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上町台地の高低差を歩く・難波宮跡

2013年03月24日 21:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
20. 難波宮跡周辺を歩く

大化の改新により飛鳥から都を遷した場所が難波です。
大阪人でも、知ってるようであまりよく知らないのが難波宮(なにわのみや)ではないでしょうか。特に年表がややこしい。できるだけ完結にわかりやすくまとめようと思いますが、ややこしさは拭えないかも…

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難波宮があった場所は大阪城公園の南側一帯です。ここにわが国初の本格的な宮殿、前期難波宮とそれが焼失した後に後期難波宮が置かれました。

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地形的にはa-b間が面白い場所なので後でご紹介します。

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史跡 難波宮跡です。

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難波宮は永い間、所在地に関する手がかりが少なく「幻の都」とされてきました。

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ここで発掘調査が行われるようになったのは昭和29年(1954)からで、山根徳太郎氏らが後期・難波宮の大極殿跡を発見したのは昭和36年(1961)のことです。

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史跡 難波宮跡
大化改新(645年)にともなう難波遷都以来8世紀末まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として、日本の古代史上に大きな役割を果たした。昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期二時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。
現在内裏・朝堂院部分90,677㎡が、国の史跡に指定されている。

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遺跡の概要
発掘調査により、難波宮跡は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物跡があることが明らかにされてきた。

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前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱(ほったてばしら)で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥(しゅちょう)元年(686年)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。

後期難波宮は、奈良時代の神亀(じんき)3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文(れんげもん)・唐草文(からくさもん)・重圏文軒瓦(じゅうけんもんのきがわら)などの瓦が葺かれていた。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城京へと遷された。

前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる。

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大極殿があった場所には大極殿の基壇が復元されています。

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この日は何かの撮影をしていました。

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大阪歴史博物館で展示していたパネルです。前期難波宮と後期難波宮の重なりがよくわかる。年表が複雑ですが、前期難波宮の宮殿は白雉(はくち)3年〈652〉に完成し、朱鳥(しゅちょう)元年〈686〉まで存在していました。首都として機能したのは孝徳天皇が大郡宮(おおごおりのみや)から遷った白雉2年〈651〉〜逝去される白雉5年〈654〉までと、複都制により天武12年〈683〉〜焼失した朱鳥元年〈686年〉まで。後期難波宮は天平16年〈744年〉に一時的に首都になっています。

(難波宮のまとめ)
645 大化の改新にともない都が難波へ遷される
650 孝徳天皇により難波長柄豊碕宮造営開始
652 難波長柄豊碕宮(前期難波宮)完成
654 孝徳天皇逝去
686 火災により難波宮焼失
726 聖武天皇により、難波宮造営開始(後期難波宮)
744 難波宮、一時的に首都となる
784 長岡京遷都により難波宮の宮殿の建物は解体移築される

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前期難波宮〈652-686〉復元模型(大阪歴史博物館)と、

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後期難波宮〈726-784〉復元模型(大阪歴史博物館)。

ここまでが難波宮の簡単なまとめです。
首都の期間が短く、複都制や一年だけの首都という事なども絡んで、難波宮をわかりにくくしているのかもしれませんね。でも、知れば知るほど大阪には凄い宮殿があったのだと誇りに思うようになってきました。

で、
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上町台地と難波宮の位置関係がわかるパネルです。難波宮周辺には多くの谷がありました。宮殿はそのなかで標高が高く、平坦な場所に建てられています。

出典:「東アジアにおける難波宮と古代難波の国際的性格に関する総合研究」50頁。
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谷をさらにわかりやすくした地形図です。「難波宮周辺の地形と整地の時期(寺井2007加筆)」を元に色を付け加えました。

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バックに国土地理院の地図を入れると位置関係がよりよくわかる。

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(c)大極殿基壇と(d)大阪歴史博物館・NHK大阪放送会館。

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(d)の場所は法円坂遺跡でもあり、5世紀後半の16棟の大型建物跡が見つかっています。難波宮が出来る前、倭王権が物資集散の拠点に建てた倉庫群と考えられています。

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東方面です。右が難波宮跡公園、左が大阪城公園。高速道路の下には天皇の私的区域であった内裏(だいり)があった場所の一部にあたります。地形も真っ平らですね。

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西方面です。左に地形を削った断面が見える。

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明らかに道路を作る時に削っていますね。

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南方面はもっこり隆起している。

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ここが(a)の地点です。

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隆起した場所から南方面を見ると地形がラクダのコブのように見えます。

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これを大阪高低差学会では「こぶ地形」と呼んでいて、ここはいわゆる「ふたこぶ」と呼んでいる場所です。

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手前の窪地も奥の窪地も「龍造寺谷」と呼ばれる谷筋にあたります。

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反対側から見た所。横は銅座公園です。

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現在も銅座公園をぐるりと囲むように谷筋が残っています。クレーンが見える場所はマンションが建設中ですが数m下がっています。

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ちなみに2010年に撮った写真ですが、高低差がよくわかる。

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公園の南側はゆるい坂になっている。公園の向かいは幼稚園です。

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右が銅座公園、左が幼稚園。

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高低差は3mくらいでしょうか。

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ここから少し上り坂に。

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反対側から見るとゆるい窪地になっている。

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「ふたこぶ」の奥の窪地です。左は幼稚園。

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幼稚園南側の壁を見るとその高低差がわかる。

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この窪地が(b)の場所です。

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この坂を登りきった辻は熊野街道と暗越奈良街道が分かれる場所。東西が暗越奈良街道で、熊野街道はここから南下します。


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20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
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