2014年07月26日 22:40
古市古墳群を一望
玉手山丘陵地の玉手箱

大阪府柏原市にある玉手山古墳群を近鉄「河内国分」駅から歩いたルートです。

さらに、古市古墳群の一部も歩いてきました。奥に見える赤いラインは先日歩いた竹内街道。近くには王陵の谷とも呼ばれる磯長谷(しながだに)古墳群や一須賀(いちすか)古墳群があり、このエリアは古墳ファンにはたまらない場所ですね。

近鉄「河内国分」駅を降りてすこし歩くと向こうに丘陵地が見えます。

カッパの看板がなかなかいい。

この高低差がたまらん。階段の上の森が玉手山1号墳です。

船首のようにとんがった壁。タイタニック号ごっこができそう。

階段をのぼるとさらに小高い丘がある。

この道の左側が玉手山1号墳です。

ここに道がありますね。ここが前方後円墳のクビレ部分です。

玉手山1号墳の前方部。残念ながら中には入れません。

後円部のテラス部分は墓地になっています。

後円部のてっぺんにのぼってみましょう。

木に覆われているけど見晴らしはいい。向こうに二上山が見えます。

こちらにはコンクリートで固められた墓地が。

あれは玉手山2号墳です。

このような解説板はありがたい。

この玉手山1号墳は、古墳時代前期のもので、3号墳に続き4世紀前半に築造されたものだそうです。古市古墳群が4世紀末から6世紀前半頃に造られたといわれているので、それより古いのですね。

斜面に石がむき出ていますね。葺石でしょうか。

後円部の半分はきれいに整備されています。

さて、お隣の玉手山2号墳です。

2号墳は全体がコンクリートで固められていますが、前方後円墳のカタチを残してます。

線を書くとこんな感じ。

クビレ部分からのぼってみましょう。

後円部にのぼります。

後円部のてっぺんです。

この古墳をグーグルマップで見るとこのようなカタチ。

明らかに前方後円墳です。クビレもはっきりわかる。

ここがクビレ。
ちなみに奥の建物は柏原市立老人福祉センターでその奥の森が玉手山3号墳になります。

後円部から玉手山1号墳を見たところ。

西側には古市古墳群が見えます。

見晴らしがとてもいい。

パノラマで撮ってみました。古市古墳群が一望できます。

中でも一番大きいのが応神天皇陵古墳。ほとんど山です。
さて、

安福寺横穴群に行く途中にあったポストです。なぜは道路の真ん中に…。

伯太彦(はくたひこ)神社の鳥居と安福寺の山門が見えてきました。

この参道の両脇に横穴墳があります。

石柱には玉手山横穴となっていました。

この横穴が安福寺横穴群。等間隔で穴が掘られています。

造られたのは古墳時代後期、6世紀中頃から7世紀初めのもので、35基の横穴があるようです。

この面の穴は未完成っぽかった。

この穴は削り跡が生々しく残っています。

上から見下ろしたところ。右の3基は穴が深く掘られ広い石室が見えました。

これは反対側の斜面に掘られた横穴群。解説板には、マンションのように二層三層に重なってと書かれていたけど、マンションというよりカプセルホテルの方が近いかも。

この面の横穴の一部は中に入ることができます。

ただ、ちょっと蚊が多そうだったので私はやめました。

石室は結構広そうですよね。

横穴群の横に奥まった空間があったのですがここは何でしょう。

中央に置かれたこの石像は不動明王でしょうか。いづれにしろ後世のものですね。

安福寺の横にある伯太彦神社。

詳しい縁起はこちらを。大きめの画像を張っています。

安福寺です。

ここに石棺の蓋部分が置かれていました。

玉手山3号墳から出土したと伝わる重要文化財の割竹形石棺蓋(わりたけがたせっかんふた)。蓋の淵に幾何学模様が刻まれているようです。

3号墳は今回立ち寄らなかったのですが、この石棺の蓋はいいな。

最後に玉手山七号墳に向かいます。結構坂をのぼってきました。

柏原市立玉手山公園、旧近鉄玉手山遊園地です。

これが玉手山7号墳。前方後円墳の後円部です。

玉手山古墳群でもっとも新しくもっとも大きいをされているようです。

後円部のてっぺんには、大阪夏の陣の戦没者の供養塔が建てられています。

右が後方部で左の森の中に前方部があります。

その手前に置かれている家形石棺と

竪穴式石室。

両方とも近くの古墳から移設されたと書かれています。もう少し詳しく書いた解説板もあってもいいのにね。

ということで、玉手山古墳群から古市古墳群に向かいます。

石川にかかるこの玉手橋を渡ると藤井寺市です。

玉手橋は、昭和3年に架橋された五径間吊橋で登録有形文化財です。

橋の横にこんな事が書かれていました。
「石川に臨む玉手山丘陵は、古代から重要視された地点で、古墳時代前期(4世紀〜5世紀初頭)の古墳が多く築造されたが、この古墳群は国土統一の進められた5世紀初頭における国家成立に看過することのできない地位をもつものである。」

さて、橋の向こうには世界文化遺産登録をめざしている古市古墳群があります。これから、古市古墳群45基を数回に分けてすべてまわる予定です。どんな古墳が待っているのでしょう。楽しみだ。
(古市古墳群リスト)

より大きな地図で 玉手〜古市 を表示
(関連記事)
大阪高低差学会
「古墳ファイル 1(奈良県)新沢千塚古墳群」 2014.06.27
「古墳ファイル 2(大阪府)高井田横穴群」 2014.07.02
「古墳ファイル 3(奈良県)馬見古墳群」 2014.07.10
「1分で巡る古市古墳群45基」2014.08.08
十三のいま昔を歩こう
「大阪高低差学会・古墳部」 2014.07.04
「玉手山古墳群〜安福寺横穴群」 2014.07.26
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玉手山丘陵地の玉手箱

大阪府柏原市にある玉手山古墳群を近鉄「河内国分」駅から歩いたルートです。

さらに、古市古墳群の一部も歩いてきました。奥に見える赤いラインは先日歩いた竹内街道。近くには王陵の谷とも呼ばれる磯長谷(しながだに)古墳群や一須賀(いちすか)古墳群があり、このエリアは古墳ファンにはたまらない場所ですね。

近鉄「河内国分」駅を降りてすこし歩くと向こうに丘陵地が見えます。

カッパの看板がなかなかいい。

この高低差がたまらん。階段の上の森が玉手山1号墳です。

船首のようにとんがった壁。タイタニック号ごっこができそう。

階段をのぼるとさらに小高い丘がある。

この道の左側が玉手山1号墳です。

ここに道がありますね。ここが前方後円墳のクビレ部分です。

玉手山1号墳の前方部。残念ながら中には入れません。

後円部のテラス部分は墓地になっています。

後円部のてっぺんにのぼってみましょう。

木に覆われているけど見晴らしはいい。向こうに二上山が見えます。

こちらにはコンクリートで固められた墓地が。

あれは玉手山2号墳です。

このような解説板はありがたい。

この玉手山1号墳は、古墳時代前期のもので、3号墳に続き4世紀前半に築造されたものだそうです。古市古墳群が4世紀末から6世紀前半頃に造られたといわれているので、それより古いのですね。

斜面に石がむき出ていますね。葺石でしょうか。

後円部の半分はきれいに整備されています。

さて、お隣の玉手山2号墳です。

2号墳は全体がコンクリートで固められていますが、前方後円墳のカタチを残してます。

線を書くとこんな感じ。

クビレ部分からのぼってみましょう。

後円部にのぼります。

後円部のてっぺんです。

この古墳をグーグルマップで見るとこのようなカタチ。

明らかに前方後円墳です。クビレもはっきりわかる。

ここがクビレ。
ちなみに奥の建物は柏原市立老人福祉センターでその奥の森が玉手山3号墳になります。

後円部から玉手山1号墳を見たところ。

西側には古市古墳群が見えます。

見晴らしがとてもいい。

パノラマで撮ってみました。古市古墳群が一望できます。

中でも一番大きいのが応神天皇陵古墳。ほとんど山です。
さて、

安福寺横穴群に行く途中にあったポストです。なぜは道路の真ん中に…。

伯太彦(はくたひこ)神社の鳥居と安福寺の山門が見えてきました。

この参道の両脇に横穴墳があります。

石柱には玉手山横穴となっていました。

この横穴が安福寺横穴群。等間隔で穴が掘られています。

造られたのは古墳時代後期、6世紀中頃から7世紀初めのもので、35基の横穴があるようです。

この面の穴は未完成っぽかった。

この穴は削り跡が生々しく残っています。

上から見下ろしたところ。右の3基は穴が深く掘られ広い石室が見えました。

これは反対側の斜面に掘られた横穴群。解説板には、マンションのように二層三層に重なってと書かれていたけど、マンションというよりカプセルホテルの方が近いかも。

この面の横穴の一部は中に入ることができます。

ただ、ちょっと蚊が多そうだったので私はやめました。

石室は結構広そうですよね。

横穴群の横に奥まった空間があったのですがここは何でしょう。

中央に置かれたこの石像は不動明王でしょうか。いづれにしろ後世のものですね。

安福寺の横にある伯太彦神社。

詳しい縁起はこちらを。大きめの画像を張っています。

安福寺です。

ここに石棺の蓋部分が置かれていました。

玉手山3号墳から出土したと伝わる重要文化財の割竹形石棺蓋(わりたけがたせっかんふた)。蓋の淵に幾何学模様が刻まれているようです。

3号墳は今回立ち寄らなかったのですが、この石棺の蓋はいいな。

最後に玉手山七号墳に向かいます。結構坂をのぼってきました。

柏原市立玉手山公園、旧近鉄玉手山遊園地です。

これが玉手山7号墳。前方後円墳の後円部です。

玉手山古墳群でもっとも新しくもっとも大きいをされているようです。

後円部のてっぺんには、大阪夏の陣の戦没者の供養塔が建てられています。

右が後方部で左の森の中に前方部があります。

その手前に置かれている家形石棺と

竪穴式石室。

両方とも近くの古墳から移設されたと書かれています。もう少し詳しく書いた解説板もあってもいいのにね。

ということで、玉手山古墳群から古市古墳群に向かいます。

石川にかかるこの玉手橋を渡ると藤井寺市です。

玉手橋は、昭和3年に架橋された五径間吊橋で登録有形文化財です。

橋の横にこんな事が書かれていました。
「石川に臨む玉手山丘陵は、古代から重要視された地点で、古墳時代前期(4世紀〜5世紀初頭)の古墳が多く築造されたが、この古墳群は国土統一の進められた5世紀初頭における国家成立に看過することのできない地位をもつものである。」

さて、橋の向こうには世界文化遺産登録をめざしている古市古墳群があります。これから、古市古墳群45基を数回に分けてすべてまわる予定です。どんな古墳が待っているのでしょう。楽しみだ。
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コメント
サイプレス | URL | wUHcnPu.
ここ見覚えがある。かつて玉手山遊園地のあった場所ですね。もう遊園地の跡は消えてしまったのでしょうか?
( 2014年08月16日 18:52 [Edit] )
サイプレス | URL | wUHcnPu.
すみません、見逃してました。入口が残ってますね。今は市の公園なのか。
( 2014年08月16日 18:55 [Edit] )
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