2013年07月24日 22:30
さよならJR貨物梅田駅

2013年3月15日で営業を終えた梅田貨物駅

あれからしばらくは大きな変化はありませんでした。

ただ、少しずつ片付いた様子で、敷地内はすっきり。

このJR貨物梅田駅も今思えばこれが見納めでした。
7月23日です。

JR貨物梅田駅の解体が始まっていました。

数日前にはこの状態だったので、もうすく解体だと思っていたのですが、

一気に解体が始まりました。

重機も大型なので解体が早い。

あっという間です。

この看板も見納め。

手前の建物もシートで覆われているのでもうすぐ解体が始まりそうです。

なんかジワジワと込み上げてくるものがある。

ここには外された線路や枕木が集められている。

この線路もそろそろ見納めですよ。

いわゆる梅田北ヤード(うめきた)ができる以前のこの辺りは学校が建ち並ぶ文教地区でした。それが時代の波に流されて移転を余儀なくされ、その後にできた貨物ヤードもこの地での役割を終えて建物が解体されていく。
次にできるものはまだ決まっていません。
時代に流されない、普遍的な価値のあるものができる事を期待しています。
(関連記事)
『さよなら梅田北ヤード』 2013.11.20
『大阪七墓・梅田墓地について』 2013.09.13
『さよなら梅田貨物駅』 2013.07.24
『梅田貨物駅最後の日を微速度撮影』 2013.03.19
『うめきた・梅北(梅田北ヤード)の歴史』 2011.02.21
『梅田北ヤードができる前 6 移転先篇』 2008.03.17
『梅田北ヤードができる前 5 金蘭女学篇』 2008.03.14
『梅田北ヤードができる前 4 梅田高女篇』 2008.03.12
『梅田北ヤードができる前 3 北野中学篇』 2008.03.09
『梅田北ヤードができる前 2 工業学校篇』 2008.03.06
『梅田北ヤードができる前 1 文教地区篇』 2008.03.05
『大坂七墓巡り(梅田・南浜・葭原)』 2008.10.22
『初代大阪駅の場所』 2008.03.03
『大阪駅ができる前は墓地があった』 2008.03.01
ポチッと、応援よろしく♪

2013年3月15日で営業を終えた梅田貨物駅

あれからしばらくは大きな変化はありませんでした。

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7月23日です。

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数日前にはこの状態だったので、もうすく解体だと思っていたのですが、

一気に解体が始まりました。

重機も大型なので解体が早い。

あっという間です。

この看板も見納め。

手前の建物もシートで覆われているのでもうすぐ解体が始まりそうです。

なんかジワジワと込み上げてくるものがある。

ここには外された線路や枕木が集められている。

この線路もそろそろ見納めですよ。

いわゆる梅田北ヤード(うめきた)ができる以前のこの辺りは学校が建ち並ぶ文教地区でした。それが時代の波に流されて移転を余儀なくされ、その後にできた貨物ヤードもこの地での役割を終えて建物が解体されていく。
次にできるものはまだ決まっていません。
時代に流されない、普遍的な価値のあるものができる事を期待しています。
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『梅田北ヤードができる前 1 文教地区篇』 2008.03.05
『大坂七墓巡り(梅田・南浜・葭原)』 2008.10.22
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『大阪駅ができる前は墓地があった』 2008.03.01
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コメント
ばんぼう | URL | t/Klp7tQ
1984年、浪人生であった私は、大阪北予備校の講義のあとに中之島図書館へ自転車に乗って行くのが常でした。
三国の家から図書館の中間点が梅田ヤードあたりで、
国鉄職員(おそらくJR以前)の売店でチーズケーキ味のあまり見たこと無いアイスを気に入ったので、買って食べながら、自転車に乗って図書館に向かっていました。
売店は木造の古くて南北に細長い平屋の建物にありました。ヨドバシの搬入口の向かいあたりです。
軍手とか職員の備品が主に売られており、アイスは職員向けも考慮して割引で売られたのが嬉しかったことを覚えています。
これ例外でも、国鉄からJRへ変わる狭間には、遊休敷地でいろんな試みがありました。
この売店から駅に向かって左に曲がると、国鉄職員のする喫茶店がオープンしていました。レンガ造りっぽい壁(おそらく樹脂の板)の店。なれない手つきで新たな職場でがんばっておられました。メディアでも紹介されていました。西駐車場やモントレ大阪のあたりです。
さらにこの頃より1、2年前に同じ場所で、郵便局裏のヤード跡ではレールを残したまま、劇団維新派の舞台を特設テントで見ました。訳わからないのに判ったフリしてみていました^^寒い12月の終わりの頃でした。
あるときはブルートレインの食堂車を引っ張ってきて、
レストランや円高で安く輸入したセーターを売っていました。食べたのは味の素の冷凍ピラフだったと思います。おいしいけどわびしかったですね^^
目的が決まっていない間の使われ方は、面白かった。
のちに、レールが撤去されて信州等へ向かう深夜バスの発着場所になって、ある日再開発されて、毎日新聞社やモントレが出来たのでした。。。
当時はスキーブームで、阪神梅田あたりの地下街では荷物を引っ張るゴロゴロ音がうるさかったです^^当時の地下街の路面は古く、6本くらいの長方形を並べたようなタイル張りで、音がよくでる形状でした。今でもホワイティや御堂筋線改札近くの串カツ屋さんあたりはそのタイルが残っているかもしれません。
懐かしいついでにそのあたりは夜になって店が閉まると、
手で飛ばす宙返りが楽しい紙飛行機みたいなのを売っていました。
ガラも悪かったです。押し売りや恐喝も多かったですね。
1970前後は地下街で賭博を広げてたみたいです。
私は記憶ありませんが、簡易なテーブルみたいなので、五目並べの賭博など、あったみたいです。最初は簡単に勝たせて、あとはカモにするといった、観客もグルだったのでしょうか。人ごみではスリも多いから近づかない様に親からは言われていました。
( 2013年07月25日 21:22 [Edit] )
ぱおん | URL | nKBDKouo
文教地区
もともと文教地区なら元に戻したらどうでしょうね。大学を誘致するとか。
( 2013年07月25日 23:51 [Edit] )
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