このエントリーをはてなブックマークに追加

千里丘陵を歩く・江坂

2012年08月08日 01:00

千里丘陵を歩く(1)
江坂から北へ

hokusetsu_001.png
大正12年測量の千里丘陵の地図です。
高度経済成長期以降、宅地開発等で激変した地域ですが、この地図を見ると丘陵地帯にいくつかの村が点在しその村々を繋ぐくねくねした旧道が確認できる。

hokusetsu_005.jpg
これを昭和22年(1947)の航空写真と重ねてみました。

国土変遷アーカイブ
hokusetsu_002.jpg
丘陵地と低地がよくわかりますよね。
低地沿いに旧道がくねくねと続いている。

という事で、今回から数回シリーズで、この千里丘陵の旧村と旧道を歩きながら、昔の風景を探しに行こうと思います。

まずは【江坂から上新田へ】

国土変遷アーカイブ
hokusetsu_003.jpg
これは昭和23年(1948)の榎坂から下新田周辺です。
赤の破線は上新田に続く旧道で南は十八条に通じています。榎坂を東西にはしる道は吹田街道。右上の住宅地は千里山。左上にはまだ規模が小さい服部霊園が見える。

hokusetsu_004.png
大正12年測量の地図ではこのようになっている。航空写真とは20年以上の開きがありますが、旧道周辺はそれほど大きく変わっていないように見えます。

IMG_7702.jpg
江坂のこの細い旧道を歩いていきます。

IMG_7705.jpg
突き当たりの手前に石が並んでいる。

IMG_7712.jpg
ここは吹田街道と交わる場所。ここに道標があります。

IMG_7713.jpg
「左リ勝尾寺」

IMG_7710.jpg
この道標は榎坂東道標。江戸時代のもののようです。

IMG_7716.jpg
吹田街道を左に曲がってすぐの角にも道標があります。

IMG_7718_20120806233437.jpg
「右 かちをじ」
「右 みのを 中山 すぐ はほ(?)とり あま」
「すぐ 吹田 京」

IMG_7720.jpg
これらの道標も江戸時代のもので榎坂西道標というそうです。

IMG_7724.jpg
この道を北に向かいましょう。

IMG_7726.jpg
しばらく行くと往来安全と刻まれた石灯籠がある。

IMG_7727.jpg
妙見信仰の石灯籠のようです。

IMG_7729.jpg
そもまま道を進むと府道に出ますが、

IMG_7730.jpg
すぐに細い道が現れる。左の道を行きます。

IMG_7735.jpg
すぐにちいさな墓地が現れた。

IMG_7739.jpg
緑も増えてきましたね。

IMG_7741.jpg
カボチャの青々とした葉っぱが夏らしい。

IMG_7743.jpg
この先をくねっと曲がります。

IMG_7744.jpg
柵の中には池がありました。昔からある池。

IMG_7748.jpg
柵で囲まれた道を行くと

IMG_7751.jpg
再び府道に。横には江坂公園墓地。

IMG_7755.jpg
高川に架かる新豊吹橋を渡る。

IMG_7756.jpg
この高川は天井川になっています。

IMG_7757.jpg
その横に大きな池がある。
北摂地域は大規模な宅地開発が行われましたが池が結構残っていますよね。ちょっと面白い現象。

IMG_7760.jpg
本来ならこの高川沿いを歩きたいのですが、

IMG_7761.jpg
残念ながら行き止まり。

IMG_7765.jpg
陸橋を越えて北へ。
この先、丘陵地沿いの道を歩いて行きます。


より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示


(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト





コメント

  1. たっくす | URL | -

    待望の北摂地域。

    いつも楽しく拝見させていただいており、
    今回初めてコメントさせていただきます。

    大正12年の地図には驚きと感動を覚えます。
    私は30代前半のまだまだ若輩者ですが、
    多くの時間を山田を中心とした北摂地域で過ごしてまいりました。
    山田村、特に山田東4丁目~2丁目あたりは昔の建物も未だ多く、
    万博時代のニュータウン化と絶妙なマッチをしております。
    機会があれば訪ねてみて下さい^^

    今回から、また北摂を歩かれることを知り、更新が待ち遠しい限りです。

  2. kotaro | URL | j/SmWNHw

    北摂と昭和後半

    私も昭和39年頃の新御堂筋ができる前の
    地図を持っており、見るのが大変好きです。
    万博が45年、江坂に東急ハンズができた58年が
    ひとつの出来事でした。
    万博といえば、万博公園で昭和の終わりに毎夏
    ジャズの「ライブアンダーザスカイ」という
    国際的イベントをやっていたのも懐かしく思い
    出されます。

  3. nobcha | URL | SFo5/nok

    サイクリングでトレースしてみます

    こんばんは、コメント失礼します。
    江坂に越してきて、チャリで近辺めぐりをしております。
    先日吹田街道から江坂神社の道を登ったのですが、江坂道標の場所を承知せず、手前で曲がってしまいました。詳しい地図を提示いただいたので次は見学してみます。

  4. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    不思議レリーフ「センリキュウリョウ」

    千里丘陵→万博会場、千里丘陵→竹林くらいパターンのイメージがあります。
    ため池は大河川のない丘陵地特有のことでしょうか。
    入り組んだ低地はこの丘陵がいかにフラットかを物語るものかとも思います。
    小河川ができはじめるときも、どっちへ流れようか、みたいに川自体が「悩んだ挙句」の結果かとも思います。
    それでもこの丘陵の小河川のほとんどが神崎川水系へ流れていることから、
    やはり微妙に北高南低なのでしょうか。
    国道171号線を石橋から京都方面に向かうと茨木くらいまで
    ずうっと右手の高みが味わえます。それが千里丘陵の北端。
    同様に阪急電車やJRで京都へ向かうと左手が高みだとは感じるのですが、
    171号線から見たほどには高まり(高低コントラスト)が明白ではない。
    そんな感覚からも千里丘陵を薄っぺらい三角柱で、上面がほんの少し南に傾いている、みたいな形態感覚を持ちました。
    そんな意味ありな地形の特質を高度成長期に大規模住宅デベロッパーと
    大阪万博がみごとにせしめてしまった(トラップした)、というような気がしています。
    あと10年ほどそうした企画が遅れていたら今の千里丘陵は違ったものになっていかもしれないと思ったりします。
    で、千里丘陵を万博が確保できなかったとしたら(10年ほど遅れて開発が進んでいたら)、
    その後万博は泉北あたりに行っていたのだろうかと思うこともあります。
    大阪市内にある「キタ」と「ミナミ」にも似た対比が
    都心から離れた丘陵の「キタ」そして「ミナミ」もありそうな気がしています。
    江坂や豊津あたりの丘陵南端は海進や海退の最前線。
    人々の活動しやすいところだったのでしょうか。

  5. 新之介 | URL | sDz630us

    たっくすさん
    先日山田地区をちょこっとだけ歩きました。
    とてもいい町並みが残っていますね。
    日を改めて歩いてこようと思います。

    kotaroさん
    「ライブアンダーザスカイ」懐かしい! ^^

    nobchaさん
    ぜひぜひ ^^
    自転車でうろうろしてみてください。
    いいものが発見出来ると思います。

    Empizzoさん
    歩けば歩くほど「よくもまあここまで開発されたものだ」と思います。昔の名残を見るけるのがかなり困難。でも旧村に一歩足を踏み込むと懐かしい風景が残っています。まさにタイムスリップ出来る空間。この地域、かなり面白いかもです。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/704-ab87c5e7
この記事へのトラックバック