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さよなら千日前・竹林寺

2009年02月09日 07:00

さよなら千日前・竹林寺

千日前という名前の由来は、古くより千日回向を続けていた法善寺竹林寺千日寺と称するようになり、その千日寺の前ということで千日前と呼ぶようになったといわれています。

その竹林寺が移転するそうです。

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ここは戎橋。右側の空き地はキリンプラザがあった場所ですが、それが出来る前は戎橋劇場という名画座でした。高校時代に二本立ての映画をここまで見に来たことをよく覚えています。

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ここは大阪松竹座です。なんかすごい人ですね。

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今は「二月花形歌舞伎」が公演中です。とにかくすごい人気ぶり。出演者を見れば納得ですね。市川亀治郎、片岡愛之助、中村獅童、中村勘太郎、中村七之助、市川男女蔵、中村亀鶴と歌舞伎をあまり知らない私でもお名前だけは知ってます。

『大阪松竹座 二月花形歌舞伎 製作発表』 歌舞伎美人

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で、法善寺横丁をうろうろしながら

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細い横道に入っていくと、

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水掛不動さんが見えてきました。

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そういえば石造が倒されるという事件がありましたね。なさけない…。

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法善寺を後に、先を急いで竹林寺の前を横切ろうとした時に、張り紙を見つけました。

なんだろう?

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えっ!移転!

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知らんかった…

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南OSビルの一部も竹林寺でした。このビルも取り壊されて、再開発が行われるそうです。

P1040841.jpg
こんな歴史のあるお寺が移転するとはちょっとビックリ。これも時代の流れなのかな…。


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千日墓地

2008年10月27日 00:05

大坂七墓巡り 千日墓地篇

千日墓地の歴史は古く、大阪落城の時代にさかのぼります。落城後最初の城代として松平忠明(ただあき)が赴任します。忠明は市街整理のひとつとして寺院と墓地の移転廃合を行いました。市中に点在している寺院を小橋村と高津村、天満村に集め、墓地は千日、小橋村、葭原村、濱村、梅田村へ移したのです。特に千日は刑場も置かれ一般の人を遠ざける場所になりました。

ところが明治維新の大変革で、明治3年に刑場が廃止、千日墓地の焼き場と墓地は阿倍野墓地へ移転されることになります。この移転後、千日墓地に広い土地が生まれ、後に大興行街に変貌していくことになります。

1872_006.jpg
「大阪市中地區甼名改正繪圖(日文研)」より
中央に千日墓とあり、その右上に刑バ(刑場)が書かれています。上に竹林寺、法善寺も確認できます。

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明治18年測量の地図です。
法善寺、竹林寺の右下辺りに墓地があったようです。中央に「慈安寺」が見えますが、「大阪市中地區甼名改正繪圖」の刑バの東にある「自安寺」です。
明治18年頃、この地には見世物小屋がたくさん出来ています。ただし、まともな建物ではなかったのでしょう。地図には建物らしきものが表記されていません。

sennichi_002.jpg
昭和6年発行の『上方(10号)』に「摂州西成郡難波領千日墓所」の絵図がありました。

※↓画像内の「西墓地」と「東墓地」の表記が逆になっています。自安寺側が「東墓地」、竹林寺側が「西墓地」です。失礼しました!
sennichi_003.jpg
どんな場所だったか拡大で見ていきましょう。
入口の黒門は竹林寺の土塀と自安寺の塀に挟まれた場所にあります。黒門を入ってすぐ左に刑場があります。時代劇で見る獄門台が見えます。しかし後年、千日の刑場はあまり使われなくなっていたようです。少し歩くと両側に墓地があり、奥に迎い佛があります。

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迎い佛の先に無常の橋があり、左に「六坊」という寺があります。その外壁に六地蔵が見えます。六坊の斜め前に大きな榎の大木でしょうか。榎神社があります。一番奥に焼き場と祭場があり、東奥に灰山がありました。灰山とは焼かれた人骨がうづ高く積み上げられた場所です。この灰山の処分で財を成した老婆の話があったりしますが、それはまた今度。

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「上方(10号)」より
黒門の写真です。奥の左側が刑場ですが、高い塀で囲われていたのですね。撮影時期は不明ですが明治維新前後だと思います。黒門の所に笠をかぶった人が座っているようです。何をしているのでしょう。

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「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
六坊の外壁にある六地蔵の写真です。この六地蔵は墓地が整理された時に外国人に買われたそうです。今はどこにあるのでしょうか。奥に大きな木が見えます。榎の大木でしょうか。ということは木の袂に榎神社があるのでしょう。

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「上方(10号)」より
葬儀場(祭場)の写真です。北方面を見ている写真のようです。この葬儀場で儀式が済むと、すぐ裏にある焼き場へ運ばれます。

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おおよその位置関係を入れてみました。どうも自安寺の場所がわかりにくいです。この時代はかなり縮小しているのではないかと想像しています。刑場の上の土地も自安寺だったのではないでしょうか。

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現在の地図と場所と重ね合わせてみると…

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こうなります。赤い目印は榎神社があったであろう場所です。
「Googleマップ」より

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現在も同じ場所に地蔵尊が残っていました。

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自安寺の場所には三津寺墓地があります。松林庵となっていますね。絵図の中の西墓地の北側(七)の墓地は松林庵墓地と記されていました。

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かなり古そうな墓石があります。

P1040793.jpg
奥に無縁塚がありました。

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竹林寺です。この寺は法善寺と共に千日回向を続けていたので千日寺とも呼ばれていました。

P1050501.jpg
千日寺の前の道なので千日前と呼ぶようになったのですね。 …ということが一般的に言われていますが、千日墓地内にあった六坊こと千日山安養寺(※安樂寺とも書かれていた)の前だからという説もあります。

この商店街を北に行くとすぐに道頓堀です。途中に法善寺があります。

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法善寺横丁の入口です。この奥に、

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水掛不動さんと金比羅さんがあります。いつもお参りの人でいっぱいですね。


(おまけ)
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千日墓地にあった迎え佛が移転先の阿倍野墓地に残っていました。

P1050640.jpg
左側の迎え佛と

P1050641.jpg
右側の迎え佛です。


(追記)
jianji.jpg
自安寺の夜店「明治大正図誌」より
自安寺は「千日前の妙見さん」の名前で親しまれ、とくに「夜店」は「大阪の三夜店」の一つに数えられ、昭和初期まで続いていたそうです。千日墓地の入口は以外と賑やかな場所だったようですね。

夜店ではないですが、朝からお参りで賑わう自安寺が「浪花百景」に描かれていました。
『自安寺妙見宮朝参の図(初代 長谷川貞信)』
http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/kakudai.php?ID=191&partsid=0



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大坂七墓巡り2

2008年10月24日 07:30

大坂七墓巡り(蒲生・小橋・鳶田)

大坂七墓巡り(梅田・南浜・葭原)の続きです。私は明治18年に測量された地図を多用しますが、各墓地の場所を特定するのあたり、今回もたいへん重宝しました。

『蒲生(がもう)墓地』
1872_004.jpg
「大阪市中地區甼名改正繪圖(日文研)」より
蒲生墓地の部分アップです。鯰江川沿いにありました。

gamobo_001.jpg
明治18年の測量地図です。墓地の北側も水路があって、水辺に挟まれた場所だったようです。

gamobo_002.jpg
現在の地図と重ね合わすと…

gamobo_003.jpg
現在と同じ場所ですね。

P1040867.jpg
この場所も歴史的に貴重な所です。ずっと残って欲しいですね。



『小橋(おばせ)墓地』
1872_005.jpg
「大阪市中地區甼名改正繪圖(日文研)」より
小橋墓地の部分アップです。東側に大きな味原池があります。浪花百景にも描かれている梅で有名だった場所です。
『産湯味原池』
http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/kakudai.php?ID=25&partsid=0


obabo_001.jpg
明治18年測量の地図です。墓の記号がありません。整理された後のようです。上の「大阪市中地區甼名改正繪圖」と照らし合わすと、場所がほぼ特定できます。無量寺、傳光寺、宗円寺との位置関係で見てもこの場所のようです。

obabo_002.jpg
現在の地図と重ね合わすと…

obabo_003.jpg
東高津公園という公園になっていました。位置は近鉄上本町駅の北側になります。

P1050463.jpg
敷地は北側が丘陵地になっています。丘の上から味原池は見下ろす感じだったのではないでしょうか。

P1050456.jpg
公園内に延命地蔵尊がありました。小橋墓地の時代からあった地蔵尊でしょうか。


『鳶田(飛田)墓地』
1872_007.jpg
鳶田(とびた)墓と刑場(けいじょう)の文字が確認できます。

tobitabo_001.jpg
位置は左下辺りです。昔は相当広い墓地であったそうですが、明治6~7年頃に整備され、明治18年の地図を見る限りかなり狭くなっているようです。

tobitabo_002.jpg
現在の地図と重ね合わすと…

tobitabo_003.jpg
この辺り。動物園前駅の上ですね。

P1040973.jpg
現在、この地には飛田墓地の供養のためにあったといわれる太子地蔵尊があります。

P1040975.jpg
右の地蔵尊はお顔がなくなっていました。通りすがりのおっちゃんが「誰かがとりよったんや」と嘆いていました。

(追記)この地は現在更地になっているようです。
どちらに移転したのでしょうか?



大きな地図で見る


(追記)
P1110061.jpg
kotaroさんのコメントで古い石の欄干が残っていると聞いていましたが、近くに行った時に見つけました。左の車が通っている道路が鯰江川跡です。そこに架かっていた橋の親柱です。「がまう…」ときざまれているのでしょうか。ただこの場所、道路拡張に引っかかっている場所のようです。近い内になくなっちゃうかも…


(追記)
gamoubashi.jpg
大正14年の地図です。マルで囲んだ場所が蒲生橋。赤い点線は道路の拡張予定路線です。やはり「蒲生橋」跡でした。


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