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日本最古の官道・竹内街道を歩く 1

2014年05月17日 19:30

自難波至京置大道
【難波より京に至るまでに大道を置く】
【なにわよりみやこにいたるまでにおほちをおく】

これは『日本書紀』推古二一年(613)に記された日本最初の官道のことで、難波とは難波津を指し、京とは当時の天皇の宮があった小墾田宮(おはりだのみや)であると考えられています。日本最初の官道とは、上町台地を南北に延びる「難波大道」と、堺付近から竹内峠を越え奈良盆地に抜ける「竹内街道」、そして奈良盆地を東西に横切る「横大路」を結んだ道路のことです。

では、当時の道路網はどのようになっていたのでしょう。近江俊秀氏の著書『道が語る日本の古代史』に「壬申の乱のころの大和・河内の道路網」という図がありますのでそれをカシミール3Dで作成した地形図に重ねてみました。さらに、難波の地形がイメージしやすいように日下雅義氏の『地形からみた歴史』の「6〜7世紀ころの摂津・河内・和泉の景観」の図も重ねています。

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この時代の大阪平野は、まだ土地が不安定であったことがわかります。上町台地の西側には砂州が北に伸び、河内には大きな湖がありました。当時、難波と飛鳥を行き来する為の陸路ルートは複数ありましたが、官道として最初に整備されたのが黄色で記した竹内峠越えのルートです。

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官道が整備されて1400年、日本最古の官道といわれる竹内街道を歩いてみる事にしました。

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近鉄の「上ノ太子(かみのたいし)」駅です。

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こじんまりしたかわいい駅ですが、前の道が竹内街道になります。

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かなりいい感じの案内地図。たまらん。

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歴史の道 竹内街道の碑。

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二上山のふもと、竹内峠から流れる飛鳥川沿いの丘陵地帯が河内飛鳥の本拠地です。古い歴史のあるこの地は、百済の王族(琨伎王)が5世紀末に居住し、古代の日本文化のふるさととなった所です。この駅前の道が竹内街道であり、近くに飛鳥戸神社、河内飛鳥寺址、王陵の谷があります。

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進行方向の反対側に旧飛鳥村がありますのでちょっと竹内街道を逆走することにしました。

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いい町並みが残っていますね。

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立派な蔵。屋根が二段になっている。

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川をまたぐコンクリートの橋が印象的です。

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赤丸ポストも現役でした。

さて、

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再び駅方面に戻り、ここから竹内峠を目指します。
左の道を行くと穴虫峠を越えるルートになりますが、踏切を越えてまっすぐに進みます。

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春日西交差点を右に入ります。左の奥の山は二上山(にじょうざん)です。

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敷設1400年ののぼりが竹内街道沿いにあるので道に迷う事はありませんでした。

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蘇我馬子創建といわれる妙見寺。創建が推古天皇六年(598)というから凄いです。

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緑の一里塚。

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平成25年に「竹内街道・横大路(大道)1400年活性化プロジェクト」の一環として整備されたものです。

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この辺りは自動車があまり通らないので歩きやすい。

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古そうな石灯籠。コンクリートブロックでしっかりブロック。

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古い街道の雰囲気が残っている。

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家々の隙間から二上山が見えます。

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いい町並みです。

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道標がさりげなくあったりする。

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飛鳥川に架かる六枚橋を渡ります。

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ここからゆるやかな坂が続いて行きます。

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和を以って貴しと為す。聖徳太子の十七条憲法の言葉ですね。さすが、太子町。

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しもの地蔵尊。江戸時代中期から街道を通る人を見守ってきた地蔵尊です。

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いい雰囲気ですね。

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旧大道(だいどう)の集落に入りました。

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昔の洗い場でしょうか。いまは水が流れていないのか池っぽくなっていましたが、まわりの石積みがいいですね。

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白壁に瓦の庇が二段になっている。

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立派な石碑。

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家の軒下が土なのがいい。こういうところから昔の風情がイメージできます。

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真宗 正泉寺。

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この石碑は何だろう。

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七番 慈雲庵。でしょうか…

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また道標です。

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推古天皇御陵

科長神社
小野妹子墓

倉山田石川麻呂墓

左 
孝徳天皇御陵

鹿谷寺旧蹟
中将姫旧蹟

この道標は比較的読みやすい。

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この場所に国登録文化財の大道旧山本家住宅があります。一般公開しているようなので入ってみる事にしました。

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街道から少し下がった場所にある大和棟民家です。ここから下りて行けるのですが、段差があるので後ろから。

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ここから入ります。左のすみっこから。

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いきなり気になるものが。

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これは「警察への御注文を」のポストですね。

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こちらが玄関です。

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大和棟とは、切妻造り茅葺き屋根の両端の妻部分に、ウダツという白壁を作り、かわらを載せた特徴的な造りで、高塀造(たかへづくり)ともいわれているそうです。

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確かにかなり特徴のある屋根ですよね。

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とても素敵な土間です。

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大小5つ並んだかまど。

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石造りの洗面台。

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大甕(おおがめ)。これは水がめではなく、近くの民家で発見された菜種油を貯蔵するための甕で、六畳ほどのスペースに大甕が10ほど肩まで埋められた甕蔵から掘り出したものです。

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中に上がると、昔の用具がたくさん並んでいました。とても珍しいものばかり。

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この細長いランプは珍しいかも。

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ダイヤルのない電話だ。

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中庭も素敵です。

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床がミシミシと…。

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この電気配線がたまらん。

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離れから主屋を見たところ。

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庭から主屋を見たところです。

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さて、竹内街道にもどります。

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うっ、不審者の目で見られている…。

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街道沿いの歴史的景観に寄与するいい建物でした。街道沿いにこのような建物が残っていると嬉しくなります。学術的に貴重な建物を残す事も大事ですが、その建物を残す事で、周辺の歴史的景観も同時に残すことになることを実感できるいい事例だと思いました。

さて、次は二上山に向かいます。


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