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十三大橋の前の橋

2008年01月06日 02:00

十三大橋の前の橋

十三大橋が開通(昭和7年)する前に、新淀川に架けられていた橋が十三橋です。十三橋は淀川改良工事の終了前、明治42年5月に開通しました。

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明治30年(1897年)から明治43年(1910年)までの間、14年の歳月をかけて淀川改良工事が行われました。この工事は、琵琶湖から大阪湾までの広い範囲に及んで行われ、瀬田川洗堰の建設、宇治川の付け替え、毛馬閘門と毛馬洗堰の建設、そして新淀川の開削工事が行われました。新淀川の開削工事により中津川は無くなります。そして、そこに架かっていた十三橋(木製)もなくなり、新たに生まれた新淀川に新しい十三橋(鉄製)が架けられました。

十三橋01
明治18年の地図。
新淀川の開削工事前です。中津川に十三橋(木製)が架かっていますが、この橋が架けられたのは明治11年です。それまでは、渡し舟で対岸に行き来していました。有名な十三の渡しですね。

十三橋02
明治42年の地図。十三橋(鉄製)が開通した年です。
新淀川の開削工事の間、木製の仮橋や渡し船で通行を確保していたそうです。この工事で元の十三が河川敷に下になってしまいました。明治18年の地図の十三橋南詰が十三という地名があった場所です。成小路村字十三という地名でした。

十三橋001
新淀川に架かる十三橋。「大阪市の100年」より
右に箕面有馬電気軌道(阪急電車)の鉄橋が見えます。まだ単線のようです。橋を渡る男性の足元は下駄ですね。時代を感じさせます。

十三橋002
十三橋の全体像。
河川敷は草が生い茂っています。この河川敷を利用して、新淀川の北岸では酪農が行われました。牛の放牧によかったようです。

十三橋003
中津側から望む。「中津町史」より
右側に十三橋が見えます。対岸は成小路です。現在の新北野ですね。写真の左端に見える森は塚本の八阪神社かもしれません。

十三橋004
十三橋と十三橋南詰親友会往来安全燈。「中津町史」より
往来安全燈は現在もありますが、十三大橋より少しは離れていますね。十三橋があった場所の目印になっています。

往来燈
現在の往来安全燈。向こう側が十三です。

十三橋005
十三橋を渡る人々。「十三大橋竣功記念写真帖」より
十三大橋の工事は始まる前の写真で、おそらく昭和初期だと思われます。新京阪鉄道(阪急電鉄)の鉄橋が2つ確認できます。宝塚線と神戸線ですね。橋を渡るのは、自動車より牛車や馬車の方が多かった時代です。


※(訂正)上記に新京阪鉄道とありますが、阪神急行電鉄の間違いでした。



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コメント

  1. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    最後の写真の説明で新京阪鉄道とありますが、京都線の前身は北大阪電気鉄道が大正10年十三~淡路間開業、新京阪鉄道が昭和3年淡路~高槻間開業となっており、梅田~十三間は箕面有馬電気軌道開通以来、新京阪鉄道と称したことはありません。京都線が梅田~十三間に増設され三複線となったのは昭和34年です。
    余計なことで申し訳ございません。私、この会社の社員ですので...

  2. 新之介 | URL | -

    ありがとうございます。

    ゆきひろ様
    訂正ありがとうございます。
    この時代の社名がややこしくて…(笑)
    昭和4~5年の社名は阪神急行電鉄になるのでしょうか?
    ウィキメディアに社名変更(大正7年)が書かれていました。

    ※ゆきひろ様のお勤め先は薄々そうだろうなーと思っていました(笑)

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