2013年07月29日 01:00
旧猪名川跡を歩く・前編
自然林の堤防跡を歩く

先日、阪急園田駅から阪急岡町駅までを歩いてきました。
目的は旧猪名川の堤防跡を歩く事。
昔からずっとずっと気になっていた場所です。

これが猪名川。蛇行していた旧猪名川の堤防跡がはっきりわかりますね。

昔の写真と比べると
「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより」

このようになる。これは昭和41年(1966)の写真です。
猪名川の改修工事は、正式には「利倉捷水路(とくらしょうすいろ)工事」といいます。工事は昭和40年(1965)から始まり昭和44年(1969)に完成しました。

これは昭和42年測量地図。上の航空写真とほぼ同じ時期です。

そして昭和45年測量地図。工事が完成し、利椎冨(としとみ)池や新しい流路には橋も確認できる。川で分断された土地はいまでも大阪府豊中市に属しています。

ちなみにこれは昭和2年測量地図。村の名前は、利倉(とくら)、椎堂(しどう)、冨田(とうだ)と読みます。ちなみに椎堂の南にある神社は船詰神社で、現在は移転しています。

当日歩いた順路はこの通り。GPSロガーをぶら下げて歩いてきました。

(A)の堤防跡の横にある船詰神社です。

現在の社殿や社務所等は、土地区画整理により昭和51年に移転新築されたようです。

境内の横に公園があります。

ここに土地区画整理事業の記念碑がある。

猪名川の改修工事にともなった区画整理事業です。

公園は堤防の高低差を利用して整備されている。

この滑り台、かなりしっかりと作られていていい感じです。

メタリック感がとてもいい。
さすがに滑るのはやめましたが…
さて、

(B)の堤防跡に向かいます。この緑地帯は堤防跡ではなさそうですね。

(B)の堤防跡です。

川の跡も残しているようで、堀のような池がありました。

森の中に入ってみましょう。

この高低差を上がりきると

このような小道がある。
両サイドが傾斜で真ん中の道を歩いていると
昔の堤防の面影を感じる事ができる。

楠木の巨木も残っている。

数分間の森林浴でしたが、なんかとてもいい森ですね。

住宅地の真ん中にこんな自然林が残っているのがちょっと感動。

よくぞ残してくれましたって感じです。

さて、(C)の堤防跡へ向かいます。

(C)の堤防跡の断面。高低差が結構ある。
てっぺんまで5mくらいありますかね。

この階段から上がっていきます。

こちらはかなりきれいに遊歩道が整備されていますね。

この日は暑かったのですが気温もやや低く感じます。

しばらく行くと橋がありました。

利倉緑小橋。ここから対岸の堤防跡(D)に向かいます。

向こうの緑が対岸なのでここは河川敷だった場所ですね。

ん?グラウンドですね。

広いな。尼崎市立尼崎高校の第2グラウンドです。

パノラマ写真で見ると、堤防跡の森に囲まれたグラウンドであることがよくわかります。

ここから(D)の堤防跡を歩いて行きましょう。

ここは道幅がちょっと広いかも。

それにしてもこれだけの自然林の森が残っているなんてとても貴重ですね。この森は後世にもずっと残して欲しい。

ここでちょうど旧堤防跡の半分くらいを歩いてきました。
この先には旧猪名川を塞き止めた池が残っています。
工事が終わって44年、とてもすてきな森になっていますね。
より大きな地図で 旧猪名川跡を歩く を表示
(関連記事)
「豊中・利倉春日神社」 2010.09.14
「豊中旧利倉村を歩く」 2010.09.22
「旧猪名川跡を歩く・前編」 2013.07.29
「旧猪名川跡を歩く・後編」 2013.08.03
「田能遺跡・大阪国際空港(勝部遺跡)」 2013.08.08
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自然林の堤防跡を歩く

先日、阪急園田駅から阪急岡町駅までを歩いてきました。
目的は旧猪名川の堤防跡を歩く事。
昔からずっとずっと気になっていた場所です。

これが猪名川。蛇行していた旧猪名川の堤防跡がはっきりわかりますね。

昔の写真と比べると
「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより」

このようになる。これは昭和41年(1966)の写真です。
猪名川の改修工事は、正式には「利倉捷水路(とくらしょうすいろ)工事」といいます。工事は昭和40年(1965)から始まり昭和44年(1969)に完成しました。

これは昭和42年測量地図。上の航空写真とほぼ同じ時期です。

そして昭和45年測量地図。工事が完成し、利椎冨(としとみ)池や新しい流路には橋も確認できる。川で分断された土地はいまでも大阪府豊中市に属しています。

ちなみにこれは昭和2年測量地図。村の名前は、利倉(とくら)、椎堂(しどう)、冨田(とうだ)と読みます。ちなみに椎堂の南にある神社は船詰神社で、現在は移転しています。

当日歩いた順路はこの通り。GPSロガーをぶら下げて歩いてきました。

(A)の堤防跡の横にある船詰神社です。

現在の社殿や社務所等は、土地区画整理により昭和51年に移転新築されたようです。

境内の横に公園があります。

ここに土地区画整理事業の記念碑がある。

猪名川の改修工事にともなった区画整理事業です。

公園は堤防の高低差を利用して整備されている。

この滑り台、かなりしっかりと作られていていい感じです。

メタリック感がとてもいい。
さすがに滑るのはやめましたが…
さて、

(B)の堤防跡に向かいます。この緑地帯は堤防跡ではなさそうですね。

(B)の堤防跡です。

川の跡も残しているようで、堀のような池がありました。

森の中に入ってみましょう。

この高低差を上がりきると

このような小道がある。
両サイドが傾斜で真ん中の道を歩いていると
昔の堤防の面影を感じる事ができる。

楠木の巨木も残っている。

数分間の森林浴でしたが、なんかとてもいい森ですね。

住宅地の真ん中にこんな自然林が残っているのがちょっと感動。

よくぞ残してくれましたって感じです。

さて、(C)の堤防跡へ向かいます。

(C)の堤防跡の断面。高低差が結構ある。
てっぺんまで5mくらいありますかね。

この階段から上がっていきます。

こちらはかなりきれいに遊歩道が整備されていますね。

この日は暑かったのですが気温もやや低く感じます。

しばらく行くと橋がありました。

利倉緑小橋。ここから対岸の堤防跡(D)に向かいます。

向こうの緑が対岸なのでここは河川敷だった場所ですね。

ん?グラウンドですね。

広いな。尼崎市立尼崎高校の第2グラウンドです。

パノラマ写真で見ると、堤防跡の森に囲まれたグラウンドであることがよくわかります。

ここから(D)の堤防跡を歩いて行きましょう。

ここは道幅がちょっと広いかも。

それにしてもこれだけの自然林の森が残っているなんてとても貴重ですね。この森は後世にもずっと残して欲しい。

ここでちょうど旧堤防跡の半分くらいを歩いてきました。
この先には旧猪名川を塞き止めた池が残っています。
工事が終わって44年、とてもすてきな森になっていますね。
より大きな地図で 旧猪名川跡を歩く を表示
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「豊中・利倉春日神社」 2010.09.14
「豊中旧利倉村を歩く」 2010.09.22
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「旧猪名川跡を歩く・後編」 2013.08.03
「田能遺跡・大阪国際空港(勝部遺跡)」 2013.08.08
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コメント
山本俊夫 | URL | 36Azde.I
懐かしいなぁ~~♪
前に
洲到止~庄本へでコメントさせてもらったトシです。
今回猪名川の事がアップされていたので
またまた郷愁の思いからちょっとコメントさせてください。
ここに書かれている変遷をまのあたりにし、
昭和40年ぐらいには、まだ小学2年生位だった頃
ちゃりんこに乗ってこの猪名川の河川敷で虫取をしました。
当時はクワガタ虫もいました。
Bのところにある小さい橋も豊中側に昔パルナスの工場があり
高校生のとき初めてバイトをしたところです
とてもとても懐かしい思い出いっぱいの地なんで、ついつい、、
コメントしてしまいました。
またいろんなところの写真を紹介お願いしますね!
ありがとう~
私たちはここをサンと呼んでいました。
謂れはよくはわかりませんが、たぶん山(サン)から来ているのかと
思います。
この河川改修工事が終わったあとも、万博の頃だったと思いますが
現在このGの地図猪名川公園のにある池(今は柵があって人は入れない)
や今でも豊中として残る場所(住宅地)は当時はたんぼ!
その中にある池でよく釣りをしたもんです。
猪名川公園の池は鯉が釣れたし、豊中の池はモロコやフナ、雷魚まで
いました。
( 2013年07月30日 23:35 [Edit] )
山本俊夫 | URL | 36Azde.I
懐かしいなぁ2~♪
PS.ちなみに私も最近、新之介さんとコースを何回も
散策しましたw
( 2013年07月30日 23:40 [Edit] )
Empizzo | URL | -
近過去なのか過去なのか
「近未来」という言葉があります一方、「近過去」という言葉には馴染みがありません。しかし、今回お歩きされた猪名川の旧河川跡は、私にとりまして「過去」のようでもあり、「近過去」のようでもある不思議な感覚を起こさせてくれる場所です。と申しますのは・・。歳がわかってしまうのですが、私が中1の初めての中間テストの初日、2時間ほどのテスト(何の教科だったかは忘れましたが)終了後、友達と旧猪名川の堤防右岸まで自転車で走り、そこから戸ノ内方面へ帰って行ったのでした。その記憶がはるか「過去」のことでありますのに、昨日のように思い出されます。あの時、初夏のまぶしいばかりの日差しとあふれる緑と猪名川の流れ、まさしく猪名川の自然の、生の美しさを体で感じた記憶、それが遠い過去をも「近」と錯覚させるような、私の過去感覚となっているからなのでしょう。
猪名川の付替えがなかったとして、2013年現在、どれほどの自然林が残されていたかわかりませんが、個人的には付け替えはしてほしくなかったです。石碑がありますが、こうして過去の痕跡が徐々になくなっていくものなのでしょうね。
私が卒業した中学校は今なおこの場所を校区として含んでおります。
写真には写っていませんが、競馬場のわずかに北西の対岸に田能遺跡があります。田能の人々が水田耕作していた頃から営々とお米を作る土地柄であった猪名川流域。そうした側面もこの豊かであった猪名川の水と林が想起させてくれます。
ところで尼崎西縁の武庫川の土手が多く松で覆われているの対し、東縁の猪名川はクヌギなどの広葉樹が多い(かった)のが不思議です。
Res:山本俊夫様へ
パルナスの工場がありました。なつかしいです。尼側からよく見えていました。
( 2013年08月03日 00:25 )
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