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京街道を歩く・関目・野江

2012年03月12日 07:00

京街道を歩く(40)
関目と野江の七曲り

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明治18年測量の地図です。
道がクネクネしていますね。

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現在の地図と重ねると

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このようになる。

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ちなみに昭和4年測量の地図です。
京阪電車が高架化されるまでは京街道に沿って線路が敷かれていたようです。
高架線も地図内に記されていますが、昭和8年に蒲生ー守口駅間の高架化が開通しています。

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関目5丁目交差点の手前です。
この道は京街道であり京阪電車の廃線跡でもあるようです。

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京街道の石碑。
このまま横断歩道を渡りまっすぐ行きます。

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京街道は右の道へ、左の都島通りが京阪電車の廃線跡になります。

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道がクネクネしていますね。

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「関目の七曲り」といわれる道です。

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道路の向かいにある関目神社に寄ってみましょう。

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関目神社は通称で、正式には須佐之男尊神社というようです。

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由緒
当地の氏神様であります関目神社は天正8年豊臣秀吉が大阪城築城の際、防備の一策として関目より古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲りという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。

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関目発祥之地の石碑。

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関目発祥の由来
この地はもと関目といい、古くは榎並荘の時代からあったもので、関目というのは、この地に見張所(目で見る関所)があったことから起ったと言われる。また、関目の七曲りとして大阪城の防備に役立ったという重要な地であった。まおまた明治天皇御駐輦(ごちゅうれん)の地として親しまれてきた。

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これが明治天皇御駐輦の跡の石碑。

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慶応4年3月23日、明治天皇が千数百人のお供を連れて、関目の地を通り、津村別院(北御堂)に向かわれましたが、関目で御小休されたのを記念してこれが建てられたそうです。元あった場所は関目高殿交差点南西のあたりだとか。

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で、こちらが拝殿。
境内に由緒などの説明書きがたくさんあってありがたい。

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さて、旧関目村を歩いてみましょう。

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いい感じも門構え。

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細い通りが昔の面影を残している。

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ただ、古い町並みはあまり残っていませんでした。残念。

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都島通りには京阪電車の廃線後に建てられたのであろう昭和な建物が残っている。

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いい感じの昭和な建物。

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看板もいいです。

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こちらは屋根付きの看板。

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さて、京街道に戻ります。

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旭国道筋商店街。

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これは橋の跡でしょうか。「なかはし」と刻まれている。

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旧地図を見ると京街道と水路が並行していたことがわかります。
なぜこの橋だけが残っているんだろう?

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さて、商店街の中を歩いていきます。

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おばちゃん服のお店。

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この日は定休日だったのか、開いてる店が少ない。
ちなみに休憩所のお店が気になりますよね。
ゲームセンターのようですよ。
(参考サイト)「世界で一番弱い人

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反対側はスーパーのようですね。

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和菓子屋さん。

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上は城東貨物線。JR貨物が走っています。

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将来おおさか東線になる予定ですね。
複線化工事が始まると、菅原と同じようにコンクリートの陸橋になるのでしょうか。

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JR線を越えると野江国道筋商店街になります。

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京街道は右の道になります。

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京街道の石碑。

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この辺りは野江の七曲りといわれる道です。
関目の七曲りと同じくクネクネしている。

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京街道は一旦府道に出ます。これを渡ると

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斜めに通る短い道が京街道。

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野江4丁目の交差点を渡り西へ。

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信号の手前の道が京街道です。

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ここを曲がります。

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右の大きい道が京街道ですが、ここでちょっと寄り道。左の道に入って行き旧野江村を歩きます。

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蔵が見えてきた。

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こちらには蔵が2つもある。

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浄土真宗 来迎寺。
外から見えにくいですが本堂の大屋根が見える。立派です。

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こちらは野江水神社。

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鳥居の横にある水流地蔵尊。

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お堂の裏側に白杉大明神も祀られていた。

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水(すい)神社。珍しい名前ですね。

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ご祭神は水波女大神(みずはのめのおおかみ)。
天文2年(1533)三好宗三(政長)が、榎並築城の際、水火除難の守護神として城内に社を建てて篤くまつられたのが現在の社殿の位置だとか。昔から水害に悩まされてきた地域だったようですね。

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こちらが拝殿。

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本殿と野江稲荷大明神。

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御神水。水神の碑がある。

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裏参道から出てきました。

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再び京街道です。

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ゆるやかなカーブに差し掛かりますが、道が二手に分かれます。
細い方の道が京街道です。太い方の道路は水路跡のようですね。

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まっすぐな道。。

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木製のベアリングの看板がいい。

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さて、いよいよ京橋が近づいてきました。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


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コメント

  1. | URL | bxvF113M

    ようこそ、私のうろうろテリトリーへ^^
    見慣れた風景ばかりでにやにやして拝見させて頂きました。
    でも、京街道の七曲りというと「関目の七曲り」(関目~野江)で、「野江の七曲り」というのは初めて聞きました。京阪旧線跡での俗称なのかな?とも思ったりしました。
    中橋は、以前chodo様がリンクを貼られていたこのページに詳しく書かれています。
    http://sogo-chosa.com/chiikishi/pdf_chiikishi/20_takadonominami_P07-08.pdf
    大正3年に架けられた旭区に残る一番古い橋で、記念碑的な橋となっていますが、全く大切にされていないことが残念です^^;
    でも、よく気づかれましたね。さすが新之介さまです。

  2. 京阪沿線の香里園に住んでましたので、関目は身近な感じです。
    でも通過駅でしたから、実はあまり知りません。
    関目の由来に納得。
    橋の跡にミステリアスを感じ、レトロな商店街に魅力を感じました。
    今日もええ感じの街散策でした(*´∀`*)

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    蓮さん

    「野江の七曲り」とは言わないのですね。
    私の思い違いかも。
    場所も野江というより内代ですね。
    ここのくねくね道も含めて「関目の七曲がり」と
    言っているのかもしれませんね。
    勉強不足です。
    というよりちょっとええかげんに調べて書いたところを
    見事に指摘されてしまった ^^;


    「なかはし」は旭区で最も古い橋なんだ。
    それを見つけた自分がちょっとうれしいです ^^

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    阪南市テクノ森田さん

    私も車で何度も通っている場所なのですが
    歩いたことがなかった場所です。
    ちょっと気になる地域です。

  5. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    商店街が。

    たぶん、最近の一般人の肖像権を配慮されてのことだと思うけれど、人が全くと言って良いほど写りこんでいないから、ますます寂れた印象になってしまいます。

    ブログとか、ずっと残るからでしょう。私は、新聞の写真は、絶対に人をいれて写さないと、とくに風景は死んだ写真になるよと、口を酸っぱく教えられたものですから、ハムレットの境地です。

    このブログはいろんな人が見るから、人を入れるのは難しいですね。
    新聞は1日で過去になるから、記憶はスクラップしない限り使い捨てでした。
    顔消し、クルマのナンバー消しも、私はかなり抵抗がある方です。
    配慮とのっぺらぼうな社会。今朝読んだ新聞にも東北の地震で1万5000人以上の方が亡くなったといっても、ご遺体写真は絶対駄目みたいな時代の中で、伝える者のジレンマを感じるとあり、全く同感でした。
    私の感性の方がヘンなのでしょうか?

  6. jack77betty | URL | -

    おや、こんなところに

    >いい感じの昭和な建物。(新之介さん)
    一般住宅、商店、事務所、倉庫と雰囲気のそろった「昭和な建物」が沢山でしたね。その中でも私の一番印象に残っているのは、旧街道沿いに小さな「昭和レトロ」旅館が一軒残っていたこと。(残る、残ると拙い文章にて失礼御容赦)

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん
    ぜんぜんヘンではないと思います。
    逆に確かに寂しい写真になっているかもしれませんね。
    あまり気にしていませんでした。
    顔が写らずにいい写真が撮れるのが理想かも。

    jack77bettyさん
    レトロ旅館、ネットでみました。
    残念ながらその道は歩いていませんでした。
    あの道は旧街道になるのでしょうか?

  8. mymy | URL | jVHfAgrc

    激変してます

    こんにちは。ここ数年でこの辺りは再開発されまして、商店街は半分が消滅、マンションとスーパーになりました。
    箸も躊躇なく撤去され、跡形もありません、諸行無常ですね〜。

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