2012年05月20日 11:40
旧版地図を楽しもう

先日、久しぶりに旧版地図を入手しました。
時代は大正から昭和初期、大阪が大大阪といわれていた時代のものです。
6畳の和室に並べるとこんな大きさになった。
黒い部分が街なのですが、大阪、神戸、西宮と堺、奈良など主要都市の当時のボリューム感が視覚的に見えるのが面白い。

入手したエリアは、神戸、宝塚から大阪、堺、生駒山を越えて、奈良、桜井の辺りまで。
今回はこの旧版地図の入手方法を簡単にご説明しますね。
まず入手先ですが、国土地理院になります。
「謄本交付申請書」と「交付用別紙」、収入印紙等を添えて郵送する方法が簡単です。
【旧版地図の謄本交付について】
旧版地図の閲覧に関しては、近畿の場合、国土地理院近畿地方測量部に出向く必要があります。
【場所】大阪市中央区大手前4-1-76 大阪合同庁舎第4号館
国土交通省国土地理院 近畿地方測量部
1階受付で手続きをすると入館カードがもらえますので、誰でも入ることが出来ます。
閲覧時間:9:00~17:00(平日のみ)

閲覧場所にはパソコンが数台設置されています。
見方を説明してくださるので後は自分で場所を選びましょう。
ちなみにこんな地図が出てきます。見たいエリアをクリックすると、

このような表は出ますので、さらにクリクすると地図の画像が現れます。閲覧して購入しようと思う地図はリスト番号等とメモしてください。下記の「交付用別紙」を記入する時に必要になります。

用紙はホームページにありますので、プリントアウトして使ってください。
旧版地図は柾判(白黒)で1枚500円です。
封筒に「謄本交付申請書」「交付用別紙」「(購入金額分の)収入印紙」「郵便料金(切手)」を入れて下記どちらかに送りましょう。約1週間ほどで送られてきます。ちなみに私は折り目がつかないように、箱(筒)で送付してもらっています。(※収入印紙は申請書に貼らないように!)
・国土地理院 地理空間情報部 情報サービス課 謄本交付担当
〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番
・国土地理院 関東地方測量部 謄本交付担当
〒102-0074 東京都千代田区九段南1-1-15 九段第2合同庁舎9階

今回入手したのは2万5千分1の地図です。
一番古いものは大正、昭和初期時代になります。
明治時代の地図は2万分1になりますので、閲覧するときは担当の方に見たい時代をお伝えください。
ということで、
地図をアップでちょこっと見てみましょうか。

これは神戸港から甲子園の辺りです。今と海岸線が全然違いますね。

神戸港です。
第一突堤から第四突堤は今と変わらない。当時は線路が敷かれていたようですね。米利堅波止場の表記もあります。いいなぁ…

岩屋の辺りです。中央部に関西学院の文字が見えるのですが、ここは現在王子動物園です。線路もいまはないものがあって面白い。

西宮、今津の辺りです。砲台址の文字も見える。

甲子園球場と阪神競馬場が。海岸沿いに阪神パークの文字も見える。何があったのだろう?

尼崎です。城下町の佇まいが残っている。

堺です。大きな街です。

野里、塚本、田川、十三の辺り。
旧中津川の流路にポツポツ建物ができだしている。
北野中学校と中津第三小学校もその上に出来ていますね。
十三橋は十三大橋ができる前の橋です。
塚本駅がまだありませんね。

大阪城です。
大阪工廠、兵器工廠、射撃場、城東練兵場などが確認できる。
大大阪の時代を象徴する場所のひとつです。

伊丹空港(大阪国際空港)の辺りです。まだ空港がありませんね。

平野郷です。郷を中心に衛星のように小さな村がつながっている。

奈良です。規模としては堺市と同じくらいに見えます。

今井町の辺り。現在の近鉄八木駅がまだ出来ていないようですね。

桜井です。桜井駅から長谷機関鉄道の線路が確認できる。
この時代、まだ道路整備が進んでいないので、
旧街道が昔に近い状態で残っている。

暗越奈良街道、

竹内街道、

伊勢道、

東高野街道、

能勢街道。
平行して走っている線路は阪神急行電鉄(現阪急電車)。ただ箕面宝塚電気鉄道と記されていました。誤字なのか意図的なのか…。こういうところも旧版地図の面白いところ。
ここに記されている街道などを、現在の地図と位置を照らし合わして、また旧街道を歩いてみようかなと思っています。
(関連記事)
「大日本帝国陸地測量部の地図」 2011.04.11
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先日、久しぶりに旧版地図を入手しました。
時代は大正から昭和初期、大阪が大大阪といわれていた時代のものです。
6畳の和室に並べるとこんな大きさになった。
黒い部分が街なのですが、大阪、神戸、西宮と堺、奈良など主要都市の当時のボリューム感が視覚的に見えるのが面白い。

入手したエリアは、神戸、宝塚から大阪、堺、生駒山を越えて、奈良、桜井の辺りまで。
今回はこの旧版地図の入手方法を簡単にご説明しますね。
まず入手先ですが、国土地理院になります。
「謄本交付申請書」と「交付用別紙」、収入印紙等を添えて郵送する方法が簡単です。
【旧版地図の謄本交付について】
旧版地図の閲覧に関しては、近畿の場合、国土地理院近畿地方測量部に出向く必要があります。
【場所】大阪市中央区大手前4-1-76 大阪合同庁舎第4号館
国土交通省国土地理院 近畿地方測量部
1階受付で手続きをすると入館カードがもらえますので、誰でも入ることが出来ます。
閲覧時間:9:00~17:00(平日のみ)

閲覧場所にはパソコンが数台設置されています。
見方を説明してくださるので後は自分で場所を選びましょう。
ちなみにこんな地図が出てきます。見たいエリアをクリックすると、

このような表は出ますので、さらにクリクすると地図の画像が現れます。閲覧して購入しようと思う地図はリスト番号等とメモしてください。下記の「交付用別紙」を記入する時に必要になります。

用紙はホームページにありますので、プリントアウトして使ってください。
旧版地図は柾判(白黒)で1枚500円です。
封筒に「謄本交付申請書」「交付用別紙」「(購入金額分の)収入印紙」「郵便料金(切手)」を入れて下記どちらかに送りましょう。約1週間ほどで送られてきます。ちなみに私は折り目がつかないように、箱(筒)で送付してもらっています。(※収入印紙は申請書に貼らないように!)
・国土地理院 地理空間情報部 情報サービス課 謄本交付担当
〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番
・国土地理院 関東地方測量部 謄本交付担当
〒102-0074 東京都千代田区九段南1-1-15 九段第2合同庁舎9階

今回入手したのは2万5千分1の地図です。
一番古いものは大正、昭和初期時代になります。
明治時代の地図は2万分1になりますので、閲覧するときは担当の方に見たい時代をお伝えください。
ということで、
地図をアップでちょこっと見てみましょうか。

これは神戸港から甲子園の辺りです。今と海岸線が全然違いますね。

神戸港です。
第一突堤から第四突堤は今と変わらない。当時は線路が敷かれていたようですね。米利堅波止場の表記もあります。いいなぁ…

岩屋の辺りです。中央部に関西学院の文字が見えるのですが、ここは現在王子動物園です。線路もいまはないものがあって面白い。

西宮、今津の辺りです。砲台址の文字も見える。

甲子園球場と阪神競馬場が。海岸沿いに阪神パークの文字も見える。何があったのだろう?

尼崎です。城下町の佇まいが残っている。

堺です。大きな街です。

野里、塚本、田川、十三の辺り。
旧中津川の流路にポツポツ建物ができだしている。
北野中学校と中津第三小学校もその上に出来ていますね。
十三橋は十三大橋ができる前の橋です。
塚本駅がまだありませんね。

大阪城です。
大阪工廠、兵器工廠、射撃場、城東練兵場などが確認できる。
大大阪の時代を象徴する場所のひとつです。

伊丹空港(大阪国際空港)の辺りです。まだ空港がありませんね。

平野郷です。郷を中心に衛星のように小さな村がつながっている。

奈良です。規模としては堺市と同じくらいに見えます。

今井町の辺り。現在の近鉄八木駅がまだ出来ていないようですね。

桜井です。桜井駅から長谷機関鉄道の線路が確認できる。
この時代、まだ道路整備が進んでいないので、
旧街道が昔に近い状態で残っている。

暗越奈良街道、

竹内街道、

伊勢道、

東高野街道、

能勢街道。
平行して走っている線路は阪神急行電鉄(現阪急電車)。ただ箕面宝塚電気鉄道と記されていました。誤字なのか意図的なのか…。こういうところも旧版地図の面白いところ。
ここに記されている街道などを、現在の地図と位置を照らし合わして、また旧街道を歩いてみようかなと思っています。
(関連記事)
「大日本帝国陸地測量部の地図」 2011.04.11
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
甲子園
球場に甲子園ヒストリーの部屋があって昔の写真見たことがあります 阪神パークは海岸にあってクジラも泳いでいたとか聞きました
http://esilver.web.fc2.com/e-silver/essi/kugira/kugira.html
( 2012年05月20日 12:55 [Edit] )
ヨコヒナ | URL | WEj2svz6
1970年代の都市地図もネット上で見たい!
新之助さん、旧版地図ですが、
国土地理院のもいいですが、
私が、いつかネット上で見てみたいのは、
昭和45年から50年代前半の、
昭文社やナンバー出版などの、
大阪府下各市の市街図や大阪区分地図、
それに大阪府都市地図です。
この時代の大阪では、
法律に基づく住居表示の整備が、
まだ緒に付いた段階で、
昭和51年1月ごろの時点では、
大阪市では、住居表示が実施されたのは、
市域の半分以下程度だったそうです。
また、今では住居表示が整備された地域で、
町や字の境界が錯綜していたり、
町や字の飛び地が多数あった地域が、
局地的にかなりあったようです。
中でも、吹田市の岸辺駅周辺地区では、
昭和50年ごろに住居表示が実施される前は、
「小路」「七尾」「吉志部」「東」「南」の、
5つの字が入り乱れ、
たぶんそうでしょうが、昭文社の当時の地図では、
境界線表示を省略した「錯雑地」として表示されていたようです。
新之助さんは、昭和45年から52年ごろの、
昭文社などの市街図や区分、都市地図、
さらには住宅地図などは、
持っているのでしょうかね。
( 2012年05月20日 21:31 [Edit] )
びんみん | URL | j549y3BY
分かりやすい解説ありがとうございます。
こういう情報を広めるのは大事ですね。
私も注文したことはあるのですが、明治時代の2万分の1地図についても、お願いすると、注文用に索引図を送ってもらえました。
一度閲覧にも行きたいのですけど。
( 2012年05月20日 23:57 [Edit] )
Wish.F | URL | F1IQeV6s
私も旧版地形図の交付は良く利用しています。
閲覧してから請求すると、戦時の改描や消去に関してもチェックできるので、特に同じ発行日のものが複数ある時には重要ですね。
まだ、京阪神は閲覧すら出来ていませんが、近いうちにゴッソリ揃えてみようと思っています。
( 2012年06月07日 20:48 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
とても興味深い遺構ですね。
私も残骸をさがしてみたい。
ヨコヒナさん
住宅地図は中之島図書館で調べものをする時に利用します。
昭和30年代からありますので、なかなか面白いですよ。
びんみんさん
もっと簡単に閲覧・購入ができるようになればいいんですけど。
時間がある時に行かないと時間を忘れちゃいますよw
Wish.Fさん
そろえだすときりがないですよね(笑)
でもとても貴重な資料ですし、発見も多いです。
地図から学ぶ事が多いです。
( 2012年06月24日 18:39 [Edit] )
p_planet | URL | EBUSheBA
阪神パーク
1歳のころ、ぼくの小児喘息の転地療法のため大阪市内から甲子園に転宅しました。母36歳のときの子供ですが、すでに兄や姉が7人の大家族。のちに星製薬の社員寮になった和洋折衷の大きな住宅でした。なので、この世に生を受けて初めての記憶は甲子園の家の青いペンキ塗りの門と、阪神パークでキリンに夢中になり迷子になって場内放送で呼び出されたシーンです。「白に青い水玉模様の服を着た3歳位の坊ちゃんが…」そうです、カルピスの包装紙みたいな服を思い出しました。
( 2012年07月19日 08:24 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
p_planetさん
私も社会人になってすぐに一人暮らしを始めたのが甲子園六番町。土地勘はある地域ですのでいつか歩いてみようと思います。でも昔の名残は少なそうなイメージはありますが…
( 2012年08月13日 11:25 [Edit] )
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