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初代大阪駅の場所

2008年03月03日 00:49

初代大阪駅の場所

初代大阪駅の駅舎が建てられた場所は、
墓地を取り払った跡地につくられたと言われています。
駅舎の場所も現在の大阪駅から西にずれていました。
昔の地図を見ながらそのあたりを検証してみたいと思います。

大阪駅広域
明治18年の広域地図です。
初代大阪駅が開業したのは明治7年5月、
当時はまだ淀川ができていませんでした。
淀川の改修工事が完了したのは明治43年です。
それまでは大阪の中心地と十三は地続きでした。
その間には広大な田園地帯が広がり、
春にはあたり一面菜の花が咲き乱れていたといいます。

初代大阪駅03
「浪速写真館」より
初代大阪駅駅舎です。
駅前広場の庭園が写っている珍しい写真です。
駅舎前に人力車がたくさん並んでいます。

初代大阪駅04
「なにわ今昔」より
大八車が時代を感じさせます。
構内の時刻表の下にこんな心得が記されていました。
「乗車せんと欲する者は十分前に来たり、
賃金の定数を過不足なきよう自ら用意、切手(切符)買入れるべし」。
なんと横柄な態度なんでしょうか。
当時は乗せてやるという感じだったようですね。

1890_osaka.jpg
明治18年の地図です。
梅田停車場の北側は田園です。
南側も一部が田んぼでした。北側の緑色の地域は墓地です。
ここが梅田三昧といわれていた墓地の一部だと思われます。
梅田停車場正面のくねくねした道は駅ができる前からあった旧道のようです。
赤い部分だけ現在もかろうじて残っています。

2008_osaka.jpg
現在の地図(Googleマップより)
初代駅舎の場所は大阪中央郵便局の西裏辺りでした。
四ツ橋筋が当時のメインストリートだったことがよくわかります。
赤い旧道の場所は今も残っています。
墓地の下の赤い印の所に興味深いものが残っていました。

P1060070.jpg
現在の旧道です。明治時代は水路沿いの道でした。

P1060085.jpg
赤い印の場所です。線路沿いに樹が茂っています。

P1060038.jpg
その下に地蔵尊と供養塔がありました。
この供養塔は昭和58年に建てられています。
なんでもこの辺りを掘り起こした時に多数の骨がでてきたようで、
それを供養するためだそうです。地蔵尊はいつからあるのでしょう。

P1060001.jpg
池もあるんです。魚はいませんでした。
自然が残る不思議な場所です。

P1060007.jpg
その裏手に墓石がありました。工事の時に掘り出されたものでしょう。
無縁仏ですが、お地蔵さんに造花が供えてありました。

P1060009.jpg
向かいの建物の裏にも地蔵尊がありました。
中をのぞいてみたら、新しい花が供えられていました。


(関連記事)
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コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    お地蔵さん

    こんなところにもお地蔵さんが折られ 花を供える人がいる
    なんだかほっとしますね
    この近くは今開発の真っ最中
    どうなるのでしょうね 

    ここは 大阪駅裏から 朝日放送のほうに行くバスに乗ると通る踏み切りの近くですね
    この線路は引込み線ですか?

    ありがとうございました

  2. 新之介 | URL | -

    大阪駅の地蔵尊

    TOSSY様

    あんなところにお地蔵さんがあったのは発見でした。
    もう少し、この地域の歴史を調べれば
    なぜあそこにあるのかがわかるかもしれません。
    大阪駅に西側の阪神高速の出入り口の所にも地蔵尊があります。最近、場所を少しだけ移動していました。

    あの線路は関空方面に行く「はるか」などが走っている線路です。新大阪から大阪駅を通過せずに行ける路線ですね。それぐらいしかわかりません(笑)


  3. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    大阪駅の西方には碑や祠などいろいろあるなあ、と以前から思ってましたが、こういうことだったのですね。
    北側の駅前広場整備やコンテナヤードの再開発により、遠くない将来には様変わりすることと思いますので、今のうちに記録を残して置くことは大事だと思います。
    この線路は以前は吹田から桜島に向かう貨物列車が通っていたようですけど、今は関空特急専用線みたいになっていますね。
    子供の頃、梅田操車場にはまだ蒸気機関車が入って来ていて、中津の阪急高架下を煙を噴き上げながら通過していた光景をよく覚えています。

    ※最近仕事がとても忙しいこと、パソコンを置いてある部屋が二人の子供の勉強に使われていること、図書館で借りてきた測量関係の本を読んでいること(昔の測量技術に興味を持っています)などで、ほとんどパソコンを立ち上げる時間がありません...。

  4. 新之介 | URL | -

    昔の測量技術

    ゆきひろ様

    パソコンを置いてある部屋がお子様の勉強部屋に
    なろうとしているのですね。
    おそらく私もそうなる日が来ると思います。
    お気持ちはわかるような気がします(笑)。

    昔の測量技術とは面白そうなジャンルですね。
    少し違うかもしれませんが、
    私の場合は古い地図に関心があって、
    それを時代の移り変わりの順番に重ね合わせたりしています。
    特に明治18年に測量された地図はよく利用しています。
    現在の地図のと位置がピターッと重なったときは感動です。
    少なくとも明治のその頃には
    測量技術は確立していたのではないでしょうか。

    私のブログはお時間が出来たときに
    ちょっと見ていただくだけで十分です。
    それぐらいの文字量にしているんです…(笑)

  5. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    トンちゃんの思い出

    pinboke_planet様

    最近気づいたのですが、4枚目の写真は煙突の位置が逆なんです。どうも、裏焼きしているようです。

    末澤産業のガソリンスタンドの前の道はよく通ります。当時の人力車の元締めとは面白い情報です。「ゲートタワービルとトンちゃんの思い出 」は充実した内容ですね。でも、トンちゃんは亡くなられたのですか。残念ですね。

  6. いなろく | URL | -

    梅田三昧

    はじめまして。
    いま大坂の米相場の小説を読んでまして、市内の地名がいっぱい出てくるんですね。
    で、現在消えてしまった地名や、堀や橋など名前しか残ってない場所も出てくるんです。
    どこかに古地図がないかなと思い検索してたらこのサイトに辿りつきました。

    先日読んでいた小説『曾根崎比丘尼』(富樫倫太郎著)の中で、七墓巡りのくだりがあったんです。
    堂島より北側の曽根崎村は田畑が広がり、一角草むらの中に梅田三昧があると表記されてたんです。
    ここで古地図と現在の地図と照らし合わせて大変理解が深まりました。

    また、千日墓も登場し「墓より向うはなにもない」といった感じの表現でした。
    古地図を見ると、なるほど墓より南側は、北側に比べて急に風景がさびしくなっていそうです。

    ここのサイトはたいへん役立つ上、興味を惹かれる話題が豊富。
    ときどき覗かせていただきます。
    ありがとうございました。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    いなろくさん

    ありがとうございます。
    「曾根崎比丘尼」、興味深い本です。
    昔は大阪の町の外は田畑が広がり人が行き来するのは数すくない旧道のみ。
    夜の町の外側は暗くて怖かったのだろうと想像します。
    夜の七墓めぐりなんて想像しただけで怖い。
    今のお墓はどこもきれいに整備されていますが
    昔は怖かったんだろうなと想像しながら
    まち歩きの時に墓にも立ち寄っています。
    お墓は古いものは残っているから結構好きな場所なのです ^^;

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