2012年06月13日 23:45
伊勢古市参宮街道を歩く(1)
お蔭参りとおかげ横丁

大正9年測量の宇治山田市の地図です。
伊勢神宮の外宮(げくう)から内宮(ないくう)に繋がる古市街道(古市参宮街道)。昔から多くの参詣客で賑わった街道です。外宮から内宮に歩くのが一般的かもしれませんが、今回は内宮側から歩いて行きました。

内宮の宇治橋前です。ここから古市街道を歩いて行きます。

日曜日の午前中ですが、時間が早いので観光客もまばら。

ここは「おはらい町」と呼ばれるエリア。

レトロな雰囲気の町並みが続いています。

いきなり五十鈴川カフェに立ち寄り。

五十鈴川沿いに建つ眺めのいいカフェです。
向こうに新橋が見える。

モーニングで腹ごしらえを… ^^
ちなみに500円です。

ここに小さな祠がある。楓神社です。その前に白い石が山盛り入った樽が。
平成25年の式年遷宮の「御白石持行事」に向けての準備のようです。

その横にかかる新橋からの眺め。
右の緑が楓神社で、2軒先が先ほどの五十鈴川カフェがある建物。

この川が五十鈴川です。

で、橋の袂にあるのが赤福本店。

創業は宝永4年(1707)だとか。約300年ですね。

いつも店内は賑わっていますが朝の5時から開いていますので、ゆっくりしたい方は早朝参拝の後に立ち寄るのはいかがでしょう。私も何度か朝に行ったことがありますがほとんど貸し切り状態ですよ ^^

さて、その向かいにあるおかげ横丁。

おかげ横町は赤福の先代の社長・濱田 益嗣(はまだますたね)氏が行政の支援を受けず作り上げた観光施設。

とにかくうまそうなもんがいっぱいある。

お伊勢参りをするほとんどの観光客がここを訪れているのではないでしょうか。

演出も夏らしくていいな~

この時間、観光客はまだまばらですが、お昼頃になるとすごい状態になります。
さて、
おかげ横丁の中におかげ座という歴史館があります。

ここでは、江戸時代のお蔭参りのことをわかりやすく学ぶことができる。
お蔭参りとは江戸時代にほぼ60年周期に数回起こった大規模集団参詣のことで、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)、慶応3年(1867)が記録に残っている。

特に文政13年のお蔭参りは約500万人が参詣したといわれ、当時の日本の人口が約3000万人なので6人に1人が伊勢に訪れたことになる。お金はどうしたんだろうと思いますよね。実はこれらの年は、お金が無くてもお参りができたそうです。

当時、江戸から伊勢までは片道14~5日程度、大阪からは5日程度かかったそうで、笠や柄杓、まるめたゴザなどを持っていればお伊勢参りだということがわかり沿道で施しを受ける事ができたのだとか。

さらに、奉公人や子供が主人や親に無断で参詣した「抜け参り」といわれる現象も起きたようで、

犬が伊勢参りをしたという記録も各地に残っているそうです。

ところで、このジオラマにある万金丹の文字。
解毒・気付けの薬で伊勢みやげの代表的なものだったとか。
検索すると「鼻くそ丸めて萬金丹 それをのむ奴ァあんぽんたん」というフレーズが出てきたけど、そんなのが流行ったのですね…

お伊勢参りの歴史でもうひとつ知っておきたいのが遊郭のこと。

古市は江戸の吉原、京都の島原と並ぶ三大遊廓のひとつに数えられていました。
さて、再び古市街道へ。

こちらは普通の散髪屋さん。

床のモザイクタイルが昭和チックでええ感じでした。

こちらは神宮道場。
神宮司庁の旧庁舎で、現在は神職を志す人の研修施設です。

かつては明治天皇の行在所としても使われていたのだとか。

とても立派な建物ですが、文化財とかではないっぽいですね。

その前にある建物はお寺のように見えますが、神宮祭主職舎です。

本館は、明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿で国の重要文化財です。
さてさて、伊勢シリーズはあと3~4回続くかもです。
来年は20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮なので、
伊勢に興味が湧いてきた今日この頃です。
より大きな地図で 古市参宮街道 を表示
(関連記事)
「伊勢古市参宮街道を歩く(1)お蔭参りとおかげ横丁」 2012.06.13
「伊勢古市参宮街道を歩く(2)古市遊郭の歴史」 2012.06.16
「伊勢古市参宮街道を歩く(3)寂照寺と麻吉旅館」 2012.06.18
ポチッと、応援よろしく♪
お蔭参りとおかげ横丁

大正9年測量の宇治山田市の地図です。
伊勢神宮の外宮(げくう)から内宮(ないくう)に繋がる古市街道(古市参宮街道)。昔から多くの参詣客で賑わった街道です。外宮から内宮に歩くのが一般的かもしれませんが、今回は内宮側から歩いて行きました。

内宮の宇治橋前です。ここから古市街道を歩いて行きます。

日曜日の午前中ですが、時間が早いので観光客もまばら。

ここは「おはらい町」と呼ばれるエリア。

レトロな雰囲気の町並みが続いています。

いきなり五十鈴川カフェに立ち寄り。

五十鈴川沿いに建つ眺めのいいカフェです。
向こうに新橋が見える。

モーニングで腹ごしらえを… ^^
ちなみに500円です。

ここに小さな祠がある。楓神社です。その前に白い石が山盛り入った樽が。
平成25年の式年遷宮の「御白石持行事」に向けての準備のようです。

その横にかかる新橋からの眺め。
右の緑が楓神社で、2軒先が先ほどの五十鈴川カフェがある建物。

この川が五十鈴川です。

で、橋の袂にあるのが赤福本店。

創業は宝永4年(1707)だとか。約300年ですね。

いつも店内は賑わっていますが朝の5時から開いていますので、ゆっくりしたい方は早朝参拝の後に立ち寄るのはいかがでしょう。私も何度か朝に行ったことがありますがほとんど貸し切り状態ですよ ^^

さて、その向かいにあるおかげ横丁。

おかげ横町は赤福の先代の社長・濱田 益嗣(はまだますたね)氏が行政の支援を受けず作り上げた観光施設。

とにかくうまそうなもんがいっぱいある。

お伊勢参りをするほとんどの観光客がここを訪れているのではないでしょうか。

演出も夏らしくていいな~

この時間、観光客はまだまばらですが、お昼頃になるとすごい状態になります。
さて、
おかげ横丁の中におかげ座という歴史館があります。

ここでは、江戸時代のお蔭参りのことをわかりやすく学ぶことができる。
お蔭参りとは江戸時代にほぼ60年周期に数回起こった大規模集団参詣のことで、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)、慶応3年(1867)が記録に残っている。

特に文政13年のお蔭参りは約500万人が参詣したといわれ、当時の日本の人口が約3000万人なので6人に1人が伊勢に訪れたことになる。お金はどうしたんだろうと思いますよね。実はこれらの年は、お金が無くてもお参りができたそうです。

当時、江戸から伊勢までは片道14~5日程度、大阪からは5日程度かかったそうで、笠や柄杓、まるめたゴザなどを持っていればお伊勢参りだということがわかり沿道で施しを受ける事ができたのだとか。

さらに、奉公人や子供が主人や親に無断で参詣した「抜け参り」といわれる現象も起きたようで、

犬が伊勢参りをしたという記録も各地に残っているそうです。

ところで、このジオラマにある万金丹の文字。
解毒・気付けの薬で伊勢みやげの代表的なものだったとか。
検索すると「鼻くそ丸めて萬金丹 それをのむ奴ァあんぽんたん」というフレーズが出てきたけど、そんなのが流行ったのですね…

お伊勢参りの歴史でもうひとつ知っておきたいのが遊郭のこと。

古市は江戸の吉原、京都の島原と並ぶ三大遊廓のひとつに数えられていました。
さて、再び古市街道へ。

こちらは普通の散髪屋さん。

床のモザイクタイルが昭和チックでええ感じでした。

こちらは神宮道場。
神宮司庁の旧庁舎で、現在は神職を志す人の研修施設です。

かつては明治天皇の行在所としても使われていたのだとか。

とても立派な建物ですが、文化財とかではないっぽいですね。

その前にある建物はお寺のように見えますが、神宮祭主職舎です。

本館は、明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿で国の重要文化財です。
さてさて、伊勢シリーズはあと3~4回続くかもです。
来年は20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮なので、
伊勢に興味が湧いてきた今日この頃です。
より大きな地図で 古市参宮街道 を表示
(関連記事)
「伊勢古市参宮街道を歩く(1)お蔭参りとおかげ横丁」 2012.06.13
「伊勢古市参宮街道を歩く(2)古市遊郭の歴史」 2012.06.16
「伊勢古市参宮街道を歩く(3)寂照寺と麻吉旅館」 2012.06.18
ポチッと、応援よろしく♪

スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿