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等高線で空堀(南惣構堀)の場所を探せ

2015年09月09日 00:15

等高線から南惣構堀跡を探してみた

「惣構はもちろん、二の丸・三の丸まで寄せ手の人数で埋め立てよ。その埋めようも、三歳ほどの幼児でも自由に上がり下りができるほど徹底的に行え」とは、大坂冬の陣の和睦後に家康が本多正淳に言ったといわれる言葉です。南惣構堀(みなみそうがまえぼり)は幅が10間(約18m)もあり石垣はなかったと言われています。豊臣期の大坂城の絵図はほとんど残っておらず、ましてや当時の惣構堀が描かれた絵図はまったくといっていいほど残っていません。ですので南惣構堀の場所や形は後に描かれた絵図や古文書等から想定するしかなく諸説あり、いまだに正確なことが分かっていないのです。発掘もほとんど行われておらず、天王寺区上本町3丁目の発掘現場が唯一の惣構堀跡だと言われています。で、私も何度か場所の検証をしていたのですが、今回はカシミール3Dの等高線を利用して場所を探ってみたいと思います。

kara_01.jpg
カシミール3Dは等高線も表示できます。この地図では1m単位で等高線を入れていて5m毎に太くしています。ちなみに東横堀川右側に見える太い等高線が標高5mです。位置がわかるように発掘現場と空堀商店街、真田丸跡の場所も記しておきます。

kara_02.jpg
地形図に大阪実測図を重ねたものです。

kara_03.jpg
黄色の線は高津屋吉右衛門肝煎地と瓦屋藤右衛門請地(瓦土取場)を記したもので、この場所に空堀が存在したと考えられています。(※新修大阪市史より)

kara_04.jpg
その地形図に大阪文化財研究所の『近世城下町大坂の誕生と拡大』にある「豊臣前期の大坂城下町想定図(松尾作図)」を重ねてみました。左側の黄色の線と掘の場所が重なっているところの等高線をアップで見てみましょうか。なにか見えてきそうです。

kara_05.jpg
等高線を追っていると堀の痕跡らしき窪みが見えてきませんか。

kara_06.jpg
黄色線の範囲内で地形の窪みを素直になぞっていくとこんな堀跡が見えてきます。

kara_07.jpg
発掘現場周辺は盛土のため堀の痕跡はありませんが、ほぼ間違いなくあったであろう場所を赤く記しました。で、残った左側の場所に何かの痕跡らしき跡(a,b)があります。

kara_008.jpg
(a)の窪みがあやしいのでそれを通って、空堀商店街を通るラインを想定してみました。

kara_000.jpg
再度、「豊臣前期の大坂城下町想定図(松尾作図)」と重ねてみるとほぼ同じラインである事が分かります。右側のラインが若干いびつになっていますが、黄色線が正しいとして地形の形を鑑みながらラインを引くとこのような形になります。

karaho.jpg
今回は等高線と高津屋吉右衛門肝煎地、瓦屋藤右衛門請地にこだわって検証してみました。瓦屋藤右衛門請地に関しては相当量の土が掘られたこともあり等高線のラインがどこまで堀跡と関連しているかはわかりません。この地形図を持って現地を歩くと新たな発見があるかも。なんどかうろうろしている場所ですが、ちょっと実際に歩いてきます。


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