このエントリーをはてなブックマークに追加

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

古市古墳群45基めぐり(2)

2014年08月20日 07:30

西馬塚古墳(34)、向墓山古墳(33)、墓山古墳(31)、野中古墳(32)、応神天皇陵古墳(21)、栗塚古墳(25)、東馬塚古墳(24)、二ツ塚古墳(23)、盾塚古墳(復元)、仲姫皇后陵古墳(13)

furuichi_map_3.jpg
古市古墳群45基めぐりの2回目は、オレンジ色の部分です。

furuichi_ge_2.jpg
オレンジ色の拡大。左端の近鉄「古市」駅からスタートします。

7D2_1340.jpg
この日は古市駅前駐輪場でレンタサイクルを借りました。18時まで利用可能で250円です。

7D2_1361.jpg
住宅地に突然現れた墳丘。

7D2_1351.jpg
結構でかい。これは「西馬塚古墳(34)」です。

7D2_1347.jpg
応神天皇陵古墳の陪塚(ばいちょう)で高さ10mの方墳。

※陪塚(ばいちょう・ばいづか)とは、大型の古墳に付属する小型の古墳で、大型古墳の埋葬者のための副葬品等を埋納するために建設されたものもあると考えられています。

7D2_1356.jpg
「恵我藻伏崗陵陪塚馬塚(えがのもふしのおかのみささぎばいちょううまづか)」。恵我藻伏崗陵とは応神天皇陵古墳のことです。

7D2_1369.jpg
そこから少し行くと森が見えてきました。

7D2_1392.jpg
「向墓山(むこうはかやま)古墳(33)」です。

7D2_1381.jpg
ちょっと読みにくいですが「恵我藻伏崗陵陪塚向墓(えがのもふしのおかのみささぎばいちょうむこうはか)」。

7D2_1387.jpg
これも高さ10mの方墳で宮内庁では応神天皇陵古墳の陪塚としていますが、墓山古墳(31)の陪塚とも書かれている。ややこしい。

7D2_1397.jpg
向こうの森が墓山古墳です。

7D2_1405.jpg
ちなみに「墓山古墳(31)」は、古市古墳群で5番目の大きさです。

7D2_1407_20140812171606442.jpg
宮内庁では墓山古墳も応神天皇陵古墳の陪塚としているようですが、墓山古墳の主は大王、あるいはこれに次ぐ高い地位にあった人物と推定されるとも記されています。

7D2_1410.jpg
森の内部にはきれいな三段の前方後円墳が残っていますね。くびれ部の造り出しもよく残っています。

7D2_1422.jpg
墓山古墳は周壕のすぐ近くを歩けるのがいい。

7D2_1442_20140812171610288.jpg
古墳を身近に感じることが出来ます。

7D2_1450.jpg
この突き当たりを右に曲がると、

7D2_1458.jpg
「野中古墳(32)」があります。一見地味に見える古墳なのですが、ここから出た副葬品がすごい。

7D2_1461.jpg
短甲(たんこう)・胄(かぶと)が11、鉄刀・剣が170、鉄鎌(てつぞく)が740など多種・多量の副葬品が出土しています。

7D2_1469.jpg
この石は葺石でしょうか。

7D2_1498.jpg
さて、旧誉田(こんだ)村に入って行きます。

7D2_1502.jpg
古い町並みが残っています。

7D2_1507.jpg
この土塀もいい味がでてる。

7D2_1510.jpg
この道は古市街道、この先で東高野街道と合流します。

7D2_1520.jpg
その途中にある誉田(こんだ)八幡宮。

7D2_1522.jpg
立派な南大門です。

7D2_1531.jpg
こちらが拝殿。

7D2_1534.jpg
竣工したのが寛永年間の初期とあるので約400年前ですね。

7D2_1535.jpg
こちらの祭神は応神天皇になります。

7D2_1540.jpg
反橋の向こうが「応神天皇陵古墳(21)」です。誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳 とも呼ばれています。

7D2_1542.jpg
法生橋(ほうじょうばし)というようですね。神輿はなんと国宝。

7D2_1549.jpg
秋の大祭の夜に、神輿がこの橋を渡り濠のほとりで、祝詞(のりと)の奏上(そうじょう)や神楽(かぐら)の奉納が行われるのだとか。

7D2_1551.jpg
境内の地図。

7D2_1555.jpg
正面の鳥居。

7D2_1558.jpg
解説板です。

7D2_1585.jpg
東高野街道です。

7D2_1590.jpg
二又道の真ん中に石碑と道標が。

7D2_1592.jpg
「右 道明寺玉手なら京」「左 八尾久宝じ」
次に向かう「栗塚古墳(25)」は右、その次に向かう「東馬塚古墳(24)」は左です。

7D2_1593.jpg
ここが「栗塚古墳(25)」。

7D2_1600.jpg
「應神天皇恵我藻伏崗陵倍塚(おうじんてんのう えがのもふしのおかのみささぎ ばいちょう)」。

7D2_1605.jpg
ここが「東馬塚古墳(24)」です。フェンスで囲われていますが、

7D2_1614.jpg
民家との間に通路が。

7D2_1609.jpg
こちらも同じく「應神天皇恵我藻伏崗陵倍塚」。

7D2_1620.jpg
東馬塚古墳の向こうの森が「二ツ塚古墳(23)」です。

7D2_1632.jpg
応神天皇陵古墳の外堤(そとつつみ)に隣接しています。

7D2_1639.jpg
さて、西名阪自動車道を超えたところにちょっと変わった公園がありました。Googleマップで見たときから気になっていたのですが、ここも古墳だったようです。

7D2_1640.jpg
「盾塚(たてづか)古墳」。昭和30年代、ここに平屋の府営住宅が建てられ盾塚古墳は姿を消しました。その府営住宅も取り壊され、「道明寺盾塚古墳公園」として古墳が復元されたそうです。

7D2_1646.jpg
カタチは帆立貝式古墳。たしかに帆立貝のカタチだ。

7D2_1826.jpg
最後の古墳は「仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳(13)」。仲ツ山古墳とも呼ばれています。

7D2_1841.jpg
古市古墳群の中では、応神天皇陵古墳の次ぐ2番目の大きさで、応神天皇の皇后の陵墓です。

7D2_1860.jpg
手前のグリーンは古室山古墳。

7D2_1814.jpg
すぐ横の古室八幡神社の境内にあった解説板。

7D2_1817.jpg
森の奥にはきれいな前方後円墳のカタチが残っています。くびれ部には造出しもある。

7D2_1807.jpg
前方部の外堤横から後円部を見たところ。

7D2_1804.jpg
外堤の角から見たところです。奥に拝所が見えますね。


より大きな地図で 古市古墳群 を表示


【古市古墳群】
世界文化遺産をめざす古市古墳群45基 2014.08.17
古市古墳群45基めぐり(1) 2014.08.18
古市古墳群45基めぐり(2) 2014.08.20
古市古墳群45基めぐり(3) 2014.08.21
古市古墳群45基めぐり(4) 2014.08.22
古市古墳群45基めぐり(5) 2014.08.29
古市古墳群45基めぐり(6) 2014.08.31
古墳の作り方(ジオラマ) 2014.10.04


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/832-247e3dec
    この記事へのトラックバック



    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。