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河内名所図絵の二上山・鹿谷寺跡・岩屋

2014年05月22日 19:00

竹内街道を歩く 2
二上山に寄り道すべし
日本にもあった石窟寺院

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孝徳天皇陵です。

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孝徳天皇は、都を飛鳥から難波長柄豊碕宮へ遷都し、大化の改新とよばれる政治的改革を行った天皇です。

(この地形図は、カシミール3Dで作成した地形図に、近江俊秀氏の「壬申の乱のころの大和・河内の道路網」と日下雅義氏の「6~7世紀ころの摂津・河内・和泉の景観」の図を重ね合わせたものです。)
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難波に居を構えた事もあり、難波と飛鳥を結ぶ官道とも深い関わりがあったのかもしれません。竹内街道沿いに陵墓が造られたのもそれと関係があるのだろうか。

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周辺は「王陵の谷」とも呼ばれており、聖徳太子や、推古天皇、用明天皇、敏達天皇などの陵墓が集まっている特別な場所でもあります。

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高台で見晴らしがいい。

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陵墓の坂を下ると旧山本家です。ふたたび竹内街道を歩いていきます。

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いい町並みです。

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これは街道沿いの斜面にあった石の祠。

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かなり古そうですが、全体が古墳のように石で造られているのが興味深い。

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昔の風情が残っている。

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村の入口にある地蔵尊。

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道標が2つ並んでいました。田んぼ道と合流する場所です。

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ここからは交通量の多い道路になります。

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この辺りは歩道と道路の境目にガードレールがあって歩きやすいのですが、

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途中でガードレールがなくなる場所があります。歩く時は注意してください。

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釣り堀がありました。
ここから竹内街道を離れ、二上山の登山道へ入って行きます。

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目的は鹿谷寺(ろくたんじ)跡と岩屋です。

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鹿谷寺跡に行くには、この地蔵尊の横の山道を入って行きます。

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このような坂道をしばらく歩くと、

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突然石柱が現れました。

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石仏なのでしょうか。表面の傷みが激しく何が彫られているのかわからない。よく見ると下の岩と一体になっているようです。なにげにすごい。

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さらに坂道を上ると岩場が見えてきた。

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正面に現れた白い岩の塊。

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石仏が刻まれているか探してみましたが見つけられなかった。

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その横の広場に史跡 鹿谷寺(ろくたんじ)跡の碑がありました。

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これは河内名所図絵の鹿谷寺跡です。六谷とも呼ばれていたのだろうか。十三重石塔と石窟に刻まれた三尊坐像、さらに手前には先ほど見た石柱でしょうか、仏像のシルエットが見える。その奥の岩場にも石仏が2体。さらに岩の向こうに岩のような仏像のようなシルエットが見える。

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鹿谷寺跡(ろくたんじ)
この遺蹟は、凝灰岩(ぎょうかいがん)の石切場跡に造られた8世紀頃の寺院の跡です。寺の中心部は、石切場跡の尾根を幅10m程度南北に切出して造成されています。遺構としては凝灰岩製の十三重多層塔と浅い石窟に線刻された三尊坐像、及び西側岸壁寄りの小岩塊に浮彫された仏立像一体があるのみです。十三重多層塔は、地山を堀り残して造成されたと伝えられています。また塔の南面には、舎利孔が穿たれています。石窟内の三尊坐像は、比較的保存状態もよく光背や衣の襞、蓮華座も認められます。

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当時のイメージイラストです。

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この十三重石塔はここに設置されたものではなく、この場所にあった巨大な岩から削り出されてできた石塔だそうです。ですので地面と一体化しており、地震が起きてもびくともしません。だから1300年以上も崩れずに残っているのでしょう。

(追記)
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府立近つ飛鳥博物館にはレプリカが展示されています。てっぺんには九輪があったようですよ。

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実物を見てきました。で、でかい。

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岩をこのように削って造っているのだそうです。すごい。

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こちらが石窟です。

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うっすらと三尊坐像が確認できます。

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簡単にトレースしてみました。

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岩の上から見渡すとこのような所。奥の山は二上山の雌岳です。

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石窟横の岩から見るとこのような感じ。周囲が岩で囲まれている空間です。

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この地は、加工しやすい凝灰岩(ぎょうかいがん)の石切場だったので、あらゆる場所に石仏や石塔を彫る事ができました。ここに大陸の石窟寺院の流れをくむ山岳宗教遺跡ができたのは必然だったのかもしれない。

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さて、最初にあった白い岩の塊の向こうに道が続いています。

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緩やかな坂を上ると

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展望台にたどり着きます。

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ここからの見晴らしが素晴らしい。

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歩いてきた竹内街道がよく見えます。

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展望台から振り返ると二上山の雌岳が目の前に。

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河内名所図絵です。二子山と記され、男嶽(岳)と女嶽(岳)になっています。細かく見ていくと鹿谷塔や岩屋、竹内峠の文字が見えます。

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さて、最初の登り口に戻り今度は岩屋へ向かいます。もしかすると鹿谷寺跡からも歩いた方がよかったかも。下から上るとかなりきついです。

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途中に石切場跡がありました。上っていきましょう。

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石切場跡
ここから産した石材は、二上山凝灰岩(ぎょうかいがん)です。古墳時代終末期に奈良県明日香村高松塚古墳、マルコ山古墳の横口式石槨の石槨材として利用されています。また、古墳や石棺のほかにも寺院や宮殿の基壇化粧石などにも利用されています。二上山の岩屋、鹿谷寺跡もかつて凝灰岩石切場の跡を寺院に利用したものと言われています。この石切場跡は、凝灰岩の露頭が剥き出しになっており、岩塊には矢の跡が多く残り方形の切り出し痕跡が認められます。

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当時のイメージイラストです。

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山道を数分上ると石切場跡にたどり着きます。

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これは切出す途中の石なのだろうか。

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高松塚の文字も確認できる。

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さて、再び坂を上りしばらく行くと岩屋への入口が現れます。

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岩屋
この遺蹟は、西向きに開口する大小2基の石窟で構成され、附近から出土する須恵器等から、8世紀奈良時代の築造といわれています。大石窟の内部中央の3層の凝灰岩製多層塔(高さ約3m)の石塔台座下部には、湧水を溜める小抗があります。北壁面には三尊立像を浮彫にしていますが、剥落が著しく光背部分が識別できるに過ぎません。石窟上部の壁面には数ケ所の円形の水平坑が穿たれており、木造の覆屋構造があった可能性が強い。また、当麻寺に所蔵される当麻蔓陀羅を中将姫が、この岩屋で織ったとする伝説が残されています。

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当時のイメージイラストです。

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いきなり前を遮る巨大な倒木。

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これは岩屋杉と呼ばれており、平成10年(1998)に台風で倒れたそうです。

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こちらが史跡 岩屋。

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なんかすごい場所です。大きな石窟と小さな石窟が見える。

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河内名所図絵の岩屋(窟)です。
大きな石窟の中央に石塔があり、左の壁面に複数の仏像。これは壁に刻まれているようです。中央に穴も見える。右の小さい石窟に置いてあるものは何だろう。

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柵の中を見てみましょう。

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中央の石塔はツタが絡んで見えにくいが、塔の凹凸がわかる。左の壁面はよく見えないが、その前には複数の石仏が並んでいる。

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三重塔のようです。

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石窟の上部には穴が複数開いています。何らかの木造の建物がここに造られていたのかもしれない。

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図絵にもあった正面の壁にある穴。

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この岩屋ができたのは西暦700年頃ということは約1300年前です。すごいものが残っていますね。

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展望台からの見晴らしがとても新鮮だったのでミニチュア風にしてみました。いい感じです。

今回は二上山の一部しか歩きませんでしたが、1300年も前の石窟に残る坐像はちょっと驚きでした。十三重石塔も岩から削り出したというのが凄い。すばらしいものが残っています。二上山がこんなに面白いとは思いませんでした。今回は山頂を目指しませんでしたが、いつか雄岳、雌岳に登ってみたい。

竹内街道を歩く時は、
二上山に寄り道すべし ですよ。


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