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昭和一桁の十三 1

2007年12月14日 23:15

昭和一桁の十三(じうさう) 1

堤防沿いのバス

昭和7年に創元社から刊行された「近代大阪」という本があります。著者は北尾鐐之助。昭和4年から7年頃の大阪の街を歩き、その風景をスナップ写真の様に描写した文章で、近代化していく大阪の記録資料としても貴重な本です。その中に当時の十三の町並みが書かれていました。昭和7年刊行の本なので、漢字が旧字体です。引用させていただくにあたり、新字体に変えました。

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(前文省略)

これからは、十三橋、阪急電鉄を中心として、大阪=池田線の開通に連れ、或ひは西より東の方へ発展して行くであらう。西の方に比べると、すべてが明るく、すべての生活に落ちつきをみせてゐる。殊に新淀川の堤防下に造られた、東西線のアスフアルト道路に沿っては、可なり立派な住宅が軒を並べ、旅館がある。料理店がある。冠木門がある。巨松の立つた庭園がある。尤も(もっとも)さうかとおもふと、製板工場の空地に二、三本ひよろひよろと低い黒松が立つて、パンと珈琲とを売る天幕張(てんとはり)の店がある。蠅の多い硝子箱の上に、小さなラヂオの喇叭(らつぱ)が従来に向つてぽかんと立ち上り、そこからは、景気のよい松内アナウンサーの声が、淀川の空遠く埃りと共に舞ひ上つてゐたりする。

(中略)

堤の下のアスフアルト道を、長柄から川沿ひに、大和田の方まで乗合自動車が通つてゐるが、ときどき乗客のない空車を尻軽くは走らせて、座席には黒い服を着た女車掌がひとり、お嫁にでも行くやうに、キチンと両手を膝に置いておとなしくゆられて行く。鉄橋を渡る汽車と、電車の騒音が、雷のやうな響を立てる。
「近代大阪 近畿景観第三編 / 北尾鐐之助」より


十三東2
(思い出の十三 イラストマップ~十三東周辺)
このマップは昭和10年から20年の十三を描いているのですが、上記の文章と合致する部分があります。堤防沿いに旅館や冠木門、庭園のあるお屋敷らしき家が描かれています。天幕張の店は橋の袂にある屋台でしょうか。線路の下にも屋台があります。これも天幕張っぽいですね。ラヂオから流れる松内アナウンサーとはNHKの松内則三アナウンサーで当時野球や相撲番組の解説で人気を博した方です。


さくらバス東塚本のりば
昭和5年頃の堤防沿いを走る乗合バス(東塚本のりば)奥に見えるのは国鉄の鉄橋。当時は蒸気機関車が煙をはいて走っていました。地元の方はお気づきかもしれませんが、現在は一方通行でこちら向きには走れません。走る車も少なかったのでしょうね。




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