このエントリーをはてなブックマークに追加

さよなら十三のタケダの看板

2013年11月16日 02:20

十三のランドマーク
さよならタケダの看板

E7D_4597.jpg
梅田方面から十三大橋を渡って来ると見えるタケダの看板。

E7D_4540.jpg
長い間、十三の街のランドマークとして存在していたタケダの看板がなくなるかもしれません。

takeda_opning_2.jpg
タケダタケダタケダ〜のあの看板です。

E7D_4548.jpg
というのも、この看板が設置されている建物の解体が決まり、現在解体準備に入っているからです。

E7D_4496.jpg
十三の街は、武田薬品工業株式会社の成長とともに発展したと言っても過言ではありません。

E7D_4500.jpg
この建物には研究所が入っていた様ですが、研究所の移転(神奈川県の湘南研究所)に伴い多くの人が移動したと聞いています。

E7D_4572.jpg
この研究所は住宅地のすぐ近く、

E7D_4437.jpg
これほど住宅地に隣接していた薬品会社の研究所も少ないかもしれません。

E7D_4582.jpg
どちらかというと住宅地の方が工場の近くまで寄って来たという方が正しいかもしれない。

E7D_4577.jpg
薬品会社の研究所ってどんなことをしていたのでしょうね。
だいたい想像はつきますが…

E7D_4561.jpg
この複雑に入組んだダクトも後付けだったのでしょう。

E7D_4563.jpg
建物が古くなるとなにかと不便なことが起こっていたのかもしれない。

E7D_4521.jpg
こうしてみるとかなり大きな建物です。

E7D_4444.jpg
外観にはタイルが貼られていました。

E7D_4559.jpg
昭和チックで好きな建物だったんですけど残念だ。

E7D_4539.jpg
まだ解体準備が始まったばかりですが、最後まで見納めをしていきたいと思います。


(追記)
タケダタケダタケダ〜の映像。

※どうも建物はこれ↑とは違う様ですね。

昭和44年 武田薬品コマーシャル。研究施設の貴重な映像が最初にあります。



ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト





コメント

  1. とんま | URL | -

    いよいよですか・・・

    仕事柄、数年前までこの建屋には幾度となく訪問していました。
    確か昭和33年完成、玄関には武田長兵衛の遺訓額が掲げられてたと思います。
    各部屋や廊下は広く、天井は高く、石造りを基本とした外国のお城を思わせる
    ような極めて頑丈で立派な作りでした。 階段やトイレなども、味のあるクラシ
    ックな装いだったことを覚えています。
    終戦からまだ10年少しという時代の十三に、これだけ立派な研究棟が建設され
    た事は、当時としてはかなり驚きだったのではないでしょうか。
    昔から武田薬品の研究拠点でしたが、2004年完成した高層の新研究棟へ第一線の
    研究部隊が移転した後は解体の噂が絶えませんでした。 実際、処遇については
    内部でかなり揉めたと聞いています。
    かつては和光純薬もこの建屋に入っていて、十三生まれの私の母も若いころパー
    トで勤めていました。 親子2代でお世話になった建屋、十三のシンボルがまた
    一つ消えることは寂しい限りです。

  2. うろこ | URL | qA.Tua6.

    タケダアワーの映像の建物と現在の建物が違う理由は、昭和33年に竣工した第1棟と昭和40年に竣工した第2棟のみが映っているためです。
    第2棟が出来るまでは第1棟の上にタケダの看板がありました。
    (0:01~0:06まで見える右側の建物)
    現在の形になったのは第3棟が竣工した昭和46年以降となります。

  3. machiko | URL | krENRnMA

    淋しいです・・・・

    タケダの看板がなくなるのですか。淋しいですね。大正13年生まれの亡き父が、30数年勤めた会社でした。幼い頃の私(S23年生まれ)は、パンパンパンビのパンビタンというCMソングのパンピタンや、パンビタンペレーをよく飲みました。うろこのマークのパンビタンって、今でもそのCMソングは歌えます(笑)阪急神戸線の線路の前にあった武田薬品の入口付近て゜仕事を終えて出て来る父を、母や妹と待ち、十三の商店街で家族で食事をする。それは父の給料日の、ささやかな私達の楽しみでした。昭和30年代の思い出が、蘇ってきます。

  4. くまきん | URL | ohHGnunA

    本日

    今日武田製薬に商用で訪問して確認したことは、その建物が白いフェンスで囲まれていて、そこに「研究所本館撤去工事」の表示が確かにありました。まだ具体的な工事には入って無かった様ですが…。

  5. ぽり | URL | Q0xYRLUA

    十三に移転していた杏雨書屋が道修町に

    十三に移転していた杏雨書屋が道修町に戻ってきています。
    10月に近くを通ったのでそろそろ開館のはずだと思い入ってみたところオープン日でプレスの方が退去された後だったようで 軽く案内をしていただきました。 十三にあったときは春秋各1日のみの一般公開でしたがこちらでは平日一般公開されています。武田道修町ビルのちょうど旧武田長兵衛商店部分にあります。  22,23日は神農さんにあわせ休日も公開されていました。

  6. | URL | -

    神奈川に移転というのがなんとも悲しい。
    武田は大阪の企業で有り続けて欲しい。
    大阪の自慢の企業です。

  7. くまきん | URL | ohHGnunA

    ニュースによると

    武田製薬の新社長が英国人になるそうです。

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013113002000229.html

  8. くまきん | URL | ohHGnunA

    とうとうタケダの看板に土台が組まれました…。

  9. うろこ | URL | -

    看板とのお別れがそろそろやってきそうです

    先週から文字部分に土台が組まれ、今週初めには完全に文字が隠れました。今週中にはマーク部分も隠れてしまう様です。

  10. うろこ | URL | -

    マーク部分はそのまま解体していく様です。淀川郵便局方面から見える部分は既に所々外された状態です。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/796-e549140c
この記事へのトラックバック

十三のランドマーク「武田薬品」大阪工場の大看板

大阪は、阪急十三(じゅうそう)に武田薬品工業の工場があり、その塔屋にタケダの大きなネオン看板がありました。 それが撤去されたようです。