2013年12月01日 22:30
高架下の町並みがなくなる
さよなら十三と中津の高架下
2012年3月14日、大阪市は「老朽高架橋の耐震補強等工事実施に伴う道路占用許可の取扱いについて」をホームページで公開しました。これは、老朽化している高架橋の耐震補強工事実施に伴い、いままで高架下を倉庫や店舗として利用していた道路占用許可取得者に対し、今後の占用許可手続きの更新はせず、明渡しの要請を行うことにするというものです。
まずは三津屋高架橋に関して、平成24年度以降の占用許可手続きの更新はされず、現在は倉庫等も撤去され耐震補強工事が実施されています。中津高架橋に関しても平成25年度以降の更新はされない予定で反対運動も一部で起きています。いままで当たり前の様にあった高架下の風景はもうすぐなくなってしまうかもしれません。

対象高架橋は、三津屋高架橋、中津高架橋、北方貨物線高架橋、阪急高架橋、大浪橋高架橋、十三バイパス高架橋の6つです。
「対象高架橋位置図」より

位置関係はこのようになります。

ほとんど私の生活圏内。
【十三バイパス高架橋】

十三バイパスは昭和44年築造です。

にわかには信じがたいのですが、

これらの店舗がすべてなくなるのでしょうか。

十三バイパスができる前は、ここには中島大水道という水路が流れていて、

商店街の近くなので店舗もその両脇に並んでいました。

この高架下は商店街の一部。

耐震補強工事以降はどのようになるのでしょう。

市のホームページを見る限り、耐震補強工事に伴い道路占用許可が期間満了になると、物件を撤去してその場所を明渡たさなくてはならない。

補強工事が終わった後に元の場所にはもどれません。

十三の街がどんどん変わっていく…
【阪急高架橋】

十三交差点。

阪急神戸線の線路の上に架かるのが阪急高架橋。

昭和7年築造です。

阪急高架橋をはじめ、三津屋高架橋、北方貨物線高架橋、中津高架橋がすべて昭和7年築造なのは、十三大橋の開通に伴って造られたからです。

この辺り、昼間は静かですが、

夜は賑わう場所です。
左に入っていくとしょんべん横丁です。

こういうのも十三らしい風景だ。

いいね、阪急電車。

北側の高架橋です。

向こうのが阪急高架橋。

振り返ってあるのが【北方貨物線高架橋】です。

ここにもいい感じのお店が並んでいます。

昭和の町並みですね。

ここが北方貨物線。貨物やサンダーバードが通ります。

来た!

行った!

踏切を越えた北側です。

ごちゃごちゃしているようで、実はきれいに整理されている。

耐震補強工事は今までも何度か行われているんですけどね。
最後に、もうすでに耐震補強工事にかかっている
【三津屋高架橋】です。

線路の北側です。

すでに立ち退きが済んでいるのかもしれません。

かなりいい感じの場所が残っていた。

昭和の町工場のニオイがぷんぷんする。

三津屋の昭和の風景です。

ちゃんと記録しておこう。

このような壁もおそらく壊されると思います。

線路を越えて田川側です。

こちらは耐震補強工事にかかっています。
ストリートビューより

ちなみに以前はこんな場所。
ストリートビューより

この高架下には地蔵尊があったのですが、

どちらに移動したのでしょう。

どちらにしろ、耐震補強工事以降は殺風景な街並になるでしょう。
ホームページには「公共財産の有効活用並びに地域のまちづくりなどの観点から、区をはじめとする関係機関と協議をし、その利用のあり方を検討していくものとします。」とありますが、具体的な検討はこれからだと思います。区長にも頑張ってもらわないと。駐車場とか駐輪場とか中途半端な児童公園になってしまうと街が寂れてしまう。せっかく若い人達が集まる店舗が増えてきたというのに…
市会議員さんにも聞いてみたい。
占用許可を更新しないのなら跡地はどうされるおつもりなのでしょうか。
より大きな地図で さよなら高架橋 を表示
(関連ニュース)
「老朽高架橋の耐震補強等工事実施に伴う道路占用許可の取扱いについて」 大阪市 2012.03.14
「映画にも登場の“レトロな街”中津高架下 立ち退きに「ノー」道路占用者ら、今月中に橋下市長に署名提出へ 大阪・キタ」 産経ニュース 2013.07.31
「立ち退き撤回を!中津高架橋占用者 大阪市に5320人署名提出」 産経ニュース 2013.08.30
(関連記事)
「中津高架橋と北尾鐐之助」 2009.11.02
「中津芸術文化村ピエロハーバー」 2010.09.23
「ピエロハーバーでARアヒル・クリスマス」 2010.12.07
「中津高架下をダイビング」 2011.07.19
ポチッと、応援よろしく♪
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まずは三津屋高架橋に関して、平成24年度以降の占用許可手続きの更新はされず、現在は倉庫等も撤去され耐震補強工事が実施されています。中津高架橋に関しても平成25年度以降の更新はされない予定で反対運動も一部で起きています。いままで当たり前の様にあった高架下の風景はもうすぐなくなってしまうかもしれません。

対象高架橋は、三津屋高架橋、中津高架橋、北方貨物線高架橋、阪急高架橋、大浪橋高架橋、十三バイパス高架橋の6つです。
「対象高架橋位置図」より

位置関係はこのようになります。

ほとんど私の生活圏内。
【十三バイパス高架橋】

十三バイパスは昭和44年築造です。

にわかには信じがたいのですが、

これらの店舗がすべてなくなるのでしょうか。

十三バイパスができる前は、ここには中島大水道という水路が流れていて、

商店街の近くなので店舗もその両脇に並んでいました。

この高架下は商店街の一部。

耐震補強工事以降はどのようになるのでしょう。

市のホームページを見る限り、耐震補強工事に伴い道路占用許可が期間満了になると、物件を撤去してその場所を明渡たさなくてはならない。

補強工事が終わった後に元の場所にはもどれません。

十三の街がどんどん変わっていく…
【阪急高架橋】

十三交差点。

阪急神戸線の線路の上に架かるのが阪急高架橋。

昭和7年築造です。

阪急高架橋をはじめ、三津屋高架橋、北方貨物線高架橋、中津高架橋がすべて昭和7年築造なのは、十三大橋の開通に伴って造られたからです。

この辺り、昼間は静かですが、

夜は賑わう場所です。
左に入っていくとしょんべん横丁です。

こういうのも十三らしい風景だ。

いいね、阪急電車。

北側の高架橋です。

向こうのが阪急高架橋。

振り返ってあるのが【北方貨物線高架橋】です。

ここにもいい感じのお店が並んでいます。

昭和の町並みですね。

ここが北方貨物線。貨物やサンダーバードが通ります。

来た!

行った!

踏切を越えた北側です。

ごちゃごちゃしているようで、実はきれいに整理されている。

耐震補強工事は今までも何度か行われているんですけどね。
最後に、もうすでに耐震補強工事にかかっている
【三津屋高架橋】です。

線路の北側です。

すでに立ち退きが済んでいるのかもしれません。

かなりいい感じの場所が残っていた。

昭和の町工場のニオイがぷんぷんする。

三津屋の昭和の風景です。

ちゃんと記録しておこう。

このような壁もおそらく壊されると思います。

線路を越えて田川側です。

こちらは耐震補強工事にかかっています。
ストリートビューより

ちなみに以前はこんな場所。
ストリートビューより

この高架下には地蔵尊があったのですが、

どちらに移動したのでしょう。

どちらにしろ、耐震補強工事以降は殺風景な街並になるでしょう。
ホームページには「公共財産の有効活用並びに地域のまちづくりなどの観点から、区をはじめとする関係機関と協議をし、その利用のあり方を検討していくものとします。」とありますが、具体的な検討はこれからだと思います。区長にも頑張ってもらわないと。駐車場とか駐輪場とか中途半端な児童公園になってしまうと街が寂れてしまう。せっかく若い人達が集まる店舗が増えてきたというのに…
市会議員さんにも聞いてみたい。
占用許可を更新しないのなら跡地はどうされるおつもりなのでしょうか。
より大きな地図で さよなら高架橋 を表示
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「老朽高架橋の耐震補強等工事実施に伴う道路占用許可の取扱いについて」 大阪市 2012.03.14
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コメント
Empizzo | URL | X/aoCwEI
下を知らない一般性
あまりにも身近な光景ながら、さっと通り過ぎていました。
高架の耐震補強工事も知りませんでした。
たしかに高架下の住人さんたち(建物)は昭和の風景を体現しています。
なくなるのですね。
阪神大震災で落橋・崩壊した西宮北口~夙川の阪急電車の高架下は
震災前も店舗などが入っていましたし、
建て替えた後の現在も入っておられます。
それが納得の形であるように思うのですが・・。
ところで十三バイパスが走る前のドブ川。
子供心に光景がわずかに記憶に残っています。
かつての大阪の川や橋が潰されて現代の人はそのことに気づきません。
しかし、こうして記録された記録が今とは違う光景を見慣れる人々が
するかもしれない思い起こしの貴重なヒントになると思います。
意義部会です。
( 2013年12月08日 00:32 [Edit] )
うろこ | URL | -
三津屋高架橋・田川側にあった地蔵尊ですが、現在は踏切そばにあるトーケミ(株)の工場敷地内にあるそうです。70年間で設置場所が5回移転し、地域の町会を一周回ったとの事です。
( 2013年12月08日 22:23 )
| |
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2014年02月14日 18:27 )
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