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「三丁目の夕日」の時代 2

2008年01月14日 00:30

「三丁目の夕日」の時代 2

昭和34年頃撮影された、十三の航空写真があります。戦後十数年が経ち、焼け野原だった十三の町は戦災復興土地区画整理で道路が整理され、高度経済成長の波に乗ってまさに発展しようとしています。歓楽街になっていく直前の十三の姿を見て見ていきたいと思います。

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戦後、十三の町も闇市が全盛で一般市民はインフレに苦しめられており、公正な市設市場の復興を求める声が強くあがっていました。市は施設の復旧に全力を上げ、昭和21年11月に十三公設市場が再開します。この年、十三本一商店会も設立。娯楽では、十三劇場や十三大映朝日座、OK映画劇場等が開場するなど、十三の町は急速に復興して行くことになります。

34_sky.jpg
昭和34年頃の十三の航空写真 「大阪の空を飛ぶ」より

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十三ロータリー附近。三和銀行の立派なビルヂングがみえます。交通量もかなり多そうですね。

34-03.jpg
新北野の交差点附近。阪急の高架がまだきれいですね。現在、この高架下は拡張工事中です。この高架は東行きの一方通行なのですが、間違って逆走する車をよく見ました。高架の向こうに交番があって、その逆走車を止めるために警察官が走っていくのもよく見ました。結構危険な場所だったんです。

34-02.jpg
栄町通り附近。真ん中にある建物は十三劇場と十三朝日座です。その前に煙突が見えます。初音湯という銭湯がありました。十三劇場と十三朝日座は、昭和40年代のボーリングブームの頃に建て替えられてサンポードシティーに変わりました。現在は6階に第七藝術劇場があります。
※第七藝術劇場は、十三のNPO法人「淀川アートネット」が運営する劇場です。「淀川アートネット」とは第七藝術劇場の灯を消すまいとの志で、地元のアートな人々が手をむすび、地元の活性化を図ることめざす団体です。

34-01.jpg
十三大橋の北詰です。手前の白い三角形の土地はガソリンスタンドです。向かいの建物の後ろ側に線路と挟まれる形で旧街道が残っています。現在は阪急電鉄の敷地になっています。

21-01.jpg
昭和21年の航空写真。
北野中学校と十三公園(その上の黒い所)が見えます。周辺は何も残っていません。左の中央部に住宅地が見えます。中島大水道の下辺りは、白水園住宅だと思います。

21-01map.jpg
昭和12年の地図。上の航空写真の参考です。

21-02.jpg
昭和21年の航空写真。
北野中学校の東側です。この辺りも被害が大きかった場所です。

21-02map.jpg
昭和12年の地図。上の航空写真の参考です。

公設市場昭和30
昭和30年頃の十三公設市場 「東淀川区史」より
(引用)
戦争末期品枯れのため空店舗が続出し、雑炊食堂となって附近の人々の食生活に貢献したが、幸いに鉄筋のため戦災をの免がれ、再開後おいおい戦前の繁栄を取戻し、二十九年その商店会の活躍によってパラペットの外装と場内の電飾工事が施され、市場美観では全市設四十市場のうち第一位といわれている。

現在は公設市場ではなく、スーパーに変わり、名前も「ピュア13」と変わってしまいました。ただ、私の母親は今だにこのスーパーを「公設市場」と呼んでいます。地元ではそれでも通じると思います。おそらく…



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コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    公設市場

    私の母も 買い物をしていました
    わざわざ バスに乗って買いに行っていました
    近くには無い 川魚やさん うなぎやさん ふとんやさん 覚えています
    川魚やさんにはどじょうが売っていました

    もう 公設市場ではないのですね

    この一場の入り口近く 商店街に 水路に橋がありました
    今は バイパスになってしまったところ

    橋の上に小さなお店があって そこであられを売っていました
    あれは確か 爆発ヒットして あれよあれよと言う間に大会社になった 中央軒 ぼんちあられ だったとおぼえています
    工場は三津屋でした

    そうそう 市場ではありませんが よく 角やのひろーす 買ってきていました
    懐かしいです

  2. 新之介 | URL | -

    ぼんち

    TOSSY様
    子供の頃って、買い物にあまりついていかなかったから
    公設市場の記憶があまり無いのです。
    ただ、市場の並びに魚屋さんがあって、そこはよく覚えています。
    生きたどじょうや沢蟹が店前に置いていて、よく覗き込んでいました。
    TOSSY様が書かれているお店と同じかもしれませんね。
    今でも川魚柳沢というお店はあります。

    ぼんちが三津屋にあるのは知りませんでした。
    駄菓子屋でぼんち揚はよく買いました。
    ビンの中に入ったぼんち揚を店のおじいさんが
    水色の紙袋に数枚入れて、
    くるくるっと口を結んでくれていたっけ…。
    10円で買えたんですよね。たしか…
    懐かしいです。

  3. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    ぼんち揚げ

    ぼんちと社名も変更しましたが 本社は今も三津屋にあると思います
    昔は手焼きのあられも作っていました
    とてもおいしいあられでした
    そこの子が 級友でしたので 遠足のときは 頼んで いっぱい持ってきてもらっていました 
    おおきな会社になっても 社長は三津屋に住み続けておられたようです

    今もぼんち揚げ 大好きです

    会社に行くといろいろな割れおかきを おおきな袋で売ってくれるのですね
    それを小さなポリ袋に小分けして バザーなどでも売ったりしましたよ
    今もしているかな 20年ほど前はしていました

  4. 新之介 | URL | -

    三津屋

    TOSSY様
    三津屋の辺りは元気がよさそうです。
    三津屋商店街はマスコミにもよくとりあげられたりして…
    商店街の中に「みつや交流亭」というのがあるんです。
    地域住民のコミュニケーションの場なのですが、
    地元の笑福亭仁勇さんらも参加されていて
    盛り上がっているようです。
    ぼんちもあるし、三津屋をちょっと歩いてみようかと思います。

  5. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    三津屋で生まれ27歳まで住んでおりましたが、”ぼんち”ばかりでなくココアシガレットを代表とする駄菓子専門会社”オリオン”が所在することをご認識ください。
    オリオンの横を通って三津屋小学校に通い、ぼんちを眺めながら美津島中学校に通いました。
    ちなみに通った保育園は、楠正成の子である楠正行が築いた城跡と言われる光専寺内ひかり保育園です。

  6. 新之介 | URL | -

    ココアシガレット

    ゆきひろ様
    ココアシガレット、子供の頃よく食べました。
    三津屋だったんですね。
    光専寺は以前、三津屋をうろうろしていたときに
    行ったことがあります。歴史のあるお寺ですね。
    敷地の隣に、すごく高いクスノキが数本あったのを
    覚えています。三津屋を歩いていてお地蔵さんも
    いくつも見かけました。歴史のある町ですね。
    いつか、記事にしたいと思っています。

  7. 西岡邦夫 | URL | -

    昭和21年の航空写真を見て

    十三公園と北野中学の周辺は全焼していますが、この写真のほぼ真ん中は昔の元今里南通二丁目で、拙宅があった所です。当時焼け跡から勉強机の回転椅子の金具部分を拾い出した悲しい思い出があります。銀座通りもはっきり見えますし、新之介様のいわれるように白水園(当時は高級住宅地域でしたが、白水園住宅とは言わず、単に白水園と言っていました)
    その北西には市営住宅、直ぐ北側に大阪変圧器が写っています。6月の空襲時十三のどのあたりが消失したかを始めて目にしましたが、貴重な写真を見せて頂き有難うございました。

  8. 新之介 | URL | -

    昭和21年の航空写真

    西岡様
    当時、銀座通りの近くに、祖父達が住んでいました。
    父親の姉兄は皆疎開をしていたと聞いたことがあります。
    戦争を知らない私もこの写真を見たときは
    戦争の悲惨さを改めて感じました。
    知っている場所の惨状を見ると実感がわきます。
    十三周辺にすんでいる若い世代の人達にも
    このブログを見てもらって、
    色んなことを感じてもらえたらと思います。
    それが、最近の目標になっています。

  9. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    北野高校には昭和20年6月15日空襲時のものと言われる、弾痕が残る旧校舎の壁が保存されていますね。
    私の子供が現在こちらの高校で学ばせて頂いているのですが、この壁のことを言っても”知らない、聞いたことがない”と言っています。
    多分入学間なしに説明されていると思うのですが、現在から将来のことで頭がいっぱいの生徒たちには、あまり関心が無いようです。
    いつになってもいいから、この壁のことを思い出して欲しいですね。

  10. 新之介 | URL | -

    弾痕が残る旧校舎の壁

    ゆきひろ様
    そうでしたか、歴史ある北野高校で学ばれていることは、
    時が経てば経つほど、いい学校で学んだという実感が湧いてくることだと思います。
    自分自身を振り返ってみると、学生の頃は、戦争や歴史にはまったく関心がありませんでした。
    それよりも、将来の夢や勉強や趣味や異性のことで頭がいっぱいだったと思います。
    おそらく、それが正常な若者の姿なのかもしれません。
    ただある年齢になった時に、生まれ育った町に愛着が湧き、
    親をいたわるようになり、先人に感謝するようになったりします。
    不思議なものです。
    全てがまったく無関心だったのに。

  11. こうどう | URL | -

    町医院

    昭和12年の地図、中央の下の方に町医院、とありますが、30年前にもあのあたりに町先生、というおばあちゃんがやっていた小さなクリニックありましたが、同じものでしょうか。今はさすがにもう無いでしょうね。

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