2012年11月20日 22:00
大阪アースダイバーを歩く(1)
宇宙船イワフネ号と磐船神社
中沢新一氏の「大阪アースダイバー」がかなり売れていると聞きます。私も大変興味深く読みました。大阪に住んでいる間にいつしか知識として持っていた歴史や地域の断片情報が、中沢氏のフィルターを通す事で点と点がすんなりと繋がっていくような不思議な感覚を覚えました。
「大阪アースダイバー」には様々なスポットが紹介されています。そこは私の知っている場所もあれば知らない場所もある。そこで、改めてそれらのスポットを歩き回ってみたいと思います。
(縄文時代晩期〜弥生時代前期前半の地図)

「かつて河内は、物部氏の世界だった。もっとも古い大阪の文化開拓者であった物部氏は、河内に広大な所領をもち、その一族は河内の全域に広がっていた。物部氏は天皇一族よりもずっと古い時期に畿内へ入った人々である。(中略)朝鮮半島の南部から、日本列島における「カヤ(伽耶)世界」の東端に位置する大阪にたどり着いたこの最初期の物部グループは、いまの私市(きさいち)に拠点を置いたと見られる。私市近辺は水運にも便利で、高台に防衛機能を備えた村をつくるのには最適の地形であり、しかも深い渓谷を遡れば、彼らの聖地高天原にも、数時間でたどり着くことが出来る。」(中沢新一『大阪アースダイバー』講談社)

淀川の支流、天野川の上流渓谷部にある磐船神社(いわふねじんじゃ)。物部氏の聖地高天原(たかまがはら)でもある。

こちらには、物部氏の氏神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が祀られている。

境内の由緒にはこのように書かれていました。
磐船神社御由緒
御祭神 天照國照彦天火明奇玉饒速日尊(饒速日尊)
あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと
『日本書紀』や、『古事記』『先代旧辞本紀(せんだいくじほんぎ)』などの古い書物によりますと、
天孫(てんそん)饒速日尊(にぎはやひのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫神にあたり、大御神の御命令により、高天原(たかまがはら)より天の磐船に乗って河内國河上哮ヶ峯(いかるがみね)に降臨されました。のちに大和國に入り、大和河内地方を開発し建国の礎を築かれ、人々より天津神(天より来られた貴い神様)と崇敬された神様であります。また、饒速日尊が降臨に際して、天空より国土を望まれて「虚空見つ日本國(そらみつやまとのくに)」と言われた事が「やまと」という国号の始まりとされています。
尊は高天原より持って来られた十種瑞神寳(とくさみずのかんだから)により鎮魂祭(たましずめのみまつり)を行い、病に苦しむ人々を助け、死人をも蘇らせたと云われ、加持祈祷の根元として神道のみならず修験道、密教、陰陽道からも崇敬されて来ました。
尊の子孫は物部氏と呼ばれる古代大和朝廷における最大最強の氏族を形成し、大連(おおむらじ)として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野物部という一族がおりました。
当神社は、饒速日尊が乗って来られた天の磐船を御神体として祀り、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されています。当神社の創祀年代は詳らかではありませんが、磐座信仰という神道最古の信仰形体と伝承の内容から、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられております。その後、物部氏を中心として祭祀が行われていましたが、物部氏本宗の滅亡後、山岳仏教や住吉信仰などの影響を受けるようになり、平安時代には「北嶺の宿」と呼ばれ、生駒山系の修験道の一大行場として変貌を遂げるに至り、境内には四社明神の石仏や、不動明王像が祀られ、弘法大師の作とされる磐船和讃が伝承されています。今でも神仏習合を色濃く残しており、例大祭には護摩壇を設けて大火焚祭(おひたきまつり)が行われています。
また、当社大岩窟は、古来より行場として知られ、現在でも多くの行者や拝観者が訪れます。

この日はあいにくの雨。

大きな岩に彫られた不動明王。

四社明神と書かれた案内シートの向こうの岩を見ると

くぼみの所に何かが彫られているようです。

この岩には大日如来、観音菩薩、地蔵菩薩、勢至菩薩の四社明神が彫られていていました。どうやらかなり古いものらしく鎌倉時代のもののようです。

この場所は以前は川だったそうで、平成9年の河川付け替え工事により、現在はほとんど水が流れていません。川幅がかなり狭い場所なので、大水の時は凄かったのではないでしょうか。

何やら巨大な岩が見えます。

由緒には天孫饒速日尊(てんそんにぎはやひのみこと)が天の磐船に乗って哮ヶ峯(いかるがみね)に降臨されたとあるが、哮ヶ峯はこの場所から数分の所にある現在はロッククライミングができる名所で、拝殿の後ろにあるこの大きな岩が「天の磐船」です。

高さ約12メートル、長さ約12メートルもある舟形巨岩がこちらが御神体になります。中沢氏はこの巨石を「宇宙船磐船号(イワフネ号)」と書いている。確かに天孫降臨のために使用された巨大宇宙船のようにも見える。
「河内名所図絵」より

この絵は河内名所図絵の「巌船」です。中央に描かれている巨石はまさに船の船首のように描かれている。四社明神も描かれていますね。

さらに奥に行くと

大きな岩が重なるように続いている。宇宙船の「残骸」のようです。

さらにこの岩場の下に下りていけるようになっています。

この日は雨だったので中には入れませんでしたが、

社務所で受付をすると白衣着用で拝観できるそうです。拝観料は500円。

柵越しに下をのぞいてみました。
なんかぞわぞわする。これはぜひ行ってみたい。

ちなみに社務所は橋の向こう側にあります。

橋の上からの眺め。雑草が生い茂り水がちょろちょろと流れているだけでした。

ちなみにここがすぐ上流にある付け替え後のトンネル。

磐船神社の横の山をトンネルが貫通しておりここが出口。
穴の中に吸い込まれてしまいそうな、そんな空気が漂っている場所でした。
より大きな地図で 大阪アースダイバー を表示
【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
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19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
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1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25
(関連記事)
『大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん』 2012.10.13
『大阪アースダイバーへの道』 2010.04.25
『アースダイビング in 上町台地』 2010.04.11
『アースダイビング in 大阪城』 2010.04.30
『アースダイビング in 生國魂神社』 2009.04.16
『アースダイバー in 大阪』 2009.04.12
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宇宙船イワフネ号と磐船神社
中沢新一氏の「大阪アースダイバー」がかなり売れていると聞きます。私も大変興味深く読みました。大阪に住んでいる間にいつしか知識として持っていた歴史や地域の断片情報が、中沢氏のフィルターを通す事で点と点がすんなりと繋がっていくような不思議な感覚を覚えました。
「大阪アースダイバー」には様々なスポットが紹介されています。そこは私の知っている場所もあれば知らない場所もある。そこで、改めてそれらのスポットを歩き回ってみたいと思います。
(縄文時代晩期〜弥生時代前期前半の地図)

「かつて河内は、物部氏の世界だった。もっとも古い大阪の文化開拓者であった物部氏は、河内に広大な所領をもち、その一族は河内の全域に広がっていた。物部氏は天皇一族よりもずっと古い時期に畿内へ入った人々である。(中略)朝鮮半島の南部から、日本列島における「カヤ(伽耶)世界」の東端に位置する大阪にたどり着いたこの最初期の物部グループは、いまの私市(きさいち)に拠点を置いたと見られる。私市近辺は水運にも便利で、高台に防衛機能を備えた村をつくるのには最適の地形であり、しかも深い渓谷を遡れば、彼らの聖地高天原にも、数時間でたどり着くことが出来る。」(中沢新一『大阪アースダイバー』講談社)

淀川の支流、天野川の上流渓谷部にある磐船神社(いわふねじんじゃ)。物部氏の聖地高天原(たかまがはら)でもある。

こちらには、物部氏の氏神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が祀られている。

境内の由緒にはこのように書かれていました。
磐船神社御由緒
御祭神 天照國照彦天火明奇玉饒速日尊(饒速日尊)
あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと
『日本書紀』や、『古事記』『先代旧辞本紀(せんだいくじほんぎ)』などの古い書物によりますと、
天孫(てんそん)饒速日尊(にぎはやひのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫神にあたり、大御神の御命令により、高天原(たかまがはら)より天の磐船に乗って河内國河上哮ヶ峯(いかるがみね)に降臨されました。のちに大和國に入り、大和河内地方を開発し建国の礎を築かれ、人々より天津神(天より来られた貴い神様)と崇敬された神様であります。また、饒速日尊が降臨に際して、天空より国土を望まれて「虚空見つ日本國(そらみつやまとのくに)」と言われた事が「やまと」という国号の始まりとされています。
尊は高天原より持って来られた十種瑞神寳(とくさみずのかんだから)により鎮魂祭(たましずめのみまつり)を行い、病に苦しむ人々を助け、死人をも蘇らせたと云われ、加持祈祷の根元として神道のみならず修験道、密教、陰陽道からも崇敬されて来ました。
尊の子孫は物部氏と呼ばれる古代大和朝廷における最大最強の氏族を形成し、大連(おおむらじ)として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野物部という一族がおりました。
当神社は、饒速日尊が乗って来られた天の磐船を御神体として祀り、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されています。当神社の創祀年代は詳らかではありませんが、磐座信仰という神道最古の信仰形体と伝承の内容から、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられております。その後、物部氏を中心として祭祀が行われていましたが、物部氏本宗の滅亡後、山岳仏教や住吉信仰などの影響を受けるようになり、平安時代には「北嶺の宿」と呼ばれ、生駒山系の修験道の一大行場として変貌を遂げるに至り、境内には四社明神の石仏や、不動明王像が祀られ、弘法大師の作とされる磐船和讃が伝承されています。今でも神仏習合を色濃く残しており、例大祭には護摩壇を設けて大火焚祭(おひたきまつり)が行われています。
また、当社大岩窟は、古来より行場として知られ、現在でも多くの行者や拝観者が訪れます。

この日はあいにくの雨。

大きな岩に彫られた不動明王。

四社明神と書かれた案内シートの向こうの岩を見ると

くぼみの所に何かが彫られているようです。

この岩には大日如来、観音菩薩、地蔵菩薩、勢至菩薩の四社明神が彫られていていました。どうやらかなり古いものらしく鎌倉時代のもののようです。

この場所は以前は川だったそうで、平成9年の河川付け替え工事により、現在はほとんど水が流れていません。川幅がかなり狭い場所なので、大水の時は凄かったのではないでしょうか。

何やら巨大な岩が見えます。

由緒には天孫饒速日尊(てんそんにぎはやひのみこと)が天の磐船に乗って哮ヶ峯(いかるがみね)に降臨されたとあるが、哮ヶ峯はこの場所から数分の所にある現在はロッククライミングができる名所で、拝殿の後ろにあるこの大きな岩が「天の磐船」です。

高さ約12メートル、長さ約12メートルもある舟形巨岩がこちらが御神体になります。中沢氏はこの巨石を「宇宙船磐船号(イワフネ号)」と書いている。確かに天孫降臨のために使用された巨大宇宙船のようにも見える。
「河内名所図絵」より

この絵は河内名所図絵の「巌船」です。中央に描かれている巨石はまさに船の船首のように描かれている。四社明神も描かれていますね。

さらに奥に行くと

大きな岩が重なるように続いている。宇宙船の「残骸」のようです。

さらにこの岩場の下に下りていけるようになっています。

この日は雨だったので中には入れませんでしたが、

社務所で受付をすると白衣着用で拝観できるそうです。拝観料は500円。

柵越しに下をのぞいてみました。
なんかぞわぞわする。これはぜひ行ってみたい。

ちなみに社務所は橋の向こう側にあります。

橋の上からの眺め。雑草が生い茂り水がちょろちょろと流れているだけでした。

ちなみにここがすぐ上流にある付け替え後のトンネル。

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