2013年07月08日 07:00
飛鳥アースダイバー
飛鳥時代の宮殿跡

飛鳥諸宮の変遷図です。この時代、天皇の宮殿の場所が点々と変わっています。しかも、現在もそれがどこにあったかの決定的な証拠が出ていないそうです。変遷を見ると宮殿があったのは飛鳥だけでなく、難波や大津にも遷っていた事がわかりますね。特に難波長柄豊碕宮は686年に焼失するまでの長い間、副都の役割を兼ねていました。
(Evernoteで大きく見る)

高低差を色分けした地形図です。
難波と飛鳥は遠いようで意外と近いかもしれません。
朝出発すれば夕方にはたどり着くくらいの距離でしょうか。
(追記)
なんと、今年平成25年(2013)は、難波から飛鳥へ日本最古の官道(大道)が敷設されてちょうど1400年なんですね。竹内街道1400年祭があるそうですよ。
「難波から飛鳥へ日本最古の官道1400年首長サミット準備会の開催」大阪府
「大阪歴史博物館」より

ちなみに難波長柄豊碕宮(前期難波宮)の全景です。かなりデカイ。

現在の難波宮跡。
さて、
飛鳥の宮跡を探しにいきましょうか。

橘寺と岡寺の道標。

道路の向こうは水落遺跡がある場所です。

ここから反対の西方面へ向かいます。

こちらに豊浦寺跡の碑がある。

太子山 向原寺。

豊浦寺とは豊浦宮の跡に建てられた寺です。
ちなみに豊浦は「とゆら」と読みます。

推古天皇が豊浦宮で即位し飛鳥時代がここから始まることになります。

境内には発掘調査で出てきた豊浦宮の遺構が保存されているようです。

こちらは現在の向原寺の本堂。

向原寺に隣接したところにこのような祠がある。

まわりが池になっていますが、こちらは難波池(なんばいけ)といいます。

難波池(なんばいけ)の由来
向原寺(豊浦寺)の一角に「難波池」と称される池がある。この池は『日本書紀』欽明天皇十三年仏教伝来の記事に廃仏派の物部尾興が仏像を投げ込んだ難波の堀江であるとの伝承をもつ。そして後世の記録にはこの仏像が信濃(長野県)善光寺に祀られたという善光寺縁起として語りつがれている。

石灯籠に刻まれた「なんば」の文字。こんなところに飛鳥と難波(なにわ)のつながりがあったとは。

こちらは難波池の向かいにある甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。ここにはとても興味深い古代神事の儀式が残っています。

「盟神探湯(くがたち)」
盟神探湯は裁判の一種として考えられ、煮え湯の入った釜に手を入れ「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という極めて荒い裁判の方法です。「日本書紀」によれば允恭天皇4年(415)氏姓制度の混乱を正すため、甘橿の神の前に諸氏を会して盟神探湯を行ったと伝えています。
現在では毎年4月、境内にある「立石」の前に釜を据え、嘘・偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷大字が氏子となって「盟神探湯神事」としてその形を保存・継承しています。
「立石」と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほかに、村内の岡・上居・立部・小原などにも残っています。
約1600年も昔の神事が継承されているって凄い事ですね。

こちらが謎の「立石」。

自然石なのでしょうか。

小墾田宮(おはりだのみや)推定地です。

田んぼのまん中に一本の木がある。古宮土壇だそうです。

ここは小墾田宮推定地ではありますが、発掘調査で決定的な遺構は出ていないようです。

よくよく読んでみると、ここは小墾田宮ではなく蘇我氏に関わる庭園とする説が有力なのだとか。
え?
そうなん…

まあ、でもちょっと絵になる場所ではあります。
夕焼けのきれいな日とかに撮影したい場所ですね。
さて、

次は、史跡 飛鳥稲淵宮殿跡。こちらは史跡として登録されています。

発掘調査では、かなりの規模の建物跡が出たようです。

白雉4年(653)に中大兄皇子が難波から飛鳥にもどって、一時期営んだ飛鳥河辺行宮(あすかかわべのかりみや)ではないかといわれています。難波長柄豊碕宮の次の場所ですね。
で、

ここが史跡 伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)。

こちらに石敷に遺構がありますが、これらは復元されたものです。

立派な解説板。

発掘調査では宮殿の遺構が発掘されたのですが、出土遺物から板蓋宮よりも新しい7世紀末頃の宮殿跡と推定されていて、その下層にも遺構があるそうです。

どうやらこの地が飛鳥京の正宮で、飛鳥岡本宮(おかもとのみや)、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、後(のちの)飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)がこの地にあったと推定されています。

飛鳥資料館のジオラマです。右にあるのが飛鳥浄御原宮。

飛鳥京はこの後、藤原京に遷都することになりますが、藤原京以前の宮殿跡ってどれもはっきりした場所が今でも特定されていないようです。それだけ謎も多い。知れば知るほど面白い地域です。
より大きな地図で 飛鳥アースダイバー を表示
【 飛鳥アースダイバーシリーズ 】
1. 猿石・鬼の俎・鬼の雪隠・檜隈坂合陵・檜隈大内陵
2. 益田岩船
3. 亀石
4. 人頭石・二面石・猿石・石人像・須弥山石・マラ石・弥勒石
5. 岩屋山古墳・石舞台古墳
6. 飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥坐神社、水落遺跡、石神遺跡
7. 豊浦宮跡、小墾田宮跡、飛鳥板蓋宮跡、飛鳥稲淵宮殿跡
8. 亀形石造物、酒船石、高松塚古墳
9. 橘寺、川原寺跡
10. 稲淵棚田、飛び石、甘樫丘展望台
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飛鳥時代の宮殿跡

飛鳥諸宮の変遷図です。この時代、天皇の宮殿の場所が点々と変わっています。しかも、現在もそれがどこにあったかの決定的な証拠が出ていないそうです。変遷を見ると宮殿があったのは飛鳥だけでなく、難波や大津にも遷っていた事がわかりますね。特に難波長柄豊碕宮は686年に焼失するまでの長い間、副都の役割を兼ねていました。
(Evernoteで大きく見る)

高低差を色分けした地形図です。
難波と飛鳥は遠いようで意外と近いかもしれません。
朝出発すれば夕方にはたどり着くくらいの距離でしょうか。
(追記)
なんと、今年平成25年(2013)は、難波から飛鳥へ日本最古の官道(大道)が敷設されてちょうど1400年なんですね。竹内街道1400年祭があるそうですよ。
「難波から飛鳥へ日本最古の官道1400年首長サミット準備会の開催」大阪府
「大阪歴史博物館」より

ちなみに難波長柄豊碕宮(前期難波宮)の全景です。かなりデカイ。

現在の難波宮跡。
さて、
飛鳥の宮跡を探しにいきましょうか。

橘寺と岡寺の道標。

道路の向こうは水落遺跡がある場所です。

ここから反対の西方面へ向かいます。

こちらに豊浦寺跡の碑がある。

太子山 向原寺。

豊浦寺とは豊浦宮の跡に建てられた寺です。
ちなみに豊浦は「とゆら」と読みます。

推古天皇が豊浦宮で即位し飛鳥時代がここから始まることになります。

境内には発掘調査で出てきた豊浦宮の遺構が保存されているようです。

こちらは現在の向原寺の本堂。

向原寺に隣接したところにこのような祠がある。

まわりが池になっていますが、こちらは難波池(なんばいけ)といいます。

難波池(なんばいけ)の由来
向原寺(豊浦寺)の一角に「難波池」と称される池がある。この池は『日本書紀』欽明天皇十三年仏教伝来の記事に廃仏派の物部尾興が仏像を投げ込んだ難波の堀江であるとの伝承をもつ。そして後世の記録にはこの仏像が信濃(長野県)善光寺に祀られたという善光寺縁起として語りつがれている。

石灯籠に刻まれた「なんば」の文字。こんなところに飛鳥と難波(なにわ)のつながりがあったとは。

こちらは難波池の向かいにある甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。ここにはとても興味深い古代神事の儀式が残っています。

「盟神探湯(くがたち)」
盟神探湯は裁判の一種として考えられ、煮え湯の入った釜に手を入れ「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という極めて荒い裁判の方法です。「日本書紀」によれば允恭天皇4年(415)氏姓制度の混乱を正すため、甘橿の神の前に諸氏を会して盟神探湯を行ったと伝えています。
現在では毎年4月、境内にある「立石」の前に釜を据え、嘘・偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷大字が氏子となって「盟神探湯神事」としてその形を保存・継承しています。
「立石」と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほかに、村内の岡・上居・立部・小原などにも残っています。
約1600年も昔の神事が継承されているって凄い事ですね。

こちらが謎の「立石」。

自然石なのでしょうか。

小墾田宮(おはりだのみや)推定地です。

田んぼのまん中に一本の木がある。古宮土壇だそうです。

ここは小墾田宮推定地ではありますが、発掘調査で決定的な遺構は出ていないようです。

よくよく読んでみると、ここは小墾田宮ではなく蘇我氏に関わる庭園とする説が有力なのだとか。
え?
そうなん…

まあ、でもちょっと絵になる場所ではあります。
夕焼けのきれいな日とかに撮影したい場所ですね。
さて、

次は、史跡 飛鳥稲淵宮殿跡。こちらは史跡として登録されています。

発掘調査では、かなりの規模の建物跡が出たようです。

白雉4年(653)に中大兄皇子が難波から飛鳥にもどって、一時期営んだ飛鳥河辺行宮(あすかかわべのかりみや)ではないかといわれています。難波長柄豊碕宮の次の場所ですね。
で、

ここが史跡 伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)。

こちらに石敷に遺構がありますが、これらは復元されたものです。

立派な解説板。

発掘調査では宮殿の遺構が発掘されたのですが、出土遺物から板蓋宮よりも新しい7世紀末頃の宮殿跡と推定されていて、その下層にも遺構があるそうです。

どうやらこの地が飛鳥京の正宮で、飛鳥岡本宮(おかもとのみや)、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、後(のちの)飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)がこの地にあったと推定されています。

飛鳥資料館のジオラマです。右にあるのが飛鳥浄御原宮。

飛鳥京はこの後、藤原京に遷都することになりますが、藤原京以前の宮殿跡ってどれもはっきりした場所が今でも特定されていないようです。それだけ謎も多い。知れば知るほど面白い地域です。
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【 飛鳥アースダイバーシリーズ 】
1. 猿石・鬼の俎・鬼の雪隠・檜隈坂合陵・檜隈大内陵
2. 益田岩船
3. 亀石
4. 人頭石・二面石・猿石・石人像・須弥山石・マラ石・弥勒石
5. 岩屋山古墳・石舞台古墳
6. 飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥坐神社、水落遺跡、石神遺跡
7. 豊浦宮跡、小墾田宮跡、飛鳥板蓋宮跡、飛鳥稲淵宮殿跡
8. 亀形石造物、酒船石、高松塚古墳
9. 橘寺、川原寺跡
10. 稲淵棚田、飛び石、甘樫丘展望台
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コメント
jack77betty | URL | -
竹之内街道、横大路、開設1400年記念イベント
>難波と飛鳥は遠いようで意外と近いかもしれません。
>朝出発すれば夕方にはたどり着くくらいの距離でしょうか。(新之介さん)
今年はその「竹之内街道」「横大路」開設1400年ということで、関係自治体などがキャンペーンや各種イベントを行っています。
残念なことに、富士山の世界遺産登録や伊勢神宮の式年遷宮の話題の陰にかくれて、関西圏でもこちらの情報浸透度はかなり低いようですが。
( 2013年07月09日 07:59 )
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