2013年02月24日 13:00
大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
17. 玉造・森之宮周辺

玉造稲荷神社周辺です。玉造稲荷神社と三光神社の間は谷になっていて、その谷沿いを長堀通りが東西に走っています。

長堀通り沿いに岬のように隆起した場所がある。ちょうど大阪女学院がある辺りです。

長堀通りです。

その北側に階段がある。

こっちはもっと高くて間口が広い。

ここは車が通れる急勾配の坂道。

車からは下が見えないかも。

この丘の西側は谷のように窪んでいるが、この微妙な高低差も上町台地らしい地形かもしれない。

玉造稲荷神社の南側です。木の袂に小さな祠がある。白光大神が祀られていました。

立派な木ですね。葉を付けた時期にまた来てみたい。

玉造稲荷神社の南の参道です。正面に拝殿が見える。

「玉作岡」とは何だろう?

「古代には玉作岡として玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。」とある。

東側にまわってみました。

側面は高低差のある石積み。

こちらの参道からお参りしましょうか。

石畳の継ぎ目をセメントで段にしている。

側面に小さな石段。

境内に上がってまず目を引くのがこれ。
難波玉造資料館と豊臣秀頼公像。

立派な碑があるが、資料館に入るには事前に申し込みが必要らしい。

「上町台地東端、難波の高台に位するこの神社一帯は古代、AD5世紀(推定4世紀)頃、大和朝廷に所属する玉造部〈たまつくりべ〉(三種の神器の玉類などを製作)の居住地であったと伝えられています。当時の朝鮮(韓)半島との曲玉〈まがたま〉文化の交流地であり、また中国大陸との交流要地として、大阪で最も早くから栄えた地でもありました。また神社周辺には難波宮跡、森の宮遺跡などの古代遺跡が厳然として今日に残っております。此の度、社伝による創祀2000年祭奉祝記念として、玉作り資料を公開すると共に後世に語り継ぐ主旨のもと、多くの方々のご協力を得て建設されました。 昭和61年(1986)秋」

この地は豊臣秀頼公ゆかりの地でもあります。

秀頼公胞衣塚(ひでよりよなづか)大明神が祀られている。

詳しくはこちらを。

玉造稲荷神社拝殿です。

ご由緒。
創祀は垂仁天皇十八年秋(紀元前十二年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(厩戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ建立されたと伝わっています。一方、近世に至っては豊臣家が大阪城の鎮守神として祀り、その後、徳川の世に入っても大阪城代着任の際、当神社に参拝し家紋の提灯を奉納する等その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。平成元年(西暦一九八九年)には「創祀二千年祭」を挙行しました。

こちらは伊勢参りの起点にもなっています。そういえば今年は20年に一度の式年遷宮の年ですね。行かなくっちゃ。

一瞬どきっとしてしまう鳥居。

これは豊臣秀頼公が慶長8年(1603)に奉納したとされる鳥居です。

平成7年1月17日の阪神淡路大震災により基礎が損傷しこのように保存されています。

さて、再び高低差を探しに森之宮方面へ。

傾斜がクロスしている場所。東西に傾斜しながらこの先は下りになる。

傾斜を見上げたところ。

さらに下から見たところ。上町台地らしい傾斜角だ。

こちらもほぼ同じ角度ですね。傾斜角度を測りたい…

上からみた高低差曲線。

遥か向こうまで緩やかに傾斜している。

日生球場跡です。

ここも緩やかに傾斜している。

隣にある黄色い建物は森ノ宮ピロティホール。

この場所は森ノ宮遺跡としても有名ですね。
縄文・弥生時代の遺跡等を保存するために、ピロティ方式(高床式)を採用した建物です。

縄文人の骨なども展示室にあるそうです。
アースダイバー的にいうと大阪アボリジニの骨です。

公開時期が限定されているので私もまだ見たことがありません。ぜひ見てみたい。

森ノ宮ピロティホールの近くに赤い鳥居がある。

鵲森宮(かささぎもりのみや)の裏参道になります。

こちらが正面。「旧名鵲社 森之宮」とある。通称森之宮神社です。

創建は崇峻天皇二年(589)、四天王寺の創建より古いです。

境内の隅に亀井水碑がある。四天王寺の亀井の水と関係があるのだろうか。

社務所の外に貼ってあった猫間川堀浚絵図です。
中央に玉造豊津稲荷社、左端に鵲森宮が描かれている。
猫間川の土手にたくさん描かれている桜が印象的ですね。
より大きな地図で 上町台地の高低差を歩こう を表示
【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25
(関連記事)
『大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん』 2012.10.13
『大阪アースダイバーへの道』 2010.04.25
『アースダイビング in 上町台地』 2010.04.11
『アースダイビング in 大阪城』 2010.04.30
『アースダイビング in 生國魂神社』 2009.04.16
『アースダイバー in 大阪』 2009.04.12
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長堀通り沿いに岬のように隆起した場所がある。ちょうど大阪女学院がある辺りです。

長堀通りです。

その北側に階段がある。

こっちはもっと高くて間口が広い。

ここは車が通れる急勾配の坂道。

車からは下が見えないかも。

この丘の西側は谷のように窪んでいるが、この微妙な高低差も上町台地らしい地形かもしれない。

玉造稲荷神社の南側です。木の袂に小さな祠がある。白光大神が祀られていました。

立派な木ですね。葉を付けた時期にまた来てみたい。

玉造稲荷神社の南の参道です。正面に拝殿が見える。

「玉作岡」とは何だろう?

「古代には玉作岡として玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。」とある。

東側にまわってみました。

側面は高低差のある石積み。

こちらの参道からお参りしましょうか。

石畳の継ぎ目をセメントで段にしている。

側面に小さな石段。

境内に上がってまず目を引くのがこれ。
難波玉造資料館と豊臣秀頼公像。

立派な碑があるが、資料館に入るには事前に申し込みが必要らしい。

「上町台地東端、難波の高台に位するこの神社一帯は古代、AD5世紀(推定4世紀)頃、大和朝廷に所属する玉造部〈たまつくりべ〉(三種の神器の玉類などを製作)の居住地であったと伝えられています。当時の朝鮮(韓)半島との曲玉〈まがたま〉文化の交流地であり、また中国大陸との交流要地として、大阪で最も早くから栄えた地でもありました。また神社周辺には難波宮跡、森の宮遺跡などの古代遺跡が厳然として今日に残っております。此の度、社伝による創祀2000年祭奉祝記念として、玉作り資料を公開すると共に後世に語り継ぐ主旨のもと、多くの方々のご協力を得て建設されました。 昭和61年(1986)秋」

この地は豊臣秀頼公ゆかりの地でもあります。

秀頼公胞衣塚(ひでよりよなづか)大明神が祀られている。

詳しくはこちらを。

玉造稲荷神社拝殿です。

ご由緒。
創祀は垂仁天皇十八年秋(紀元前十二年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(厩戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ建立されたと伝わっています。一方、近世に至っては豊臣家が大阪城の鎮守神として祀り、その後、徳川の世に入っても大阪城代着任の際、当神社に参拝し家紋の提灯を奉納する等その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。平成元年(西暦一九八九年)には「創祀二千年祭」を挙行しました。

こちらは伊勢参りの起点にもなっています。そういえば今年は20年に一度の式年遷宮の年ですね。行かなくっちゃ。

一瞬どきっとしてしまう鳥居。

これは豊臣秀頼公が慶長8年(1603)に奉納したとされる鳥居です。

平成7年1月17日の阪神淡路大震災により基礎が損傷しこのように保存されています。

さて、再び高低差を探しに森之宮方面へ。

傾斜がクロスしている場所。東西に傾斜しながらこの先は下りになる。

傾斜を見上げたところ。

さらに下から見たところ。上町台地らしい傾斜角だ。

こちらもほぼ同じ角度ですね。傾斜角度を測りたい…

上からみた高低差曲線。

遥か向こうまで緩やかに傾斜している。

日生球場跡です。

ここも緩やかに傾斜している。

隣にある黄色い建物は森ノ宮ピロティホール。

この場所は森ノ宮遺跡としても有名ですね。
縄文・弥生時代の遺跡等を保存するために、ピロティ方式(高床式)を採用した建物です。

縄文人の骨なども展示室にあるそうです。
アースダイバー的にいうと大阪アボリジニの骨です。

公開時期が限定されているので私もまだ見たことがありません。ぜひ見てみたい。

森ノ宮ピロティホールの近くに赤い鳥居がある。

鵲森宮(かささぎもりのみや)の裏参道になります。

こちらが正面。「旧名鵲社 森之宮」とある。通称森之宮神社です。

創建は崇峻天皇二年(589)、四天王寺の創建より古いです。

境内の隅に亀井水碑がある。四天王寺の亀井の水と関係があるのだろうか。

社務所の外に貼ってあった猫間川堀浚絵図です。
中央に玉造豊津稲荷社、左端に鵲森宮が描かれている。
猫間川の土手にたくさん描かれている桜が印象的ですね。
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4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
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10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
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番外編:ノバク・野漠の窪地
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コメント
マリアホセ | URL | -
大変面白い記事ですね。
行ってみたい。。。
( 2013年02月24日 14:42 )
おしとわかゆ | URL | mQop/nM.
豊津稲荷社
「玉造稲荷神社と三光神社の間は谷になっている」状態が一目で確認でき、このあたりが昔、入り江になっており「玉造稲荷神社」が昔「豊津稲荷社」と呼ばれていたのが実感できました。
( 2013年02月25日 11:39 [Edit] )
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