2007年12月17日 13:00
昭和一桁の十三(じうさう) 3
十三の大道路
十三大橋の開通にともない、十大放射路線である大阪池田線、大阪伊丹線も完成し、近代的な道路が十三の中心を貫くことになる。十三の町はこの大きな道路によって、劇的に変わっていくことになります。
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十三橋の北の袂にたってみると、新開の大道路によつて、東側にある古い街道は、自然裏道となり、道路に沿つて建ち並んだ店舗は、勢ひくるりと廻り右をして、中には、双方に店の入口をつけた、両面屋と云ったような不思議なものさへ出来た。双方の道が相接するところに来ると、地形に準じて家が三角形になり、それにまた大橋からつづく坂路のため、新道は高く、旧道は低くなり、裏は二階建で、表は平屋建と云った、不思議な、複雑な、引きちぎられたやうな家がつづいてゐる。
これ等の新築家屋は、みな例のコンクリート塗の有平糖のやうな形体を並べてゐる。耳鼻咽喉科医院によろしく、ラヂオと電気の店によろしく、美髪学校によろしく、運道具と蓄音機の店によろしく、オイル・サーヴィスによろしい。すべて古い家のない近代風景であるが、コンクリートの道路が広く、真白な壁の町をつくって、夏の頃などは、目が痛くて歩かれない。町の発展といふものが、みな一様にこんな風にあらねばならぬとすると、私などは少しやりきれない。十三西ノ町の、あの細い盛り場から、ひよつくりとこの大道路に出やうものなら、全く、大河へ放たれた小魚のやうな感じで、いままで歩いてゐる十三の町は、路次のやうに、その入口がどこであつたか分からぬやうなことになる。
「近代大阪 近畿景観第三編 / 北尾鐐之助」より

昭和12年の地図です。黄色の道路が大道路と書かれている新しい道路です。緑色の道は旧道路です。水路にも色を付けて分かりやすくしました。水色の○印は「勢ひくるりと廻り右をして」とある辺りです。今里屋には赤の○印を入れました。

明治42年の地図です。上の地図と比べやすいように、旧道路と水路に色を付けてみました。この地図にある橋は旧の十三橋です。木製の橋で12/16の十三大橋の写真に小さく写っていた鉄製の橋の前に架けた仮橋です。おそらく…

(思い出の十三 イラストマップ~十三大橋北詰周辺)
水色の○印辺りの店が大道路ができて、後ろ前が反対になった一角です。このイラストは昭和10年~20年の記憶のマップなので、時間が経過しています。大道路沿いに店舗が出来ていますね。水色の○印の所に階段が描かれています。それだけ段差があるのです。「裏は二階建で、表は平屋」と書かれていましたが、かなりに段差があります。。

昭和9年の十三駅前の交差点の写真です。建物の間に細い道らしきものが見えますが、これが商店街の入り口でしょうか。

現在の十三大橋の袂。橋の袂から交差点の方向を見ています。真ん中にある格子状のデザインの建物が今里屋久兵衛です。

イラストマップにも描かれていますが、金網とうしと縄・ヒモの店。現在も橋の袂でご商売を続けておられます。
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十三の大道路
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十三橋の北の袂にたってみると、新開の大道路によつて、東側にある古い街道は、自然裏道となり、道路に沿つて建ち並んだ店舗は、勢ひくるりと廻り右をして、中には、双方に店の入口をつけた、両面屋と云ったような不思議なものさへ出来た。双方の道が相接するところに来ると、地形に準じて家が三角形になり、それにまた大橋からつづく坂路のため、新道は高く、旧道は低くなり、裏は二階建で、表は平屋建と云った、不思議な、複雑な、引きちぎられたやうな家がつづいてゐる。
これ等の新築家屋は、みな例のコンクリート塗の有平糖のやうな形体を並べてゐる。耳鼻咽喉科医院によろしく、ラヂオと電気の店によろしく、美髪学校によろしく、運道具と蓄音機の店によろしく、オイル・サーヴィスによろしい。すべて古い家のない近代風景であるが、コンクリートの道路が広く、真白な壁の町をつくって、夏の頃などは、目が痛くて歩かれない。町の発展といふものが、みな一様にこんな風にあらねばならぬとすると、私などは少しやりきれない。十三西ノ町の、あの細い盛り場から、ひよつくりとこの大道路に出やうものなら、全く、大河へ放たれた小魚のやうな感じで、いままで歩いてゐる十三の町は、路次のやうに、その入口がどこであつたか分からぬやうなことになる。
「近代大阪 近畿景観第三編 / 北尾鐐之助」より

昭和12年の地図です。黄色の道路が大道路と書かれている新しい道路です。緑色の道は旧道路です。水路にも色を付けて分かりやすくしました。水色の○印は「勢ひくるりと廻り右をして」とある辺りです。今里屋には赤の○印を入れました。

明治42年の地図です。上の地図と比べやすいように、旧道路と水路に色を付けてみました。この地図にある橋は旧の十三橋です。木製の橋で12/16の十三大橋の写真に小さく写っていた鉄製の橋の前に架けた仮橋です。おそらく…

(思い出の十三 イラストマップ~十三大橋北詰周辺)
水色の○印辺りの店が大道路ができて、後ろ前が反対になった一角です。このイラストは昭和10年~20年の記憶のマップなので、時間が経過しています。大道路沿いに店舗が出来ていますね。水色の○印の所に階段が描かれています。それだけ段差があるのです。「裏は二階建で、表は平屋」と書かれていましたが、かなりに段差があります。。

昭和9年の十三駅前の交差点の写真です。建物の間に細い道らしきものが見えますが、これが商店街の入り口でしょうか。

現在の十三大橋の袂。橋の袂から交差点の方向を見ています。真ん中にある格子状のデザインの建物が今里屋久兵衛です。

イラストマップにも描かれていますが、金網とうしと縄・ヒモの店。現在も橋の袂でご商売を続けておられます。

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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
馬
この地図 おもしろいですね
馬力や賀あり 鍛冶屋 蹄鉄や そしてガソリンスタンド 電車の線路もある
輸送手段が 変わっていく過程での新旧が見られて興味深いです
大阪貯蓄銀行と言うのは 大阪銀行だったかな 昔 住友 神戸 と並んでいた ひとつ川よりの角に銀行ありましたね
他が3時までしかしていないころに もう少し遅くまで営業しているとか聞いたことがある銀行でしたが・・
あれでしょうか?
( 2007年12月17日 22:08 [Edit] )
ゆきひろ | URL | XoxlQHfE
イラストマップに書いてある金網とうしのお店の横の階段、今でもその位置に阪急施設の出入り口として階段がありますね。
馬が荷車を引いて歩いていた頃の十三ってすごく昔のような感じがしますが、その頃をご存知の方がたくさんお元気でいらっしゃるのが嬉しいです。
( 2007年12月18日 22:14 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
テント屋さん
昔 十三でテントやさんを見たことがあります
ミシンの頭が床においてあって 床は掘ってあって(掘りごたつみたいに) そこに座ってテントを縫っていました
生地の重みに引っ張られないための工夫だと思うのですが おもしろくてよく見ていました このお店だったのでしょうね
十三にテント屋さんが何軒もあるとは思えないので・・
( 2007年12月20日 01:55 [Edit] )
西岡邦夫 | URL | -
馬が引く荷車
私が子供の頃、昭和一桁から二桁の初め頃、元今里北通に住んでいた頃ですが、荷車を引く馬はよく見かけました。時々歩きながら尻尾を上げて糞をしている光景もみましたし、十三もその頃はのどかな田園風景でした。イラストマップは本当に昔を思い出させてくれて感謝します。
( 2007年12月20日 09:03 )
新之介 | URL | -
大阪貯蓄銀行
TOSSY様
返事が遅くなってごめんなさい。
大阪貯蓄銀行、調べてみました。十三に店舗が出来たのが、ちょうど地図の発行と同じ昭和12年でした。昭和20年に九貯蓄銀行と合併し日本貯蓄銀行になり、さらに協和銀行と改めたようです。協和銀行は現在のりそな銀行ですね。
テント屋さんのコメントは面白いですね。
十三はお店が多い町でしたから、結構注文があったのでしょうね。
( 2007年12月20日 21:20 )
新之介 | URL | -
イラストマップ
ゆきひろ様
返事が遅くなってごめんなさい。
イラストマップは昭和10年から20年頃の十三ですが、馬や牛に関係するものがいっぱい描かれています。当時の十三は都会と田舎が入り混じった町だったんですね。私もそこが面白いと思ってみているのです。
記録を見ていると、十三の町は戦争で焼け野原になっています。その後、急激に発展し、都会に変わっていきました。発展はいいことなのですが、少しさびしい気もします。
( 2007年12月20日 21:39 )
新之介 | URL | -
馬の糞
西岡様
イラストマップには馬がいっぱい出てきますね。
馬の糞は肥料として田畑にまかれ、そこで育った米や野菜をまた人や家畜が食べる。
自然の循環システムが十三にもあったのですね。
いい時代だと思います。
( 2007年12月20日 22:08 )
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