2012年08月27日 00:15
千里丘陵を歩く(4)
服部緑地から下新田へ

大正12年測量の地図です。下にある2つの池は現服部緑地公園内のうづわ池と鴻池、上の池は桃山台駅横の春日大池だと思われます。
「国土変遷アーカイブ」

昭和23年の航空写真です。丘陵地と低地がどのように広がっていたかよくわかります。田んぼが広がる低地をくねくねと旧道が続いている。

新宮池から歩いて行きます。

旧地図や航空写真を見ると新宮池の位置に池が存在していません。鴻池があった場所は現在服部緑地の東中央広場になっており、新宮池は新たにできた池のようです。1961年頃の航空写真には3つの池が並んで写っていました。
「国土変遷アーカイブ」

これは昭和41年(1966)の航空写真です。うづわ池と鴻池、新宮池の3つが並んでいるのがわかる。ちなみに、服部緑地は大阪府が府民のレクリエーション施設として昭和16年(1941)に42万坪を買収して作ったものです。

ミドリガメ(アカミミガメ)かな。魚もブルーギルっぽい。

旧道沿いに高川が流れている。

それに架かるコンクリート橋。これは寺内橋。

服部緑地の東中央広場。この場所が元鴻池があった場所です。

反対側の緑道の向こうに緑地公園駅があります。

さらに進むとうづわ池がある。

こちらに池は昔のまんまっぽい。

服部緑地前交差点。

旧道沿いは歩けないので駐車場の横の道を歩く。

で、寺内2丁目交差点。この道を左に行きます。

いなり山児童遊戯場。航空写真を見ると昔は田んぼだったようですね。

この辺りが旧下新田村の入口のようです。

立派な蔵と瓦塀です。

しばらく住宅が続いて

古い町並みが現れた。

大きな茅葺き屋根の建物。

こういう建物と建物の隙間が好きかもしれない。時間が止まっている感じがする。

この納屋もいい感じです。

電話ボックスがある昭和の風景ですね。

こちらの寺は西照寺。寛永8年(1631)開基で下新田村が成立して間もない頃に開かれた寺だそうです。

こちらの門も立派だ。

ちょっと路地に入ってみましょうか。

地名が春日になっていますが、下新田村が吹田市と合併した昭和28年(1953)に、この地にある春日神社の名前にちなんで春日としたそうです。

いい感じのくねくね道。

いい路地ですね。

こちらもいい門構えです。

さて、再び旧道へ。

で、また路地へ。

古い町並みがところどころに残っている。

再び旧道へ。

この地区を流れる高川にある水門。

この水門が残る事で道幅が狭く車が通りにくいのですが、「静かな村を」という旧村の精神を受け継ぎ意図的に残しているそうです。

こちらにもいい感じの建物が。

奥に母屋の屋根が見える。

この看板は散髪屋でしょうかね。

春日出荷場の奥に散髪屋がありました。
この出荷場、筍の出荷の時に利用されるのだとか。
より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示
(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2
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服部緑地から下新田へ

大正12年測量の地図です。下にある2つの池は現服部緑地公園内のうづわ池と鴻池、上の池は桃山台駅横の春日大池だと思われます。
「国土変遷アーカイブ」

昭和23年の航空写真です。丘陵地と低地がどのように広がっていたかよくわかります。田んぼが広がる低地をくねくねと旧道が続いている。

新宮池から歩いて行きます。

旧地図や航空写真を見ると新宮池の位置に池が存在していません。鴻池があった場所は現在服部緑地の東中央広場になっており、新宮池は新たにできた池のようです。1961年頃の航空写真には3つの池が並んで写っていました。
「国土変遷アーカイブ」

これは昭和41年(1966)の航空写真です。うづわ池と鴻池、新宮池の3つが並んでいるのがわかる。ちなみに、服部緑地は大阪府が府民のレクリエーション施設として昭和16年(1941)に42万坪を買収して作ったものです。

ミドリガメ(アカミミガメ)かな。魚もブルーギルっぽい。

旧道沿いに高川が流れている。

それに架かるコンクリート橋。これは寺内橋。

服部緑地の東中央広場。この場所が元鴻池があった場所です。

反対側の緑道の向こうに緑地公園駅があります。

さらに進むとうづわ池がある。

こちらに池は昔のまんまっぽい。

服部緑地前交差点。

旧道沿いは歩けないので駐車場の横の道を歩く。

で、寺内2丁目交差点。この道を左に行きます。

いなり山児童遊戯場。航空写真を見ると昔は田んぼだったようですね。

この辺りが旧下新田村の入口のようです。

立派な蔵と瓦塀です。

しばらく住宅が続いて

古い町並みが現れた。

大きな茅葺き屋根の建物。

こういう建物と建物の隙間が好きかもしれない。時間が止まっている感じがする。

この納屋もいい感じです。

電話ボックスがある昭和の風景ですね。

こちらの寺は西照寺。寛永8年(1631)開基で下新田村が成立して間もない頃に開かれた寺だそうです。

こちらの門も立派だ。

ちょっと路地に入ってみましょうか。

地名が春日になっていますが、下新田村が吹田市と合併した昭和28年(1953)に、この地にある春日神社の名前にちなんで春日としたそうです。

いい感じのくねくね道。

いい路地ですね。

こちらもいい門構えです。

さて、再び旧道へ。

で、また路地へ。

古い町並みがところどころに残っている。

再び旧道へ。

この地区を流れる高川にある水門。

この水門が残る事で道幅が狭く車が通りにくいのですが、「静かな村を」という旧村の精神を受け継ぎ意図的に残しているそうです。

こちらにもいい感じの建物が。

奥に母屋の屋根が見える。

この看板は散髪屋でしょうかね。

春日出荷場の奥に散髪屋がありました。
この出荷場、筍の出荷の時に利用されるのだとか。
より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示
(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
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10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
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コメント
きりん | URL | /GOs4CXM
春日は母校の校区だったので、よく遊びに行きました。水門のあたりで鮒とりなどやりました。
校区の北西が春日(当時は春日町と言ってました)で、東が佐井寺でしたが、下新田の開墾は佐井寺の住人によるもので、今でも両方の集落で親戚づきあいがあるそうです。
元新宮池は子供の頃まだありました。池に挟まれた道を渡って服部緑地に行った記憶があります。
1961年の航空写真には元新宮池と現新宮池、両方写ってますね。
その頃の池の名前はなんてよばれてたのでしょう?。
( 2012年08月27日 12:50 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
きりんさん
新宮池のご指摘ありがとうございます。
池の名前は私の間違いで大幅に修正しました!
下新田は上新田とほぼ同時期に開墾されているようですね。佐井寺村と山田村も開墾に関わっているようで山田上新田、山田下新田と記された資料もありました。まだちゃんと読んでいませんので勉強中です。
( 2012年08月27日 23:27 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
モノクロ航空写真
非常に興味深い時代の証人的な一枚として拝見しました。
服部緑地は昭和3年頃に指定を受けて、上の方に見える整然とした区画は
以前コメントした大阪市の霊園だと思います。
本文の記事の昭和16年と言えば、開戦の年で、レクリエーション目的と
いうのは多分異なるのではと思いました。
あと円形花壇は昭和34年と現地に書いてあります。おそらく開園は
昭和の御大典(昭和天皇即位)を祝して、円形花壇は皇太子(現天皇)
ご成婚記念事業だったのでないかと想像しています。
昨年まで大阪府営ユースホステルが中にあったのですが、営業廃止に
なりました。このサンクチュアリ空間が乱暴な開発されないことだけを
祈っております。
( 2012年08月30日 00:22 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
服部緑地はまさにサンクチュアリですね。
子供の頃、ザリガニを釣りに電車でよく連れきてもらった思い出深い場所です。
服部霊園は家の墓がありますのでよく来ています。
ずっと今のままで残って欲しい場所ですね。
( 2012年09月13日 01:10 [Edit] )
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