2014年02月24日 07:00
さよなら地下鉄梅田駅・
アーチ空間のシャンデリア

2月8日にインスタグラムにアップした写真です。
このときはアーチ天井の改修工事としか貼り紙には書かれていなかったのですが、2月17日に大阪市交通局からアーチ空間が刷新するという報道発表がありました。
→「御堂筋線梅田駅のアーチ空間を刷新します」大阪市
大阪市交通局の募集要項の配布資料より

↑従来のこの空間が ↓このように変わります。

蛍光灯照明(シャンデリア)がなくなっている!
天井もすごいことに!
(※蛍光灯照明(シャンデリア)は「大阪市地下鉄建設五十年史」ではシャンデリアと記されていたため、以下「シャンデリア」とします)
もう、びっくり!
あのシャンデリアって、レトロだけどモダンな感じがしてかなりよかったんですよね。でもそれほど古いものだというイメージはなかったのですが、ネット上では結構不満の声が上がっていたように思います。そんな中で工事は着々と進行中。あのシャンデリアが見れるのもあとわずか。ということで、見納めをしてきました。

いまはこんな感じで、シャンデリアがわずかに残っています。

工事の完成は平成27年(2015)春。

工事が行われているのは斜線部分です。

アーチの下はこのような状態。

反対側の階段上から見たところですが、シャンデリアのほとんどが外されています。

残っているのは2基。

奥のは蛍光灯がないでもうすぐ外されるのでしょう。

こんなにじっくり見たのは初めてかもしれない。

これは数日前に撮った写真ですが、明かりがついていなかったのでカタチがよくわかります。ちなみに蛍光灯はシャンデリア1基にFLR40Wが60本使われていているそうです。
ところで、このシャンデリアは
いつから取り付けられているのでしょうか?
とても素朴な疑問なのですが、これが結構難題でした。図書館で関連資料をたくさん借りたのですがシャンデリアの設置時期について記されているページを見つけることができませんでした。ですので数少ない資料から設置時期を推測していきたいと思います。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

この写真は梅田駅の竣工当時(昭和10年頃)のものと思われます。当時の照明はこのような行灯型でした。蛍光灯ではなく白熱灯です。ちなみに当時の照度基準の表がありました。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

現在のホームは200ルクスを基準としているようですが、当時は30〜40ルクスだったようです。かなり暗かったのでしょうね。
「大阪市営交通創業100年」より

これは昭和13年(1938)の梅田駅の写真です。天王寺駅まで開通した年です。この撮影にはかなり大掛かりな照明を用意したのでしょう。とても明るく見えます。
「写真で見る大阪市100年」より

この写真はいつ撮られたか記されていなかったのですが、電車が天王寺行きなのと乗客の衣装などからおそらく上の写真と同じ昭和13年頃だと思われます。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これは昭和30年頃の写真です。照明が変わりましたね。吊り下げ型から天井に直付になっています。
「大阪の地下鉄」より

一気に飛びますが、昭和56年(1981)3月と記された工事完成時と思われる写真と昭和12年との比較です。この時には照明が現在のものになっています。
「万博前夜の大阪市営地下鉄」より

少し戻ってこれは昭和44年(1969)年の写真です。この時も照明が今と同じものになっていますね。これらの写真から推測すると、シャンデリアが設置されたのは昭和30年頃〜昭和44年の間だということになります。
「大阪市地下鉄建設五十年史」より

で、この表を見てください。これは各停留場の蛍光灯に変わった年月日の表です。梅田駅のホームは昭和27年(1952)、淀屋橋のホームも昭和27年、心斎橋のホームは昭和28年(1953)に白熱灯から蛍光灯に変わっています。
ここからは推測です。梅田駅ホームの蛍光灯化は2段階に分かれています。最初は昭和27年にアーチ天井に直接設置され、その後シャンデリアが設置されました。シャンデリアに切り替わった時期は昭和30年代〜昭和44年の間。この間に何があったのかというと、梅田ー新大阪間の開通(昭和39年)とあの日本万国博覧会があった訳です。日本万国博覧会の開催が決定したのは昭和40年(1965)9月。その決定により、昭和41年に大阪市高速鉄道基本計画及び緊急整備五か年計画の延伸改訂が行われています。昭和45年(1970)に新大阪ー江坂間が、北大阪急行鉄道により江坂ー万国博中央口間が開通します。あのシャンデリアが設置された時期は、新大阪まで開通した昭和39年(1964)から万博開催前年の昭和44年(1969)の間ではなかったかと考えています。詳しいことがわかれば追記する予定です。
ところで、他の駅のシャンデリアはどうなのでしょう。

これは淀屋橋駅のシャンデリアです。これもいいですよね。
「大阪市地下鉄の歩み」より

竣工時はこのような照明デザインでした。
「鉄道ピクトリアル93年12月臨時増刊号」より

この写真はツイッターで教えていただいた写真ですが、昭和43年(1968)8月の淀屋橋駅です。開業時と同じ照明が天井に確認できます。おそらくデザインは変えずに蛍光灯化していたのでしょう。

このシャンデリアの設置時期もいまのところわからないのです。

真下から見てもかなりカッコイイです。

ではこれはどこでしょう。

心斎橋駅のシャンデリアです。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これが心斎橋駅の竣工時の写真。当初は両サイドに吊り下げられていました。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これは昭和28年(1953)の写真です。照明がシャンデリアに変わっていますね。吊り下げ看板には「祝市電創業50周年記念・地下鉄開通20周年記念」と書かれています。心斎橋駅のホームの蛍光灯化は昭和28年ですから、蛍光灯化に合わせてデザインを一新したことがわかります。

そのデザインがいまでも残っています。おそらく老朽化等で作り替えているかもしれませんが、デザインはほぼそのまま継承されている。これは素晴らしいことです。

梅田駅のシャンデリアは残念ながら無くなってしまいますが、あとに残る淀屋橋駅や心斎橋駅、天王寺駅の各照明デザインは今後も残っていって欲しい。各駅も随時LED照明化されていくかもしれませんが、照明会社さんにはデザインを変えずにLED化にチャレンジしてもらいたいところです。
(追記)

地下鉄御堂筋線天王寺駅です。この蛍光灯照明もいいですよね。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

これが開業当時の天王寺駅。照明は行灯型で縦に長いのが特徴。

実は天王寺駅構内に開業当時の照明が残されています。あびこ・なかもず方面行きホームの進行方向前方の階段の上にありました。どなたの判断でここに残ったのでしょう。とても貴重ですね。これからもずっと大切に残してもらいたいものです。
(おまけ)

この写真の中にあの照明が!
ここは吉本興業の東京本部が入るオフィス。閉校になった旧四谷第五小学校なのだそうです。実はこの照明は地下鉄に設置しているものを納入した照明会社に発注されたものらしい。その会社の社史等から探すという方法もあることをツイッターで教えていただきました。逆転の発想ですね。何かわかれば追記します。
(関連記事)
「吉本興業が新宿の小学校跡に移転。夏は暑く、冬は寒いオフィス?」日経トレンディネット
(追記)
心斎橋駅のシャンデリアを復元した会社が東大阪にあることを教えていただきました。平成10年頃に新しくなったようです。吉本興行の東京本部に納入した会社とは違うようですがご参考までに。→「心斎橋 屋内天井灯」八紘電機株式会社
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アーチ空間のシャンデリア

2月8日にインスタグラムにアップした写真です。
このときはアーチ天井の改修工事としか貼り紙には書かれていなかったのですが、2月17日に大阪市交通局からアーチ空間が刷新するという報道発表がありました。
→「御堂筋線梅田駅のアーチ空間を刷新します」大阪市
大阪市交通局の募集要項の配布資料より

↑従来のこの空間が ↓このように変わります。

蛍光灯照明(シャンデリア)がなくなっている!
天井もすごいことに!
(※蛍光灯照明(シャンデリア)は「大阪市地下鉄建設五十年史」ではシャンデリアと記されていたため、以下「シャンデリア」とします)
もう、びっくり!
あのシャンデリアって、レトロだけどモダンな感じがしてかなりよかったんですよね。でもそれほど古いものだというイメージはなかったのですが、ネット上では結構不満の声が上がっていたように思います。そんな中で工事は着々と進行中。あのシャンデリアが見れるのもあとわずか。ということで、見納めをしてきました。

いまはこんな感じで、シャンデリアがわずかに残っています。

工事の完成は平成27年(2015)春。

工事が行われているのは斜線部分です。

アーチの下はこのような状態。

反対側の階段上から見たところですが、シャンデリアのほとんどが外されています。

残っているのは2基。

奥のは蛍光灯がないでもうすぐ外されるのでしょう。

こんなにじっくり見たのは初めてかもしれない。

これは数日前に撮った写真ですが、明かりがついていなかったのでカタチがよくわかります。ちなみに蛍光灯はシャンデリア1基にFLR40Wが60本使われていているそうです。
ところで、このシャンデリアは
いつから取り付けられているのでしょうか?
とても素朴な疑問なのですが、これが結構難題でした。図書館で関連資料をたくさん借りたのですがシャンデリアの設置時期について記されているページを見つけることができませんでした。ですので数少ない資料から設置時期を推測していきたいと思います。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

この写真は梅田駅の竣工当時(昭和10年頃)のものと思われます。当時の照明はこのような行灯型でした。蛍光灯ではなく白熱灯です。ちなみに当時の照度基準の表がありました。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

現在のホームは200ルクスを基準としているようですが、当時は30〜40ルクスだったようです。かなり暗かったのでしょうね。
「大阪市営交通創業100年」より

これは昭和13年(1938)の梅田駅の写真です。天王寺駅まで開通した年です。この撮影にはかなり大掛かりな照明を用意したのでしょう。とても明るく見えます。
「写真で見る大阪市100年」より

この写真はいつ撮られたか記されていなかったのですが、電車が天王寺行きなのと乗客の衣装などからおそらく上の写真と同じ昭和13年頃だと思われます。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これは昭和30年頃の写真です。照明が変わりましたね。吊り下げ型から天井に直付になっています。
「大阪の地下鉄」より

一気に飛びますが、昭和56年(1981)3月と記された工事完成時と思われる写真と昭和12年との比較です。この時には照明が現在のものになっています。
「万博前夜の大阪市営地下鉄」より

少し戻ってこれは昭和44年(1969)年の写真です。この時も照明が今と同じものになっていますね。これらの写真から推測すると、シャンデリアが設置されたのは昭和30年頃〜昭和44年の間だということになります。
「大阪市地下鉄建設五十年史」より

で、この表を見てください。これは各停留場の蛍光灯に変わった年月日の表です。梅田駅のホームは昭和27年(1952)、淀屋橋のホームも昭和27年、心斎橋のホームは昭和28年(1953)に白熱灯から蛍光灯に変わっています。
ここからは推測です。梅田駅ホームの蛍光灯化は2段階に分かれています。最初は昭和27年にアーチ天井に直接設置され、その後シャンデリアが設置されました。シャンデリアに切り替わった時期は昭和30年代〜昭和44年の間。この間に何があったのかというと、梅田ー新大阪間の開通(昭和39年)とあの日本万国博覧会があった訳です。日本万国博覧会の開催が決定したのは昭和40年(1965)9月。その決定により、昭和41年に大阪市高速鉄道基本計画及び緊急整備五か年計画の延伸改訂が行われています。昭和45年(1970)に新大阪ー江坂間が、北大阪急行鉄道により江坂ー万国博中央口間が開通します。あのシャンデリアが設置された時期は、新大阪まで開通した昭和39年(1964)から万博開催前年の昭和44年(1969)の間ではなかったかと考えています。詳しいことがわかれば追記する予定です。
ところで、他の駅のシャンデリアはどうなのでしょう。

これは淀屋橋駅のシャンデリアです。これもいいですよね。
「大阪市地下鉄の歩み」より

竣工時はこのような照明デザインでした。
「鉄道ピクトリアル93年12月臨時増刊号」より

この写真はツイッターで教えていただいた写真ですが、昭和43年(1968)8月の淀屋橋駅です。開業時と同じ照明が天井に確認できます。おそらくデザインは変えずに蛍光灯化していたのでしょう。

このシャンデリアの設置時期もいまのところわからないのです。

真下から見てもかなりカッコイイです。

ではこれはどこでしょう。

心斎橋駅のシャンデリアです。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これが心斎橋駅の竣工時の写真。当初は両サイドに吊り下げられていました。
「昭和の大阪・郷愁のあの街この街」より

これは昭和28年(1953)の写真です。照明がシャンデリアに変わっていますね。吊り下げ看板には「祝市電創業50周年記念・地下鉄開通20周年記念」と書かれています。心斎橋駅のホームの蛍光灯化は昭和28年ですから、蛍光灯化に合わせてデザインを一新したことがわかります。

そのデザインがいまでも残っています。おそらく老朽化等で作り替えているかもしれませんが、デザインはほぼそのまま継承されている。これは素晴らしいことです。

梅田駅のシャンデリアは残念ながら無くなってしまいますが、あとに残る淀屋橋駅や心斎橋駅、天王寺駅の各照明デザインは今後も残っていって欲しい。各駅も随時LED照明化されていくかもしれませんが、照明会社さんにはデザインを変えずにLED化にチャレンジしてもらいたいところです。
(追記)

地下鉄御堂筋線天王寺駅です。この蛍光灯照明もいいですよね。
「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」より

これが開業当時の天王寺駅。照明は行灯型で縦に長いのが特徴。

実は天王寺駅構内に開業当時の照明が残されています。あびこ・なかもず方面行きホームの進行方向前方の階段の上にありました。どなたの判断でここに残ったのでしょう。とても貴重ですね。これからもずっと大切に残してもらいたいものです。
(おまけ)

この写真の中にあの照明が!
ここは吉本興業の東京本部が入るオフィス。閉校になった旧四谷第五小学校なのだそうです。実はこの照明は地下鉄に設置しているものを納入した照明会社に発注されたものらしい。その会社の社史等から探すという方法もあることをツイッターで教えていただきました。逆転の発想ですね。何かわかれば追記します。
(関連記事)
「吉本興業が新宿の小学校跡に移転。夏は暑く、冬は寒いオフィス?」日経トレンディネット
(追記)
心斎橋駅のシャンデリアを復元した会社が東大阪にあることを教えていただきました。平成10年頃に新しくなったようです。吉本興行の東京本部に納入した会社とは違うようですがご参考までに。→「心斎橋 屋内天井灯」八紘電機株式会社
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コメント
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( 2014年02月24日 17:07 )
常陸野牛久 | URL | T4VI7/Tg
アーチとシャンデリアが格好良いのに
御堂筋線の梅田~心斎橋に乗る度に、天井のアーチとシャンデリアにうっとりしていました。全国探しても、あそこまで惚れ惚れする程秀逸な照明デザインの駅は無いでしょう。
改修プランイメージを見る限り、現行の方がセンスあるし、『大阪の地下鉄』らしさが出ていていいと思います。
久し振りに、家にあるカラーブックスの大阪市営地下鉄を見てみました。車両がメインの本なので、今回のテーマに役立ちそうな写真がありませんでした。残念。
( 2014年02月24日 22:49 [Edit] )
ぽり | URL | /5lgbLzc
淀屋橋はS55年頃だと思います。S53年3月30日から北改札拡幅とホームを改修しています。写真のS43年の直後は蛍光灯は2列で天井、壁はコンクリートむき出しです。京阪連絡通路(管轄はみずほ銀~日本生命前)は東側アーチを削って通路を作った時に、防水層を傷つけたまま完了したので漏水等で山岳トンネルの様な状態だったようです。 前回の水色の壁は工期にも間に合わないし漏水もひどいので交換の容易なALC板で間に合わせています。シャンデリアはこの頃と思われます。 新之介さんが参考にされている大阪市地下鉄建設五十年史他文献に開業時の淀屋橋駅の対向壁は薄茶とありますので現在の対向壁が色が近いということですね。
手持ちである天王寺(S62)と心斎橋駅S5?,H11)の図面は東芝ライテックの製作となっており、八紘さんって下請けでは? もしくは最近つくりかえた? その他、DAIKO、ENDOさんもシャンデリア製作にはかかわっておられるみたいです。 吉本東京のシャンデリアはonoffさん製作 設計はリノベ含めてアーキタイプ。
なんば吉本は都市計画線に本社含め3棟引っかかっていました。劇場以外の部分以外が道路になる予定でしたのでその場合に備えてでもありシャンデリアが新宿にあったのでしょう。 橋下との密約等があったかどうかわかりませんが、なんば花月としてアーキタイプの設計で全館リニューアルした直後に難波付近は道路計画は中止の発表がありましたね。
( 2014年02月25日 19:40 [Edit] )
うっかり如来 | URL | nlnTgiQk
歴史がありますねぇ
私は九州の福岡に住んでいたので地下鉄と云えば福岡市営地下鉄のイメージしかなくて、大阪に住み始めて天王寺駅などのシャンデリアを見てカルチャーショックを受けました。
今のNHKの朝ドラ『ごちそうさん』の主人公の夫が地下鉄工事に参加していたみたいですが、そんな昔から地下鉄があったということにびっくりです。(どんだけ田舎者なんだっ!w)
シャンデリアは私も素敵だと思います。
蛍光灯をLED照明に換えるだけでは済まされない問題なんですかねぇ?
( 2014年02月28日 07:31 [Edit] )
ジンジャー | URL | -
先に書き込みされてるように御堂筋線は子供だった私には不思議な空間でした。当時は一瞬社内の電気が消えたりするんで、なおさらね。
悔いの残るのは同じ御堂筋線の「昭和町」の看板。あの書体は他の駅と違ってました。(学生時代までは天王寺より先は行ったことなかったんで)写真に撮っておくべきでしたわ
ところで中津の高架下の店が立ち退きになるらしいですね………
( 2014年03月04日 10:18 )
訂正 | URL | -
社内じゃなくて車内です
( 2014年03月04日 22:46 )
星乃 勝 | URL | GOstQ/eM
この地下鉄の記事も素晴らしいですね
私も10数年地下鉄の仕事もしてきたので、懐かしく拝見しました。
貴重な記録としてもありがたい記事です!
( 2014年03月09日 15:47 [Edit] )
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2014年03月12日 18:47 )
aPony | URL | -
梅田駅のシャンデリア、どんな感じになるんでしょうね。
そういえば少し前に朝日新聞で御堂筋線の照明についての記事が載ってました。
http://digital.asahi.com/articles/ASF0OSK201312180029.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASF0OSK201312180029
もうご存じでしたらすいません。
( 2014年03月17日 01:05 )
みっちゃん | URL | -
大阪市交地下鉄駅の照明
そう、梅田駅の照明は昭和末期~平成初年に掛け替えられています。
そのあたりの正確な情報は大阪市交通局が発刊していた「大阪のあし」に詳しく載っていました。(ドーム直付けの蛍光灯から吊り下げタイブに変わった)
家族に捨てられてなければ昭和40年の創刊から平成初めくらいまで揃っているはずなので、今もあれば後日お伝えできると思います。
因みに、淀屋橋駅の照明はツェッベリン照明と呼称され(開業当初に日本上空にも飛んできた独ツェッペリン号の下面の光の反射をもとにしたイメージ)、中身が白熱灯から蛍光灯に変わっただけで長らく使用されておりましたが、梅田駅掛け替えの後くらいに大改装されました。
天王寺駅のものはやはり中身が白熱灯から蛍光灯に変わっただけで平成になる頃に掛け替えられました。
天王寺駅の中二階の照明は、戦前のものはカバーがついたモダンな正方形や長方形の照明ですが、昭和40年代前半まではカバーが外されたままの白熱灯剥き出しで、まるで工事中かと思わせるものでした。
万博までの当時の大阪市交地下鉄は、基本的に開業時のものを継承することが多かったようです。
車両のほうも、旧型車(初代100~1000型00番代)に対して旧100型を皮切りに昭和33年から実施していた蛍光灯化も、旧200型や300型計2両に実施された近代改装で費用対投資効果の結果で諦めたあと昭和41年までに中止が決まり、全車引退まで6両(105,109,110,201,202,504)が残りました。
( 2015年02月16日 03:41 )
ちねっち | URL | oyrireJc
気になってました。
たまに出張で行くと、気になってました。なくなってしまうんですね。ぜひ、シェアさせてください。
( 2015年10月20日 18:39 [Edit] )
通りすがり | URL | -
甘い記憶
幼少時代、母に連れられて、心斎橋に行く度「アポロ(いちごとミルクの三角錐の二色チョコ)みたい~!!」と天井を見上げていた私。
ここ10年程、毎日通勤で通過するのですが、先日急に「アポロ」の記憶が蘇って以来、また天井を見上げる日々です。
多分当時4歳位、今はその12倍近くになり、天井が少し低く感じますが、シャンデリアを見るときだけ、感覚が子供に戻ります。
いつまでも、あの形で残して欲しいですね!
( 2016年09月07日 17:19 )
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承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
( 2018年05月02日 20:24 )
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