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将軍塚道から青蓮院門跡将軍塚青龍殿へ

2022年09月12日 01:30

将軍塚道から青蓮院門跡 将軍塚青龍殿へ
さらに「京都一周トレイル」東山コースで粟田口へ

今回のフィールドワークの目的は京都・円山公園の背後にある東山の山頂まで将軍塚道を登って、そこから尾根道を粟田口まで歩くこと。新熊野神社の近くに車を駐車したのでそこから折り畳み自転車で円山公園へ向かうことにしました。


スーパー地形のGPSを3Dで表示したものです。ご参考までに。

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これはスーパー地形のスクショ。

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前を通るたびに気になっていた新熊野神社のクスノキ。

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立ち寄って初めて知りました。このクスノキは後白河上皇お手植えの樟と伝わり樹齢900年と言われています。すごい。

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そこから今熊野の坂道を上っていくと坂の向こうに愛宕山がよく見えました。

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悠々と歩く今熊野の猫。

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豊臣秀吉が眠る阿弥陀ヶ峰を横目に、

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大仏殿跡の公園へ。ここは方広寺大仏殿の台座があった場所です。台座は直径18mで八角形だったようです。

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有名は国家安康の銘鐘。明治17年に寄進で鐘楼が建てられるまで雨ざらしだったとか。ちなみに天井画は伏見城の化粧室のものを移築したそうです。

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豊臣秀吉を祀る豊国(とよくに)神社。

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明治13年に旧方光寺大仏殿跡に社殿が再建されました。

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この唐門は桃山時代の伏見城の遺構。国宝です。

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大仏殿石垣の碑。

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豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿跡の石塁がそのまま残っています。ここには生々しい矢穴が。

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石垣の隙間を利用して石仏が祀られていました。

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空也上人立像などで有名な六波羅蜜寺。

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かつては、広大な境域内に平家一門の屋敷が栄え、その数は5200余りに及んだといわれます。

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六道之辻。六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界のことで、六道の辻はその分かれる所。東山に向かって右(写真)に行けば六波羅蜜寺、まっすぐ進めば風葬の地であった鳥辺野になります。

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六道珍皇寺

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こちらが六道の分岐点で、あの世とこの世の境の辻。冥界への入口と信じられていた場所です。

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本堂の裏庭には冥土へ行き来することができる井戸があり、平安時代の小野篁は、この世では官僚として、あの世では閻魔大王に仕えるために夜毎この井戸を使って冥界へ通ったと伝わります。

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その井戸が向こうに。なかなか興味深いおはなしですね。こういう話は好きです。

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さて、円山公園の枝垂れ桜がある広場です。池の向こうに見えるのが東山。あの頂上まで行きましょう。

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公園を進んでいくと山の麓に吉水弁財天堂があります。吉水(よしみず)とは、この地から霊泉が湧いていたことに由来します。

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境内には、法然上人も使ったとされる閼伽水の井戸があります。

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その奥には修行場と思われる滝口がありました。

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「お宿 吉水」の右手に将軍塚道の碑があります。

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大聖歓喜天尊を過ぎて

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コンクリート造の溝を越えます。

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途中、このような石仏が…

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足元の道は硬い岩がゴツゴツむき出している場所があるので、トレッキングシューズなど歩きやすい靴で登ることをおすすめします。

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石仏をすぎると

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地面の色が赤茶色に、

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登りだして20分程度でこんな場所にたどり着きました。向こうに見えるのは青蓮院門跡の福徳門。

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とりあえず将軍塚・京都市営展望台へ。

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ここからは京都盆地の南部。京都タワーや東本願寺、西本願寺などが見えます。

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京都盆地の中心部や北部を見る場合は拝観料(大人500円)を払って青蓮院門跡 将軍塚青龍殿へ。

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木造の大舞台からは眼下に京都市内が一望できます。

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比叡山に大文字山、正面は吉田山。

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正面の御所、右に賀茂川。

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奥の山は愛宕山。その手前に双ヶ丘と船岡山がみえます。比叡山や大文字山も含めてどれも残丘になります。京都盆地はいわゆる六甲変動による隆起と沈降によってできたと言われていますが、これらの山々はそれよりももっと古くからあった地形で、侵食から取り残されたものだと考えられています。

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京都盆地の地形をじっくり眺めるのはこの場所が最高だと思います。

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こちらは将軍塚。桓武天皇が平安京造営に際し、高さ2.5mの像に甲冑を着せ、弓矢と太刀を持たせて京都御所の方に向けて埋めたと伝わる塚です。当時は木々もいまほど生い茂っていなかったと思うので、ここから平安京の全体が見渡せたのでしょう。

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さて、来た道を少し戻ると分岐点があります。粟田口へ向かいましょう。

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今の季節は草が生い茂っているので道幅が狭く感じます。

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それを抜けるとこのような道が続きます。緩やかな坂道で歩きやすいです。尾根道なので両側は崖。知恩院や青蓮院の上を歩いていることになります。

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ゆっくり30分ほど歩いて坂道を下ってくると建物が見えてきました。

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ここからの見晴らしも素晴らしい。正面に吉田山と金戒光明寺、手前に観覧車、比叡山もきれいに見えます。手前はウェスティン都ホテル京都です。

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こんな場所に下りてきました。「京都一周トレイル」東山コースの一部でもあります。

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下りてきた場所は粟田神社の近く。

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粟田焼発祥の地とありますが、粟田口は京都の東の出入口。平安時代後期から刀鍛冶が多く住んでいた場所で山城国の刀鍛冶発祥の地とも呼ばれていました。窯が建ち並んだのは江戸時代からで、清水を凌ぐほどの勢力があったようです。地形的にも傾斜地であることは清水と同じで地質も同じ粘土層が広がっていたのかもしれません。

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神社内に粟田焼が展示されていました。特徴は生地が薄玉子色で細かな裂紋が入っているようです。この写真ではわかりにくいですが、アップで見ると細かな裂紋は入っています。なるほど…深い世界だ…

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この付近は奈良時代以前から開けていた土地で粟田氏が本拠としていたそうです。粟田氏と小野氏はかつて同族だったと言われていますが、ここで小野篁とつながりました。ちょっとマニアックな世界です。

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さて、粟田御所 青蓮院門跡にきました。

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この景観はいつ来ても素敵です。青蓮院のクスノキは築地の上に4本、庭園内に1本あります。親鸞聖人が植えたとも伝わりますがはっきりしていないようです。どちらにしろ12世紀頃に植栽されたと考えられるようで樹齢は900年くらいでしょうか。

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この微妙な角度の階段が素敵です。

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立派な枝振りのクスノキです。

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ところで知恩院の前にあるこの石、ご存知ですか?

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瓜生石(うりゅうせき)というそうですが、知恩院のホームページを見ると古くから伝わる「知恩院の七不思議」のひとつで、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜があおあおと実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられています。そもそもなぜ瓜なのでしょうか。たしかに不思議だ。

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国宝の知恩院三門です。山門ではなく三門。これは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という三つの解脱の境地を表わす門を意味しているのだそうです。


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