2014年03月08日 22:30
さよならションベン横丁
復興を願って

2014年3月7日午前9時頃の写真です。
まだこの時間帯は煙がすごい勢いで立ち上がっていました。

阪急十三駅の西改札口は完全封鎖。まだ危険な状態でした。

波平通りもこれ以上は行けない。向こうでは消火活動が行われています。

周辺道路もこのような状態。多くの消防車が中に入れないようでした。

ホースは東口からも地下道を通って西口のションベン横丁へ。

十三駅構内も煙でこのような状態でした。

夜にも立ち寄りました。西改札口です。ここから見る限り丸一屋はかなりの被害、今里屋久兵衛はギリギリ延焼を免れたように見えるが詳しくはわかりません。

外からもこれ以上は行けませんでした。

翌日の朝です。

言葉を失いました。

ここからは向こうが見えない。

北側にまわってみました。

奥では現場検証が行われている様子。

今回の火災は本当にショックでした。
関係者の皆さんはもっと心を痛めていることと思います。
心よりお見舞い申し上げます。

2008年12月に撮った写真です。
ちょっと昔の写真を引っ張りだしてきたのでいくつかご紹介を。

大衆酒場十三屋。朝の10時から店が開いてましたね。この日も賑わっていました。

この通り、正確にはしょんべん横丁ではなく中筋(なかすじ)といいます。しょんべん横丁は駅側になります。

トリスバーの黄色い看板。こちらに通っていた方も多いのではないでしょうか。

阪急神戸線ホーム横のこの細い道がしょんべん横丁。

昔は西口付近にトイレがなかったのでここで小便をした人が多かったようです。

いまはする人がいなくなったと思いますが、

鳥居がここにも

こっちにも。

昔は小便臭かったのでしょう。

今は公衆便所ができています。

しょんべん横丁の昼間。

そして夜。

夜になると雰囲気がガラリと変わります。

この道の狭さがふらっと店に入りたくなる狭さなのかもしれない。

中がのぞけてメニューも表に貼っていたりして。

やはりこの横丁は夜が似合う。

こちらの店構えはシュッとしてましたね。

なかすじです。

こっち側は看板が両側からごちゃごちゃしてる。

でも重なってないんですよね。これが。

この眺めがもう見れないのかと思うとちょっと悲しい。
「ふるさとの想い出写真集明治大正昭和・大阪」より

これは昭和20年6月7日の大阪大空襲の日、夕方には神戸線のみが運転再開したようでその時の様子を写しています。多くの人が駅に押し寄せています。右の道が現在のなかすじ。左のホームの下には防空壕の穴が複数見えます。その辺りが今のしょんべん横丁だと思います。
「新風土記 1958・大阪府/岩波写真文庫」より

これは昭和33年の写真です。写真右側に神戸線のホームとしょんべん横丁となかすじが写っています。この密集した状態が現在まで続いていました。ほとんどが木造住宅なので、もし火事が起きればそのほとんどが焼けてしまうということは皆がどこかでわかっていたはず。それが現実に起きてしまいました。
今後の復興には法律という大きな壁が待ち構えています。
私は法律の素人ですので詳しいことはわかりませんが、このしょんべん横丁一帯は、建築基準法の制定(昭和25年)以前に建てられた物が多いと思われるので、新たに建築する場合、道路の中心から約2m離す必要があります。今の道幅がわかりませんが、全体的に数十cm〜1mほど後退する必要があると思われます。そんなことしたら狭い店がもっと狭くなってしまう。
平成14年に起きた法善寺横丁の火災の時も同じような問題が起きました。この時は、当時の市長が「行政としても何ができるか知恵を出すように」と指示を出したこともあり、行政を巻き込んでの復興事業により横丁が存続できました。しょんべん横丁と法善寺横丁を比べるのは無理があるかもしれませんが、何か解決策があるかもしれません。

この小便小僧は見返りトミー君。この地域のシンボルです。

ションベン横丁って名前にいいイメージはないかもしれませんが、我々地元の人間にとっては愛着のある呼び名です。復興した時もこの呼び名で呼びたくなるような飲食街になってほしい。

ションベン横丁の復興、
全力で応援していきたいと思います。
(追記)

地元の商店街も動き出しています。トミータウン会長の中田八朗氏は喜八洲総本舗の社長です。中田氏の心強い言葉が心に響きました。私は地元の歴史を調べている人間ですからあの場所の生い立ちはわかっています。ネガティブな意見が出ても仕方がないとも思っています。ただ、しょんべん横丁は焼け野原だった十三が大歓楽街へと発展していった象徴的な場所のひとつです。しょんべん横丁に行くためにわざわざ電車を降りてくださる方も多い。地域活性化のためにも、しょんべん横丁の復活はとても重要です。行政の方々にもぜひ前向きに協力していただきたい。解決策が必ずあるはずです。時間がかかると思いますが見守っていきたいと思います。
(追記)
「十三横丁、火災1週間…大阪市が特別チーム」2014.03.14 読売新聞 (capture)
↑大阪市長選挙中で対応の遅れを心配していましたが、副市長がリーダーシップを発揮してくださっています。
ポチッと、応援よろしく♪
復興を願って

2014年3月7日午前9時頃の写真です。
まだこの時間帯は煙がすごい勢いで立ち上がっていました。

阪急十三駅の西改札口は完全封鎖。まだ危険な状態でした。

波平通りもこれ以上は行けない。向こうでは消火活動が行われています。

周辺道路もこのような状態。多くの消防車が中に入れないようでした。

ホースは東口からも地下道を通って西口のションベン横丁へ。

十三駅構内も煙でこのような状態でした。

夜にも立ち寄りました。西改札口です。ここから見る限り丸一屋はかなりの被害、今里屋久兵衛はギリギリ延焼を免れたように見えるが詳しくはわかりません。

外からもこれ以上は行けませんでした。

翌日の朝です。

言葉を失いました。

ここからは向こうが見えない。

北側にまわってみました。

奥では現場検証が行われている様子。

今回の火災は本当にショックでした。
関係者の皆さんはもっと心を痛めていることと思います。
心よりお見舞い申し上げます。

2008年12月に撮った写真です。
ちょっと昔の写真を引っ張りだしてきたのでいくつかご紹介を。

大衆酒場十三屋。朝の10時から店が開いてましたね。この日も賑わっていました。

この通り、正確にはしょんべん横丁ではなく中筋(なかすじ)といいます。しょんべん横丁は駅側になります。

トリスバーの黄色い看板。こちらに通っていた方も多いのではないでしょうか。

阪急神戸線ホーム横のこの細い道がしょんべん横丁。

昔は西口付近にトイレがなかったのでここで小便をした人が多かったようです。

いまはする人がいなくなったと思いますが、

鳥居がここにも

こっちにも。

昔は小便臭かったのでしょう。

今は公衆便所ができています。

しょんべん横丁の昼間。

そして夜。

夜になると雰囲気がガラリと変わります。

この道の狭さがふらっと店に入りたくなる狭さなのかもしれない。

中がのぞけてメニューも表に貼っていたりして。

やはりこの横丁は夜が似合う。

こちらの店構えはシュッとしてましたね。

なかすじです。

こっち側は看板が両側からごちゃごちゃしてる。

でも重なってないんですよね。これが。

この眺めがもう見れないのかと思うとちょっと悲しい。
「ふるさとの想い出写真集明治大正昭和・大阪」より

これは昭和20年6月7日の大阪大空襲の日、夕方には神戸線のみが運転再開したようでその時の様子を写しています。多くの人が駅に押し寄せています。右の道が現在のなかすじ。左のホームの下には防空壕の穴が複数見えます。その辺りが今のしょんべん横丁だと思います。
「新風土記 1958・大阪府/岩波写真文庫」より

これは昭和33年の写真です。写真右側に神戸線のホームとしょんべん横丁となかすじが写っています。この密集した状態が現在まで続いていました。ほとんどが木造住宅なので、もし火事が起きればそのほとんどが焼けてしまうということは皆がどこかでわかっていたはず。それが現実に起きてしまいました。
今後の復興には法律という大きな壁が待ち構えています。
私は法律の素人ですので詳しいことはわかりませんが、このしょんべん横丁一帯は、建築基準法の制定(昭和25年)以前に建てられた物が多いと思われるので、新たに建築する場合、道路の中心から約2m離す必要があります。今の道幅がわかりませんが、全体的に数十cm〜1mほど後退する必要があると思われます。そんなことしたら狭い店がもっと狭くなってしまう。
平成14年に起きた法善寺横丁の火災の時も同じような問題が起きました。この時は、当時の市長が「行政としても何ができるか知恵を出すように」と指示を出したこともあり、行政を巻き込んでの復興事業により横丁が存続できました。しょんべん横丁と法善寺横丁を比べるのは無理があるかもしれませんが、何か解決策があるかもしれません。

この小便小僧は見返りトミー君。この地域のシンボルです。

ションベン横丁って名前にいいイメージはないかもしれませんが、我々地元の人間にとっては愛着のある呼び名です。復興した時もこの呼び名で呼びたくなるような飲食街になってほしい。

ションベン横丁の復興、
全力で応援していきたいと思います。
(追記)

地元の商店街も動き出しています。トミータウン会長の中田八朗氏は喜八洲総本舗の社長です。中田氏の心強い言葉が心に響きました。私は地元の歴史を調べている人間ですからあの場所の生い立ちはわかっています。ネガティブな意見が出ても仕方がないとも思っています。ただ、しょんべん横丁は焼け野原だった十三が大歓楽街へと発展していった象徴的な場所のひとつです。しょんべん横丁に行くためにわざわざ電車を降りてくださる方も多い。地域活性化のためにも、しょんべん横丁の復活はとても重要です。行政の方々にもぜひ前向きに協力していただきたい。解決策が必ずあるはずです。時間がかかると思いますが見守っていきたいと思います。
(追記)
「十三横丁、火災1週間…大阪市が特別チーム」2014.03.14 読売新聞 (capture)
↑大阪市長選挙中で対応の遅れを心配していましたが、副市長がリーダーシップを発揮してくださっています。
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
燃えてしまいましたね
燃えてしまいましたね けが人や死人がでんなかったのは奇跡的でしたね
同窓生が良く利用するのは波平通りの富五郎ですので 情報が出てこないうちはみんな富五郎の心配をしていました
神戸線に乗って通学していた頃 ホームで待つのも フェンスの近くに寄ると本当にションベン臭かったものです
戦後の焼け跡のバラックの雰囲気を残す横丁はもう無理でしょうね
法善寺横丁のように文学的な風情もない町ですから 市はここぞと行政指導をしてくるのではないでしょうか
今里や久兵衛のヤキモチ食べたいです
( 2014年03月08日 23:03 [Edit] )
宿 | URL | 2DdjN05.
あまりの事に上手く言葉が出ないです
THE生活圏内と言いますか…
普段プライベートで飲みに行くならこの場所で(ToT)
馴染みのお店も多いんです…
この先どうなってしまうのやら
出来れば前の様の情緒を残しつつ、復活して欲しいですが
消防法を考えると無理なのでしょうね…本当に残念です(ToT)
( 2014年03月09日 00:37 [Edit] )
きっちゃん♪ | URL | -
こんにちは♪
金曜日は朝から驚きました!!
お店には入ったことはないですが…
先月の23日、喜八洲でおはぎを買ったばかりです。
淡路の銀杏はやはり切られましたね
( 2014年03月09日 12:04 )
今里屋久兵衛 | URL | -
こんにちは 新之介さん
昨日から商店街の復興に向けての 話し合いも始まりました
時間はかかると思いますが 今回被災した店舗みんなで
再開出来るように頑張ります!
新之介さん、またこのブログをご覧になってる皆様
応援よろしくお願いします。
( 2014年03月09日 12:25 )
地元客 | URL | SFo5/nok
詳しく載せて頂き感謝☆
今回の火事、めちゃくちゃ悲しいですね。
すぐに復興とか言うのも無茶かもしれませんが、十三がこれからも他の地域からも御客さんが沢山きてもらえるような温かい下町であり続ける事を願います。
昨日現場に通り掛かり、惨事の跡を見ました。絶句でした。
ションベン横丁の元の姿を見たいと強く思い、このブログに辿りつきました。ありがとうございました。
( 2014年03月09日 15:36 [Edit] )
星乃 勝 | URL | GOstQ/eM
残念ですね…
十三の「しょんべん横町」は数回しか行ったことはないですが、よい風情が残っている地域でしたね。
先日、十三第七芸術劇場に映画を観に行ったのが遅い時間帯なら、間違いなくしょんべん横町で沈没していました。
過去の写真も掲載されているので貴重なアーカイブになると思います。
( 2014年03月09日 15:41 [Edit] )
淀川区民 | URL | -
ション横を再建するより...
飲み屋の常連さんにしたら十三は風情がある街に見えるのでしょうけど、大半の方からすればガラが悪くて近寄りにくいんですよ。跡地には十三駅を利用する方や区民が気軽に利用できる施設を作ってほしいです。
( 2014年03月10日 18:39 )
今すぐには無理かもしれませんが | URL | 2x.LPFvg
いつか
今すぐには無理かもしれませんが、いつかションベン横丁の追悼会のようなものがいつかあったら良いなあ。
お店の人を元気付けれるような…。
( 2014年03月10日 22:18 [Edit] )
甘党 | URL | HfMzn2gY
怪我人が無くて良かった
左党ではない甘党としても、十三焼きや鯛焼きのお店が被災したのは悲しいことです。
今回は本当に怪我人が無くて何よりでしたが、建築基準法がなぜ改正されたかを考えると、来たるべき南海地震やその他の地震・災害に備える必要があるでしょうね。味気ないかも知れませんが、丈夫な複合ビルでも作って、飲み屋さんも甘いもの屋さんも仲良く同居して、安心して利用できるようにして欲しいと思います。
木造家屋が密集している中、消防車もなかなか入れないのに、この1ブロックだけの被害に抑えた消防署の方々の尽力に頭が下がりました。
( 2014年03月11日 11:19 [Edit] )
masa | URL | -
やっぱりここは行政が機転を利かせて、元に戻すべし。
地元中心の町で、こういう街はこういう街の良さがある。
へんに再開発で廃れた新長田の二の舞は避けるべし。
それより大工事とはいえ、阪急の十三駅と周辺の高架化が僅々の課題ではないだろうか。
( 2014年03月11日 11:37 )
ももぱぱ | URL | -
青春の1ページ
私の青春の1ページが燃えてしまいました。
悲しい。。。
十三屋のみなさん、必ず復興してください。
遠い福岡から応援しています。
「がんばれ!」
( 2014年03月11日 16:37 )
Kleinekiefer | URL | -
嗚呼…
新人以来四半世紀、しばし寄ってたのに。
入口の焼鳥屋は、前のオッサンの頃から。
地震があったらヤバいとは思ってたけど、
まさか火災とはorz
( 2014年03月11日 18:13 )
| URL | -
再建なんて 信じられないね!
もともと 不法占拠から始まった横丁 ここは大阪市の土地ですよ
防空空地がいつのまにやら 占拠され続け、火災の延焼を防ぐために
設けられた空地が 皮肉にも今回の火災で空地に戻す機会ができたのは なによりの救いでしょ、、 再建なんて もってのほか
市民のための憩いの広場にするのが 公平なものの考え方!!
( 2014年03月12日 00:20 )
元十三民 | URL | -
不法占拠
そもそもあそこは不法占拠では?
違います?
( 2014年03月14日 00:32 )
o | URL | -
現地では、復旧の為の嘆願書の署名活動が行われていました。
自分も立ち寄った事もあり、ここの愛着はありますが、
復旧は不可能です。
( 2014年03月21日 02:49 )
今里屋久兵衛 | URL | 8vDJ5yY6
この場をお借りして、復興お祈りいたします。
以前、今里屋久兵衛の本店移転のニュースをここで教えていただきました。
復興に向けて、尽力されているようですね。少し安心しました。
このブログとお店に感謝。
それにしても、猛煙が上がっている最中に、阪急神戸線何事もないような感じで運転してました!
( 2014年03月21日 22:47 [Edit] )
o | URL | gjyayttY
ションベン横丁の・・・
復旧は不可能です、と書いてはみましたが、
一度法善寺横丁を見に行こうと思います。
二度焼けた法善寺横丁が何故復興したのか。
しょんべん横丁の復興が何故困難なのか?
( 2014年03月24日 22:47 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
想起
たとえは良くないかもしれませんが、電気のコンセントとプラグの隙間に溜まったホコリになんらかの刺激で着火してしまう危険に似ていたと思います。密集した木造家屋の隙間の人知れぬ出火が大火災になってしまう・・・。
それと、いつか来る大阪の直下型地震の時。冬期、全家庭で火を使っている時間帯。震度7。今回の十三の火災のように一気に広がる火災がいたるところで多発するような状況。
出動可能な全消防車のキャパなどどうにもならない、そんな地獄絵を想像してしまいました。そのようなことを考えてしまったのは店主様の皆様には申し訳ないのですが、大阪の住民として火災のあり方を新たな想定としてイメージ化する必要はあるように思います。
阪神淡路大震災の時の神戸の長田の様子を大阪の人たちは忘れてはいけないと思います。今回の横丁の消失面積の何倍もの広大な面積の家々が燃えてしまったのですから。
横丁のご復興を願っております。
( 2014年03月30日 09:24 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
別件 十三新駅への派生的思い
masa様が十三駅の高架化に触れておられます。
私は今の地点に十三駅を高架で作るのは無理かと思います。
地下化は阪神なんば線の安治川橋梁⇔九条駅以上の高低差を覚悟する必要と
津波や淀川決壊などを想定したときにデメリットがあるでしょう。
高架が地下よりベターだと思います。
で南から淀川橋梁を渡ったところすぐに車両レーン等の幅員がありますので
そこにじわじわと新駅を作っていくしかないと思います。
神戸線5年・宝塚線同・京都線同で15年計画。
当然工事中の乗り換えは不自由になりますが、
かつての梅田駅移設に匹敵するくらいの覚悟が阪急とその利用者には必要かと思います。
おそらく、私はこの世から消えていると思いますが、
十三新駅は阪急の悲願でしょうから、南シフトで取り掛かって欲しいです。(毎日見る初夢のような夢物語かもしれません)
( 2014年03月30日 09:50 [Edit] )
通りすがり | URL | RpRZ5X7E
市長ぶら下がり会見
こんにちは。お邪魔します。
26日の市長退庁時ぶら下がり会見で十三火災についての話題が出ていました。
道幅を広げずに再建できるかどうかのキーポイントがわかる内容です。
http://www.youtube.com/watch?v=Il0VPCc8ILA
これによると、法律上の特例が必要になるような壁があるわけではなく、
借地権者の全体合意が形成出来るかどうかにかかっているようです。
市長は、8m道路ありきでなく狭い道幅に計画変更することもありえる前提で、という方針を示しているようです。
( 2014年03月30日 17:08 [Edit] )
なにわのび太 | URL | 8iCOsRG2
こんにちは、お久しぶりです。
十三の警察署向かい側の専門学校の学生だったころ、5年間火事があった通りを駅から降りて通学していました。懐かしい場所が消えるなんて悲しいです!
( 2014年04月03日 16:26 [Edit] )
matu | URL | s4Fw8DyQ
募金署名のテントを覗いたら、某有名バーのマスターが受付をしていました。「全部、燃えてしもうたわ・・・」と肩を落す姿を見るのは辛かったです。
なんとか復興できないものでしょうか?
( 2014年04月15日 22:20 [Edit] )
| |
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2014年04月16日 22:42 )
うどん | URL | mQop/nM.
募金?
もともと不法占拠であったのを、市が破格の安い時代で貸す、という形にしてうやむやにしてきた地域。
そこに火事が起きて、で、募金?
( 2014年04月25日 23:37 [Edit] )
通りすがり | URL | -
今里屋さんの仮店舗が
近くのCoCo壱の隣に出来ていました。偶然通りかかったんですが、余り人通りはなさそうなので、厳しそうです。
せっかくなので、十三焼を買って帰りました。
( 2014年05月01日 23:26 )
げん | URL | JalddpaA
「十三」というイメージに地元はこだわっているようやけど、他の大阪市民からすればそれほど価値の有る物ではないですね。
似たような場所は市内にいくつも有りますし。
場末の飲み屋街はもう卒業して再開発したほうがいいのではないでしょうかね。
あべのキューズモールも以前はオッサンの街でしたが、再開発で成功していますしね。
( 2014年05月08日 06:04 [Edit] )
思い出横丁 | URL | yYiRKz0U
復興後の商店街ネーミングについて。男(飲み助)の意地
で今迄の呼び名は使わないようお願いします。あれは昔の事と諦めましょう。今は女性が主体です。このことを考えず昔のネーミングを用いれば、女性は生理的に「嫌なものは嫌」ですから発展は望めません。最後に「なには横丁」などはどうでしょうか。
( 2014年08月29日 11:27 [Edit] )
権兵衛 | URL | yYiRKz0U
今回火災に遭われ、本当にお気の毒で御座います。
一日も早く復興され事を祈念します。
東の「思い出横丁」は良きネーミング頂き、心の拠り所を
受継いで発展しております。なにわの文化も大切ですが、
やはりみんなに愛されるためには復興後のネーミングは
一線を越えてはなりません。
Editさん仰る通リです、女性が口にでき難い語句は放送にも
差支える考えます。私も「なにわ思い出横丁」「浪花思い出横丁」
等を提案します。そして「思い出横丁」と共に発展されることを
切に希望いたします。
( 2014年09月01日 11:43 [Edit] )
浜村ジュン | URL | s2segW6w
しょんべん横丁の火災の事をこのブログで知りました。
おそらく新之助さんとは同世代なのでご記憶にあるかと思いますが、今から35年ほど前になか横丁(弁当屋巳喜屋を入った通り)で火災がありました。その時は確か1店舗が焼けたのみだったと思いますが、今回の被害はより深刻ですね。
一日も早い復興を願っています。
( 2014年12月28日 05:37 [Edit] )
山田 | URL | -
火災をおこした
店の店主が責任とらなくて良いのがすごいなって思うけど
元アナバとかいう
店のおばあさんね
( 2015年12月09日 07:39 )
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管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2019年03月03日 12:37 )
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