2014年01月14日 07:00
鎮守の森 住民守った
「垂水の森を守る会」の熱意がマンション計画を中止に追いやった

朝日新聞の朝刊に、吹田市内にある垂水神社の敷地に隣接する森にマンションが建設されるという計画において、住民の2年半にわたる反対運動の結果、業者側が建設を断念するという全国的にもあまり例のない出来事が記事になっていました。

調べてみると読売新聞の記事の方が早く、昨年の12月18日に掲載されていて、なんと見出しも朝日新聞とまったく同じだということがわかりました。

「鎮守の森 住民守った」
同じ位置に同じ見出し、これは珍しい。
朝日新聞が意図的にやったのかも。
(関連記事)
「「鎮守の森」住民守った マンション計画、反対運動実る」読売新聞
「鎮守の森、守った マンション計画、住民阻止」朝日新聞
これはいいニュースですね。
ということで、早速現地に行ってきました。

阪急北千里線「豊津」駅から徒歩約10分、立派な鳥居の場所にやって来ました。

参道の向こうの丘陵地に垂水神社があります。

石柱に式内大社とあり、格式の高い神社であることがうかがえる。

読売新聞の記事が貼られていました。

石段を上がっていきましょう。

こちらが拝殿です。

その東側に森が続いているのですが、そこにマンションの計画地があります。

計画地を破線で囲んでみましたが、神社に隣接する森の一部がなくなりここにマンションができる計画でした。

航空写真で見るとこのようになります。
北側の住宅地が隣接していますが、境目は傾斜地で高低差があり、森が帯のように続いているので、感覚的には実際の距離以上の距離感が存在しています。マンションは、その境界線の森を潰しその上に建てられる予定でした。

ここがマンション計画地との境界線。この扉を見る限り、昔の所有者はちゃんと竹やぶを管理していたのでしょう。しかし今は荒れ放題です。

その脇に、丘の上に繋がる小道があります。行ってみましょうか。

いい森が残っていますね。

マンション計画地の上にやってきました。
標高は約40m(カシミール3D調べ)。

向こうに見えるのは新大阪のビル群でしょうか。

下はこんな斜面になっていますがこの斜面が計画地です。境内の標高は約31mですので、高低差約9mの斜面に地上3階、地下2階のマンションを計画していました。

朝日新聞の記事内に、工事車両が通る道に神社の所有地が含まれていることを突き止め、それが開発中止を迫る大きな材料となったと書かれています。おそらくこの斜線部分がそうでしょう。

これは土地家屋調査士の力を借りて突き止めたということですが、垂水の森を守りきる!という住民の熱意が、起死回生の発見に繋がっていったのかもしれません。これにより業者は開発を断念せざるを得なくなったようです。その後の話し合いで、マンション計画地の土地は、神社が600万円で買い取ることで合意しました。

境内には、垂水の森を守る会の活動報告4(最終号)が貼られていました。署名は13,500人超。募金は400万円を超える金額が集まり、それにより弁護団を結成することができ、多くの市民に知ってもらうための広報活動を可能にしました。まさに「鎮守の森を住民が守った」。この言葉に尽きます。

まだ土地購入の資金集めという課題は残っていますが、垂水の森を守る会の活動は、今後の日本の土地開発に一石を投じる出来事になるのではないかと思います。
最後に、
ちょっとだけ垂水神社のお話しを。
垂水神社は地理的にとても興味深い場所に位置しています。

これは地形図と「弥生時代後期〜古墳時代前期(梶山/市原)」の古地理図を重ねたもので、上町台地の北側に伸びる天満砂州の延長線上に垂水神社が位置していることがわかります。この時代はまだ陸続きでなかったようですね。

この辺り一帯は弥生時代の住居跡があったことでも有名です。住居跡があったということは湧き水も豊富に湧いていたのかもしれません。

これは6〜7世紀の古地理図(日下雅義)です。
垂水神社のHPに、孝徳天皇(在位645~654年)の時代、領主である阿利真公(ありまのきみ)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮(前期難波宮)に、懸け樋を作って垂水の水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公」(たるみのきみ)の姓を賜り、垂水神社を創始したとあります。とても興味深い伝承です。

現在でも敷地内に水が湧いている場所があります。

ひとつは垂水の滝の小滝。

もうひとつが、垂水の滝の本滝。

こちらも神聖な場所として守られています。
いまでも水が枯れることなく湧いているようです。

垂水の滝の流れの先には「津くよみの池」という名の池があり、その脇に石碑が建っていました。

いははしる たるみのおかの さわらひの
もえいつるはるに なりにけるかも
萬葉集 巻第八 春雑歌
志貴皇子 懽御歌一首
「たるみ(垂水)」とは地名ではなく、
高いところから垂直に落ちる水、すなわち滝のことで、
「さわらひ」とは芽を出したばかりの蕨(わらび)のこと。
岩より落ちる滝のほとりに早蕨が芽を出す春になったのだなぁという歌です。
春にもう一度ここを訪れてみたくなりました。
より大きな地図で 垂水神社 を表示
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「垂水の森を守る会」の熱意がマンション計画を中止に追いやった

朝日新聞の朝刊に、吹田市内にある垂水神社の敷地に隣接する森にマンションが建設されるという計画において、住民の2年半にわたる反対運動の結果、業者側が建設を断念するという全国的にもあまり例のない出来事が記事になっていました。

調べてみると読売新聞の記事の方が早く、昨年の12月18日に掲載されていて、なんと見出しも朝日新聞とまったく同じだということがわかりました。

「鎮守の森 住民守った」
同じ位置に同じ見出し、これは珍しい。
朝日新聞が意図的にやったのかも。
(関連記事)
「「鎮守の森」住民守った マンション計画、反対運動実る」読売新聞
「鎮守の森、守った マンション計画、住民阻止」朝日新聞
これはいいニュースですね。
ということで、早速現地に行ってきました。

阪急北千里線「豊津」駅から徒歩約10分、立派な鳥居の場所にやって来ました。

参道の向こうの丘陵地に垂水神社があります。

石柱に式内大社とあり、格式の高い神社であることがうかがえる。

読売新聞の記事が貼られていました。

石段を上がっていきましょう。

こちらが拝殿です。

その東側に森が続いているのですが、そこにマンションの計画地があります。

計画地を破線で囲んでみましたが、神社に隣接する森の一部がなくなりここにマンションができる計画でした。

航空写真で見るとこのようになります。
北側の住宅地が隣接していますが、境目は傾斜地で高低差があり、森が帯のように続いているので、感覚的には実際の距離以上の距離感が存在しています。マンションは、その境界線の森を潰しその上に建てられる予定でした。

ここがマンション計画地との境界線。この扉を見る限り、昔の所有者はちゃんと竹やぶを管理していたのでしょう。しかし今は荒れ放題です。

その脇に、丘の上に繋がる小道があります。行ってみましょうか。

いい森が残っていますね。

マンション計画地の上にやってきました。
標高は約40m(カシミール3D調べ)。

向こうに見えるのは新大阪のビル群でしょうか。

下はこんな斜面になっていますがこの斜面が計画地です。境内の標高は約31mですので、高低差約9mの斜面に地上3階、地下2階のマンションを計画していました。

朝日新聞の記事内に、工事車両が通る道に神社の所有地が含まれていることを突き止め、それが開発中止を迫る大きな材料となったと書かれています。おそらくこの斜線部分がそうでしょう。

これは土地家屋調査士の力を借りて突き止めたということですが、垂水の森を守りきる!という住民の熱意が、起死回生の発見に繋がっていったのかもしれません。これにより業者は開発を断念せざるを得なくなったようです。その後の話し合いで、マンション計画地の土地は、神社が600万円で買い取ることで合意しました。

境内には、垂水の森を守る会の活動報告4(最終号)が貼られていました。署名は13,500人超。募金は400万円を超える金額が集まり、それにより弁護団を結成することができ、多くの市民に知ってもらうための広報活動を可能にしました。まさに「鎮守の森を住民が守った」。この言葉に尽きます。

まだ土地購入の資金集めという課題は残っていますが、垂水の森を守る会の活動は、今後の日本の土地開発に一石を投じる出来事になるのではないかと思います。
最後に、
ちょっとだけ垂水神社のお話しを。
垂水神社は地理的にとても興味深い場所に位置しています。

これは地形図と「弥生時代後期〜古墳時代前期(梶山/市原)」の古地理図を重ねたもので、上町台地の北側に伸びる天満砂州の延長線上に垂水神社が位置していることがわかります。この時代はまだ陸続きでなかったようですね。

この辺り一帯は弥生時代の住居跡があったことでも有名です。住居跡があったということは湧き水も豊富に湧いていたのかもしれません。

これは6〜7世紀の古地理図(日下雅義)です。
垂水神社のHPに、孝徳天皇(在位645~654年)の時代、領主である阿利真公(ありまのきみ)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮(前期難波宮)に、懸け樋を作って垂水の水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公」(たるみのきみ)の姓を賜り、垂水神社を創始したとあります。とても興味深い伝承です。

現在でも敷地内に水が湧いている場所があります。

ひとつは垂水の滝の小滝。

もうひとつが、垂水の滝の本滝。

こちらも神聖な場所として守られています。
いまでも水が枯れることなく湧いているようです。

垂水の滝の流れの先には「津くよみの池」という名の池があり、その脇に石碑が建っていました。

いははしる たるみのおかの さわらひの
もえいつるはるに なりにけるかも
萬葉集 巻第八 春雑歌
志貴皇子 懽御歌一首
「たるみ(垂水)」とは地名ではなく、
高いところから垂直に落ちる水、すなわち滝のことで、
「さわらひ」とは芽を出したばかりの蕨(わらび)のこと。
岩より落ちる滝のほとりに早蕨が芽を出す春になったのだなぁという歌です。
春にもう一度ここを訪れてみたくなりました。
より大きな地図で 垂水神社 を表示
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コメント
としぞう | URL | -
垂水の滝
垂水の滝もニュータウンの開発等で水量が激減したそうです。極めつけは、鎮守の森の裏を通る名神高速の切通ができて水脈が絶たれたことによるみたいです。
吹田の三名水のうち枯れずに残っているのはここのみです、絶えずに残ってほしいです。
( 2014年01月14日 12:52 )
吹田市民 | URL | a3rnHw/k
いつも楽しく大阪探訪させてもらっています。
古くから垂水神社近くに住んでいる者として言わせてもらえば、この開発が止まったのがよかったのか、悪かったのかは地元民としては賛否両論ではありました。でも荒れてるとはいえ、豊かな樹々が残されたということは、嬉しいことかもしれません。それより、同じ裏山にあるニッセイグラウンドの荒れ用が気になる次第でございますよ。
( 2014年01月15日 23:25 [Edit] )
常陸野牛久 | URL | f4RRH762
住民の団結が鍵
神戸・塩屋の旧ジョネス邸保存の手伝いをしているので、住民の力で開発を防げたと言う事の凄さが、とても伝わってきます。途中で諦めムードの人が出てきたり、心無い誹謗中傷もあったかと思いますが、根気良く頑張った結果の奇跡なんでしょうね。
傾斜地の高低差、湧き水・・・とても魅力的な神社ですね。是非訪れたいです。
( 2014年01月16日 22:48 [Edit] )
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2014年01月23日 12:55 )
森山高至 | URL | mQop/nM.
良記事です。
緑化記事につられてこちらの記事を読みました。
昨今、全国レベルで神社地の開発をおこなおうとしている動きが見受けられ、大変憂慮しておりましたがこの垂水神社にかかわる方々の対応はよきケースとしてご紹介していきたいと思いました。また、これを再取材されてる新之介さんのレポートも素晴らしいですね。吹田に行く機会に垂水神社に行ってみたいと思いました。
( 2014年02月08日 16:16 [Edit] )
| URL | -
神社なんかよりマンションの方が大事でしょうに
( 2014年03月08日 00:44 )
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