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ゆるいこぶ地形「ゆるこぶ」です。

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再び熊野街道です。南北にまっすぐ平坦な道が続いています。

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西側の傾斜。下の道路は松屋町筋です。

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ゆるやかな傾斜。

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何やら不思議な形の構造物が。

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ここには釣鐘がある。これ、決まった時間に勝手に突き出します。
この釣鐘は明治3年に撤去された後、大阪府庁舎屋上に保存されていましたが、昭和60年にこの地に戻りました。

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ここに釣鐘屋敷があったらしい。町名の釣鐘町もこれによります。

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この辺りは通り毎に同じような傾斜になっています。

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こちらもほぼ同じ。

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ゆるやかな坂道。

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このゆるやかな傾斜がこのエリアの特徴。

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明らかに人工的に整地された傾斜ですが、一番高い場所と低い場所との高低差は昔とあまり変わっていないかもしれない。


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【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
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2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
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7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
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10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

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上町台地の高低差を歩く・大阪城

2013年03月02日 17:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
18. 大阪城周辺を歩く

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大阪城の高低差地図です。
ここは上町台地の北端、本丸の標高が一番高く、その北側が崖のように低くなっている。

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大阪城周辺には、難波宮や法円坂遺跡、大阪府庁舎など、重要な施設が集中していることがわかる。

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谷町4丁目から歩いていきます。あのビルはNHKです。

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途中にある大きな楠。石積み部分もゆるやかに傾斜している。

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何やら石碑がたくさん。

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ここは大阪府の史跡で舎密局(せいみきょく)跡。舎密とは、オランダ語で化学の意味で、舎密局とは政府が創設した物理化学の学校です。その後、名称、場所を変えて現在の京都大学教養学部に繋がっているのだそうです。

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この像は K.W.ハラタマ博士。

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明治二年(一八六九)五月大阪府によりオランダ人化学者クーンラート・ウォルテル・ハラタマを教頭とする舎密局(せいみきょく)がここから二百メートル北の大手前通一帯に開設された。舎密とは化学の意である。舎密局は明治時代のわが国で最初に開かれた理化学校でハラタマによりこの国の近代化に必須の自然科学の教育が行なわれた。日本の初期の化学研究の多くはこの舎密局に端を発している。舎密局はその後、理学校と改称され、明治五年に閉校されてその任を終えたが、その流れから京都舎密局、大阪司薬場、第三高等学校が生まれた。日蘭交流四百年を記念して、ここに日本の化学の父ハラタマ博士の像を遺し、その功を永世に伝えたい。

さて、
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NHKと大阪歴史博物館がある敷地に復元された高床式倉庫。敷地全体がまさに法円坂遺跡で、5世紀後半、ここに大型高床建物が16棟以上も建ち並ぶ巨大倉庫群であったそうです。

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この近くには、難波津があったと推測されますので、貿易の際の物資を貯蔵していた貯蔵庫という説もあるようです。

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その近くにある大阪府庁舎。この重厚な建物は大正15年(1926)に竣工しています。

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大阪府の庁舎としてあるべき場所にある建物かもしれませんね。

この地形図は国土地理院の数値地図5mメッシュ(標高)をカシミール3Dで制作している。
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ところで、上町台地の先端部は大阪城のイメージが強いですが、その前の時代はどういう場所だったのでしょう。

應永丁酉大阪地圖(難波津之図)」の部分です。上が東。
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この古地図は応永24年(1417)に描かれたものを寛政11年(1799)に書写したものです。こういう古地図は想像やイメージで描かれることもあるのですべて正しいと判断するのは危険なのですが、地形図として見ると興味深い部分が多数あります。

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2つの地図を重ねてみました。鵲森、玉作村、熊野一ノ辺王子を現在も存在する鵲森宮、玉造稲荷神社、坐摩神社行宮の場所と想定して位置合わせの目印にしてみました。石山御坊や生玉(王)社、小坂(おさか)村等の位置関係がとても興味深い。

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石山御坊のまわりに崖が描かれているのがとても興味深い。元の地形が想像できます。ちなみに地図下部に描かれている東西に流れる堀は架空の堀だと思われます。

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石山御坊、生玉社、小坂村などの位置関係が興味深い。

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修道館横にある石山本願寺地推定地の碑。
ただ、石山本願寺の正確な場所は確認されていません。

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石山本願寺は石山城とか石山本願寺城などと呼ばれるほど防備を固めていたようで、摂州第一の城だったといわれています。

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梅林の南側にある蓮如自筆とされる六字名号碑。

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蓮如は「大坂」という地名の名付け親であるともいわれています。

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名号碑の裏にこんな場所がある。

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蓮如上人袈裟懸の松。
古地図にも蓮如松が描かれていますが同じ物なのかな。

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現在は根っこの一部しか残っていません。

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ここは大手前芝生広場の隅にある生国魂神社お旅所跡。

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古地図にも生玉(王)社が描かれています。この土地自体が摂州東成郡生玉之庄という地名だったようですね。

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さて、大阪城内の地形に目を向けてみましょう。左は本丸、右が梅林のある坂道です。

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この坂道、上町台地の断面を見ているようですね。

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東側の低地には梅林があり、南側は崖になっています。築城前からある高低差を利用して斜面を削り石垣が作られたのかもしれません。

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ちなみにこの坂道は

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雁木坂というようです。

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昔は長い石段だったようですね。

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崖は直角に曲がり南北に続いていますが、こんな階段(B)がある。

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かなりの高低差。ここも自然の地形を削って作られた斜面かもしれない。

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音楽堂横にある階段(A)。

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ここもかなりの高低差です。

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再び雁木坂横の空堀です。この堀の形状も自然の地形を利用して出来ているような気がします。

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本丸の北東角です。豊臣時代の天守はこちら側にありました。

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徳川時代に石垣をかなり拡張していますが、石山本願寺が出来る前から上町台地の崖がこの辺りまであったのではないでしょうか。

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極楽橋の西側です。

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石垣を剥がし、盛り土を除けば元の上町台地がそこにあるはず。ここがおそらく上町台地の北の端です。

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上町台地の丘が緩やかに傾斜しているようにも見える。

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石垣の内側にある台地の姿をイメージするのが面白い。

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ここは南外壕。生駒山がきれいに見えました。

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北外壕です。

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この辺りは築城当時から低地だったと思われます。壕を掘る際に出る土を土塁にし石垣で覆ったのでしょう。

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外堀越しに見た本丸。標高の高さがよくわかります。
縄文時代のこの場所は、海に突き出た岬の先端で、縄文人の聖地だったのかもしれません。また、石山本願寺が出来る前の時代には古墳があったのかもしれない。大阪城をそんな地形の視点で見るととても面白い場所だと思います。



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上町台地の高低差を歩く・玉造稲荷神社・鵲森宮

2013年02月24日 13:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
17. 玉造・森之宮周辺

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玉造稲荷神社周辺です。玉造稲荷神社と三光神社の間は谷になっていて、その谷沿いを長堀通りが東西に走っています。

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長堀通り沿いに岬のように隆起した場所がある。ちょうど大阪女学院がある辺りです。

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長堀通りです。

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その北側に階段がある。

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こっちはもっと高くて間口が広い。

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ここは車が通れる急勾配の坂道。

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車からは下が見えないかも。

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この丘の西側は谷のように窪んでいるが、この微妙な高低差も上町台地らしい地形かもしれない。

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玉造稲荷神社の南側です。木の袂に小さな祠がある。白光大神が祀られていました。

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立派な木ですね。葉を付けた時期にまた来てみたい。

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玉造稲荷神社の南の参道です。正面に拝殿が見える。

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「玉作岡」とは何だろう?

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「古代には玉作岡として玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。」とある。

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東側にまわってみました。

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側面は高低差のある石積み。

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こちらの参道からお参りしましょうか。

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石畳の継ぎ目をセメントで段にしている。

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側面に小さな石段。

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境内に上がってまず目を引くのがこれ。
難波玉造資料館と豊臣秀頼公像。

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立派な碑があるが、資料館に入るには事前に申し込みが必要らしい。

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「上町台地東端、難波の高台に位するこの神社一帯は古代、AD5世紀(推定4世紀)頃、大和朝廷に所属する玉造部〈たまつくりべ〉(三種の神器の玉類などを製作)の居住地であったと伝えられています。当時の朝鮮(韓)半島との曲玉〈まがたま〉文化の交流地であり、また中国大陸との交流要地として、大阪で最も早くから栄えた地でもありました。また神社周辺には難波宮跡、森の宮遺跡などの古代遺跡が厳然として今日に残っております。此の度、社伝による創祀2000年祭奉祝記念として、玉作り資料を公開すると共に後世に語り継ぐ主旨のもと、多くの方々のご協力を得て建設されました。 昭和61年(1986)秋」

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この地は豊臣秀頼公ゆかりの地でもあります。

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秀頼公胞衣塚(ひでよりよなづか)大明神が祀られている。

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詳しくはこちらを。

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玉造稲荷神社拝殿です。

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ご由緒。

創祀は垂仁天皇十八年秋(紀元前十二年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(厩戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ建立されたと伝わっています。一方、近世に至っては豊臣家が大阪城の鎮守神として祀り、その後、徳川の世に入っても大阪城代着任の際、当神社に参拝し家紋の提灯を奉納する等その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。平成元年(西暦一九八九年)には「創祀二千年祭」を挙行しました。

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こちらは伊勢参りの起点にもなっています。そういえば今年は20年に一度の式年遷宮の年ですね。行かなくっちゃ。

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一瞬どきっとしてしまう鳥居。

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これは豊臣秀頼公が慶長8年(1603)に奉納したとされる鳥居です。

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平成7年1月17日の阪神淡路大震災により基礎が損傷しこのように保存されています。

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さて、再び高低差を探しに森之宮方面へ。

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傾斜がクロスしている場所。東西に傾斜しながらこの先は下りになる。

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傾斜を見上げたところ。

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さらに下から見たところ。上町台地らしい傾斜角だ。

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こちらもほぼ同じ角度ですね。傾斜角度を測りたい…

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上からみた高低差曲線。

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遥か向こうまで緩やかに傾斜している。

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日生球場跡です。

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ここも緩やかに傾斜している。

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隣にある黄色い建物は森ノ宮ピロティホール。

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この場所は森ノ宮遺跡としても有名ですね。
縄文・弥生時代の遺跡等を保存するために、ピロティ方式(高床式)を採用した建物です。

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縄文人の骨なども展示室にあるそうです。
アースダイバー的にいうと大阪アボリジニの骨です。

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公開時期が限定されているので私もまだ見たことがありません。ぜひ見てみたい。

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森ノ宮ピロティホールの近くに赤い鳥居がある。

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鵲森宮(かささぎもりのみや)の裏参道になります。

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こちらが正面。「旧名鵲社 森之宮」とある。通称森之宮神社です。

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創建は崇峻天皇二年(589)、四天王寺の創建より古いです。

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境内の隅に亀井水碑がある。四天王寺の亀井の水と関係があるのだろうか。

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社務所の外に貼ってあった猫間川堀浚絵図です。
中央に玉造豊津稲荷社、左端に鵲森宮が描かれている。
猫間川の土手にたくさん描かれている桜が印象的ですね。


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【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

(関連記事)
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アースダイビング in 上町台地2010.04.11
アースダイビング in 大阪城2010.04.30
アースダイビング in 生國魂神社2009.04.16
アースダイバー in 大阪2009.04.12


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