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千里丘陵を歩く・旧石連寺(石蓮寺)村・若宮住吉神社・興法寺

2012年08月16日 06:00

千里丘陵を歩く(3)
若宮住吉神社と旧石連寺村

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住吉神社の参道に大きな松の木がある。

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若宮 住吉神社。小曽根、北条などの地域の氏神です。
お隣の旧寺内村は素戔嗚尊神社(江坂神社)が氏神のようですね。

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こちらは「若宮」の冠を持つ神社で、地名を冠にする周辺の住吉神社とは一線を画しています。

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石段を上がるとさっきの一本松がそびえ立っている。

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由緒は古く、天平年間に行基が興した石連寺の跡に、平清盛が創祀した厳島神社が神社の起源といわれています。石連寺は広大な敷地を有する寺院でしたが、平清盛に攻められ廃寺になりました。

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御社(みやしろ)があった場所はこの神社の西隣だとされています。
由緒等はホームページに詳しく書かれています。

若宮と称えられた住吉神社
(※「石連寺」の表記について住吉神社のHPに合わせて『石蓮寺』ではなく「石連寺」に統一しました)

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この狛犬、地元では親子と狛犬と伝わっているそうです。

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左から摂社の水分神社(旧厳島神社)と八幡神社(旧正八幡宮)。

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力石ではないかと伝わる丸い石。

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高い場所ですね。昔は大阪湾まで見渡せたのではないでしょうか。

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さて、旧石連寺村を歩いて行きます。

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旧村の南東端の出入口にある地蔵尊。

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昔からここにあったのでしょうね。

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トタンでカバーされた茅葺き屋根。

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板塀がいい感じです。

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こちらも茅葺き屋根だったのでしょうか。
瓦葺きに替えられていますね。珍しいかも。

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こちらにも元茅葺き屋根の家が残っています。

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こちらのトタン屋根のデザインはちょっと変わってる。

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立派な蔵ですね。上半分は銅板で覆われているのかな。

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いい感じの門だ。

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こちらも立派な屋根。

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住宅地の真ん中に祠が現れました。

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愛宕神社です。

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その向かいには

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石仏がたくさん祀られている。

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その横の蔵も立派だ。

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こちらの祠には愛宕大神が祀られていました。

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こちらにも地蔵尊が。

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さて、立派な門が見えてきた。

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こちらは興法寺。

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興法寺の開基は摂州橘御園庄今福村に住む今福左右衛門源道悟だそうです。元は今福村にあったのが、戦国時代に消失し、慶長10年にこちらで再建されました。地図を見ると尼崎市今福に同じ興法寺という名の寺があります。

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興法寺の裏にこんな碑があった。
左 石蓮寺(白鳳)跡
右 大坂焔焇蔵場跡
焔焇蔵場とは火薬庫のようですね。どこにあったのだろう。

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旧石連寺村の西の端に

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緑に囲まれた若竹池がある。数年前までは釣り堀になっていましたね。

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釣り堀があったころからここにあった祠。
何が祀られているのでしょう。

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住宅地のまん中にポツンと残された竹やぶ。ここだけ時間が止まっている感じ。

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ということで、ふたたび旧道に戻り旧下新田村へ向かいます。


より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示


(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2


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コメント

  1. バンビ | URL | DqplLbC6

    服部緑地の公園内の林の中に盛り土された場所があり、
    そこで焔焇蔵の跡という説明板を見たことがあります。

  2. 野口 徹 | URL | -

    大阪城焔硝蔵

    大阪城焔硝蔵は、服部緑地円形花壇の北側にありました。
    現在も蔵と蔵の間にあった防火用の土手が現存しています。

  3. 今津っ子 | URL | 4nygY/.M

    ひさしぶりです。
    この1年間に2度の入院と、同じく2度のPCダウンにみまわれましたが、めげずに頑張っております。
    本日TV「キャスト」で画面に突然新之介さんの名前が登場し、驚きました。
    なかなか楽しいことをやっておられますね。

    江坂付近の散策、拝見しております。
    私もこの付近の旧街道に興味があり、既に調査や写真撮影完了はしているのですが、ずるずると発表が遅れております。

    新之介さんが通られた旧石蓮寺村のお地蔵さんのある道ですが、これは江戸時代の「京街道」です。当時はこの地区の東西のメインストリートでした。この「京街道」は伊丹郷町の南端からスタートし、豊中の原田城跡を回りこみ、曽根、岡山、福井の各旧村を貫いて石蓮寺村の東で少し南に食い違い、更に東に進んで高川の堤で新之介さんが歩かれた南北の道に合流して榎坂で左折し、明治末に大阪府が吹田街道と命名した道路になって吹田をかすめ、芥川で西国街道に合流して京都に達します。

    豊中吹田地区について街道のガイド情報はたくさん発信されていますが、基本的に明治末発行の『大阪府誌』をベースにしているので、街道と言うより明治維新後の府県道ガイドに近く、従って明治の維新後にすたれた「京街道」のような古道は無視されることが多くて残念です。

    いずれ「江戸時代の豊中の街道」について書こうと思います。

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    バンビさん
    野口さん
    ありがとうございます。こんど探してみます!

    今津っ子さん
    「キャスト」はミニチュア動画ですね。
    最近そのジャンルの人気があるそうです ^^
    さて、あの道が「京街道」だったとは驚きです。
    やはり古道は奥が深くて面白い。
    「江戸時代の豊中の街道」期待しています。
    体にお気をつけください。

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