このエントリーをはてなブックマークに追加

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

大阪駅ができる前は墓地があった

2008年03月01日 04:00

梅田ステンショは墓地だった?

明治7年5月、大阪ー神戸間の鉄道が開通しました。
2年前に開通した東京ー横浜間に次ぐ2番目の路線です。
駅名は 梅田、駅舎の建築に関わった人が外人なので、
ウメダステーションと呼んでいたようで、
それがいつしかステンショになり
ステン所(しょ)となったのだそうです。

続きを読む前にクリック。→ [人気ブログランキング]

当初、大阪のどの場所に駅を作るかが問題でした。
当時の大阪北の玄関口は堂島です。
堂島に駅をという意見がありましたが、
石炭を焚いて走る「火の車」の汽車をここへ引き入れて、
火事でも起したらどうする!と商人たちが猛反対しました。
ということもあり、堂島の北側の人家がまったくない池沼が多い湿地帯の
曽根崎村字天童という地が選ばれたのです。
この場所には「 梅田三昧(うめださんまい)」という墓地がありました。
(三昧とは火葬場や墓地の意味があります)
墓地と隣接する場所に駅舎が建てられることになったのです。

梅田墓地01
「大阪市中地區甼名改正繪圖 」より
明治5年(1872)に作成された地図です。梅田三昧の文字が確認できます。
その上の川は中津川です。淀川はまだできていません。
十三の渡しが書かれていますね。

梅田墓地02
「天保新改攝州大阪全圖」より
天保8年(1837)の地図です。やや正確な地図に見えますね。
堂島の北側は水路が確認できます。
この辺りは荒蕪地が広がっていたようです。

梅田墓地03
「大阪圖」より
明治5年(1872)に作成された地図です。
開業前ですが駅がすでに記されています。
駅の両サイドには道がありますが、駅の前はまだ水路が残っています。
建物もまだなかったのでしょう。

梅田墓地04
「改正新版大坂明細全図」より
明治15年に作成された地図です。梅田ステーションと書かれています。
道路にステーショ道って書かれていますね。
現在の四ツ橋筋のことのようです。今の大阪駅と場所が少し違います。
ちょうど大阪中央郵便局の裏の辺りのようです。

初代大阪駅01
「古写真なにわ風景」より
初代大阪駅です。明治7年の開業当初の写真で赤レンガの建物でした。
梅田停車場とか梅田ステーションとか梅田ステン所(しょ)と呼ばれていました。

初代大阪駅02
「古写真なにわ風景」より
初代大阪駅構内です。この頃の機関車は小型だったようで、
客室は木造りで30人乗りだったようです。


(関連記事)
大阪駅ができる前は墓地があった 2008.03.01
初代大阪駅の場所 2008.03.03
大坂七墓 南浜墓地 2008.09.08
大坂七墓 蒲生墓地 2008.10.16
大坂七墓巡り1 2008.10.22
大坂七墓巡り2 2008.10.24
大坂七墓巡り 千日墓地 2008.10.27
さよなら千日前・竹林寺 2009.02.09
大阪七墓・梅田墓地・飛田墓地の跡のあと 2010.07.26
大阪七墓・葭原墓地の沖向地蔵尊 2010.07.28


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト


コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    梅田ステンショ

    今とは位置が少し違ったのですね
    いつごろ今の位置に来たのでしょうか

    珍しい写真ありがとうございました

    今日は 毎月一度の北野詣で
    塚本を歩きました
    包丁とぎのおじさんの場所が違っていました

    あのお屋敷の庭の紅梅が咲いていました

  2. きっちい | URL | 17ClnxRY

    大阪駅

    今の様子を思うと駅が本当に小さいですねえ。
    それでもこの当時ではかなり立派だったんでしょうね。


  3. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    梅田ステンショ

    TOSSY様

    大阪駅が今の場所になったのは、二代目からです。
    十三の隣街?の梅田界隈のいま昔をちょっと調べてみようかと思っています。

    今日は少し暖かかったのではないですか。
    紅梅、明日見てみます。

  4. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    立派だったようです。

    きっちい様

    赤レンガ造りの洋館で、正面屋根には時計塔があって、広場には泉水と築山を配した庭園があったそうです。その建物を取り巻くように人力車が並んでいたとか…。当時の十三の人達はどう思っていたのでしょう。歩いて見学に来たのかもしれませんね。

  5. つまみ食い | URL | jbqo2yn2

    遅ればせですが・・・。

    今から書くことは確認の取れたことではないのですが、
    この機関車と客車、もしかしたら昭和初期まで西成線(現在の桜島線と大阪環状線の一部)で使われていたかもしれません。
    我が家の年寄りの証言ですと、確かに写真のような小型の機関車であることはほぼ間違いないです(全く同一かどうかは不明)。
    客車は、写真を見る限りでは英国流の個室方式ではなさそうなので、違う可能性があります。
    西成線では、英国式の個室型客車を使っていたそうです。
    新橋・横浜のお古?

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    つまみ食いさん

    なるほど。
    そういわれるとこの機関車が気になってきた。
    客車の中も見てみたいな。
    探せばどこかにあるかも。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/94-677733f8
この記事へのトラックバック



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。