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東大阪をフィールドワーク

2022年05月08日 23:12

東大阪市の高低差をフィールドワーク

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東大阪FW① 新之介のFacebook ページへ↓
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訳あって久しぶりに東大阪市をフィールドワークしてきました。まずは東大阪市との境界近くの大東市住道から。この地は寝屋川と恩智川が合流するかつての舟運の拠点、細長い三角の土地の先端に航海安全の住吉神のお堂があったから角堂浜(すみのどうはま)。それが地名の由来ですが川筋の地形が大きく変わった今もコンクリートの高い塀に囲まれた端っこに住吉神社のお堂があります。そこから東高野街道に向かう途中に平野屋新田会所跡に立ち寄り。中垣内の集落に入り山側の先にいくと中垣内越えの道標がありました。
隣の集落・善根寺にある春日神社には磐座や直越道の碑がありました。そこから300mほど横道にいったところに大きな大坂城築城残石があり「東足立・西社地」と土地の境界などの刻印がいくつか刻まれています。日下に入ると東高野街道から少し山側に神武天皇聖蹟盾津顕彰碑が。神武東征の頃は近くに河内湖の港(津)があったと思われます。日下といえば縄文時代の貝塚が有名ですが、すぐ横に日下川が流れており、集落は河内湾に近くて川が刻んだ谷の高台であったのでしょう。
江戸時代の庄屋・旧河澄家(入場無料・トイレあり)からヒトモトススキの群生地へ。海岸に生える植物が山裾に残ることからかつては海岸線が近かったことの示す植物とされています。すぐ近くには芝山古墳跡の表示板があり、横の住宅地が前方後円墳の古墳跡だろうか。上に登ると見晴らしが素晴らしい。最後に立ち寄った加納の古社である宇波神社は、「波」の字がつくことから北側に湖が広がっていたことが名前の由来だとか。東大阪市の北側の一部だけですが、次は石切さんや枚岡神社周辺をフィールドワークしようかと思っています。

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東大阪FW② 暗越奈良街道(前半)新之介のFacebook ページへ↓
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東大阪市を東西にまっすぐ貫くように通る暗越奈良街道。高麗橋が起点となっていますが江戸時代の起点は玉造。大坂と奈良を結ぶ最短コースとして広大な河内低地に点在する集落を結んでいます。今回は自転車と徒歩で暗峠まで往復してきました。総距離62km、前半後半の2回に分けてご紹介します。里程元標跡がある高麗橋から竹内街道の起点でもある難波宮跡を通り玉造稲荷神社へ。伊勢参宮本街道の起点でもあり奈良までは同じコースです。二軒茶屋の前にはかつて猫間川が流れ石橋がかかっていました。国道308号線の脇を通るくねくね道がかつての街道。明治時代の今昔マップが見れるiPhoneのアプリ・スーパー地形を片手に自転車で進んでいくと道標が点在しています。大今里の妙法寺の境内は契沖史跡になっているということで立ち寄り。深江の深江郷土資料館にも立ち寄りました。この地域は菅笠(すげがさ)が有名で、菅の田が復元されていました。この菅を加工した菅編みの技術が受け継がれている地域で、伊勢神宮の式年遷宮や宮中の祭祀である大嘗祭などで菅御笠(すげのおんかさ)や菅御翳(すげのおんさしは)などを収めたそうです。素晴らしい菅細工(すげざいく)の技術に感動。古代氏族の笠縫氏が移り住み菅笠をつくるようになったのだとか。生駒山が近くに見える松原は宿場があった地域で明治時代に宿が廃止されるまで16軒の旅籠があったそうです。生駒の急坂を登ったところに椋ヶ根橋があるのでそこに自転車を置いて歩いて行きます。近くには松尾芭蕉の有名は句碑があります。奈良から大坂に向かって暗峠越えをしたのが芭蕉最後の旅になったといわれています。観音寺の観音延命の水を見た後は、急坂道を歩いて行きます。有名は急坂のくねくね道にはタイヤが空回りした痕が。その先に弘法の水があります。古代からこの道を通る人々の喉を潤してきました。いまもコンコンと水が湧いていますが飲めないようです。手にとってみると冷たくて気持ちいい。もうすぐ暗峠です。峠の写真などは後半へつづきます。

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東大阪FW③ 暗越奈良街道(後半)新之介のFacebook ページへ↓
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標高約110mの場所にある椋ヶ根橋から急坂道を1時間ほど歩き、標高約400mの場所にある弘法の水を過ぎると集落が現れます。集落の先にある石畳の峠が標高455mの暗峠(くらがりとうげ)。江戸時代は脇往還として盛んに利用され、20軒近くの茶店や旅籠で賑わいました。名前の由来には諸説ありますが、鞍のような嶺から「鞍ヶ嶺峠」と呼ばれていたものが、木々が生い茂り暗かったことから「暗峠」と呼ばれるようになったといわれています。また「椋ヶ嶺(くらがね)」がなまって「くらがり」になったとも。峠を過ぎて信貴生駒スカイラインのトンネルの抜けると坂道の向こうに奈良盆地が広がります。手前の緑が矢田丘陵、その奥に笠置山地の山々と左側に若草山も見えます。色が少し明るい若草色の場所です。道から下を見渡すと美しい段々畑が広がっていました。
再び来た道を下りて途中から「府民の森なるかわ園地」に入っていくと神津嶽ふれあい広場という休憩所があります。そこからの見晴らしが素晴らしい。すぐ近くの小高い丘の上には枚岡神社神津嶽本宮があります。そこから山道を下ると枚岡山展望台の建物が現れます。ここからの見晴らしは抜群で上町台地のビル群と六甲山のシルエット、さらに大阪湾と淡路島までよく見えました。椋ヶ根橋で再び自転車に乗って河内国の一宮である枚岡神社へ。こちらは水があちこちから沸いているのが印象的です。また奈良の春日大社とも縁が深く狛犬ではなく鹿が石段下の両脇に配置されています。
帰路の途中に「花園多目的遊水池」へ。普段は公園ですが、堤防で囲まれた広大な低地は洪水の時に大量の水が貯留できるようになっています。そこから集落が南北に点在するコースを通って行きます。途中の今米には大和川の付け替えで尽力した中甚兵衛記念碑が、隣接する屋敷林は中甚兵衛ゆかりの家と言われています。古箕輪には水路の交差点と言われる場所が。周辺の低地には井路がいくつも作られ舟が行き交っていましたが、それらは立体交差していたようでこの樋門で水位の調整し各村の井路へ荷物を運んでいたそうです。ラストの写真2点は寝屋川です。河内低地を流れる河川の象徴的な景観ではないかなと思っています。

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東大阪FW④ 石切劔箭神社・辻子谷 新之介のFacebook ページへ↓
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石切劔箭神社から辻子谷を登って興法寺へ向かい、さらに山の裾野に点在する集落をめぐって瓢箪山稲荷神社までフィールドワークをしてきました。
辻子谷の集落は生駒山を越えて宝山寺に至る辻子越えの道に面して発達しています。谷を流れる音川沿いにはかつて水車がたくさん設置され、明治末期から大正にかけての最盛期には44輌もあったといわれます。それを動力として漢方薬や香辛料の粉末製造に利用されてきました。電動化により水車はなくなりましたが、いまでも坂道を歩いていると当時の石積みがたくさん残り、ほのかに漢方薬の香りがしてきます。平成21年度に水車が復活しましたが、残念ながら現在は止まっていました。
そこから山を登り役行者が開基し弘法大師空海が諸堂を整備したと伝わる興法寺へ。さらに、鎌倉時代に建てられた三昧尾石造十三重塔へのコース。かなりハードな登山道でした。
額田の大石神社に立ち寄り、四條の古い町並みを散策して瓢箪山稲荷神社へ。双円墳と呼ばれる形状で南側には羨道の天井石が露出しています。

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東大阪FW⑤ 日下直越道 新之介のFacebook ページへ↓
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直越道(ただごえのみち)とは、河内国と大和国とを結ぶ古代の道のことで、急峻な生駒山地を最短ルートで横切ることとなりかなり険しい道筋になります。古事記や日本書紀に記されている神武東征では、九州を出発した神武天皇が率いる皇軍は、難波の碕を通って草香邑(くさかむら)から上陸し、大和へ入るために直越道を進みますが、途中の孔舎衛坂(くさかえざか)で長髓彦(ながすねひこ)に行く手を阻まれ、紀伊半島を迂回するという話があります。その直越道ですが日下直越道(くさかただごえみち)ではないかといわれています。
昭和15年(1940)、神武天皇が大和国橿原で即位して2600年にあたる事から、神武天皇聖蹟の調査と顕彰の事業が国家事業として行われました。当時の文部省は、全国19ヶ所の聖蹟を公表し顕彰碑を建てることにしましたが、そのうち2つが生駒山の麓に建てられています。以前東大阪をフィールドワークした時に立ち寄った「神武天皇聖蹟盾津顕彰碑」は、神武天皇率いる皇軍が孔舎衛坂の戦いでこの津まで退き、盾を並べて雄誥(おたけび)をあげた場所とされています。この近くに河内湖(草香江)の港があったと思われる場所です。
最初に立ち寄った場所は須波麻(すはま)神社、「波」が使われていますが、水辺を意味する「渚浜/洲浜(すはま)」から転じたのではないかといわれいる式内社の古社です。かつての汀線に近い場所だったことを意味しているのかもしれません。次に立ち寄ったのが善根寺(ぜんこんじ)の春日神社。こちらに直越道の碑があります。この上には阪奈道路が通っていますが、それを跨ぐように旧道が残っています。ほとんど人が歩かない道のようですが、途中に養蜂の巣箱が置かれていました。近寄り過ぎると刺されますので注意してください。私ですか?うかつにも近寄りすぎてちくりとやられました。処置として針が残っているのでそれを抜いて冷やしましょう。数日で腫れは引きます。
さらに歩いて行くと龍の口霊泉にたどり着きました。善根寺日神社の「おだいつまつり」という酒づくりに伴う神事では、この龍の口の清水で酒づくりを行い氏子に配られていたそうです。龍の口霊泉のすぐ手前に神武天皇顕彰碑に向かう道がありますのでそこに入っていきます。しばらく登ると尾根道がありいくつもの道標があります。それをたどって小高い丘に上がって行くと「神武天皇聖蹟 孔舎衛坂顕彰碑」がありました。この地は、神武天皇の皇軍と奈良盆地に入ることを阻む長髓彦(ながすねひこ)軍との合戦が行われた場所として建てられています。再び尾根道に戻って東側の尾根道を進むと五瀬命(いつせのみこと)負傷碑(厄山)があります。五瀬命は神武天皇の兄で、合戦で流矢が五瀬命の肘に当たり皇軍は進軍を続けることができなくなりました。
再び尾根道に戻り谷道へ下っていきます。しばらく歩くと清らかな水が流れる日下川の谷道にたどり着きます。日下直越道はこの谷を登って行くコースになります。かなり険しい道ですので登らずにそのまま谷を下っていきました。
最後に立ち寄ったのは足立氏屋敷跡。足立氏は古代氏族和気氏の末裔と伝えられ、織田信長や豊臣秀吉に仕えていました。敷地は私有地のため入れませんが、四方を囲んでいる堀の一部を見ることができます。

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東大阪FW⑥ 旧大和川跡 新之介のFacebook ページへ↓
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GWを利用して東大阪市をフィールドワークしてきましたが一旦今回が最終回です。今回は旧大和川跡の高低差を歩いていきました。江戸時代中期、元禄17(1704)年に付け替えられた大和川の旧川跡(玉櫛川・菱江川・吉田川)は新田開発のために埋め立てられ削平されました。砂地で米づくりに適さない土壌だったために主に綿の木が植えられ、それらは「河内木綿」として全国に知られる名産となっていきます。しかし、現在ではほとんどが住宅地となっているためその面影はありませんが、当時の堤防跡と思われる高低差がいたるところに残っています。それらを巡ってきました。
スタート地点は若江。南北朝時代に河内国守護であった畠山氏によって築かれた城郭で、戦国時代には石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、その後廃城となっています。若江鏡神社の本殿奥には鏡塚があり、神功皇后が三韓より凱旋のときに鏡を埋めたところという伝承が残っています。
玉串橋のところに第二寝屋川をまたいで水路が通っていますが、これは大和川の付け替え後に旧堤防跡に沿ってつくられた用水路(玉串川)で第二寝屋川に流れ込みますが、一部は川をまたいで玉串川跡を暗渠として流れています。玉串と花園を結んでいた一本道は馬場だったようで、津原神社の解説板では河内三大馬場で両側には老松、大杉、榎の巨木の並木が続いていたと書かれていました。玉串川が菱江川と吉田川に別れていた辺りは比較的高低差がよく残っている場所です。近鉄河内花園駅前にある花園商店街は堤防の上を通っており東側は高低差がよく残っています。周辺をうろうろしながらかつての堤防の姿を妄想しながら歩いてみてはいかがでしょうか。

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