2012年03月06日 01:00
京街道を歩く(39)
土居・今市・森小路

明治18年測量の地図です。

現在の地図と重ねると

このようになる。京阪土居駅から国道1号線に向かって歩きます。

土居商店街です。

ぜにや質店の看板。ええ感じだ。

商店街の中にある神社。

守居神社。昔は土居神社と称していたようだ。

拝殿の前に何か置かれている。

鳥居についてる額ですね。
なぜここに置かれているんだろう?

この奥には稲荷神社がある。

立派な鳥居だ。

神社を過ぎると旭通商店街と名前がかわる。

右に行くと東通商店街、左は京阪商店街、その他に中通商店街などが連なる大きな商店街です。

国道1号線に出て西に向かいます。

国道沿いにある地蔵尊。いつの時代からあるんだろう。

京阪本通1の交差点。

NTTドコモの電波塔の手前にええ感じの建物。

昔の国道沿いにはこういう建物が並んでいたのでしょう。今では貴重だ。

和菓子の国十家さん。ええ感じの店構えだ。

今市商店街の北端です。
かなり長い商店街で、千林商店街と繋がっています。

今市の交差点。

ここに京街道の碑がある。

京かいどう
京街道は大阪と京都を結ぶためにつくられた幹線で、豊臣秀吉が文禄年間(1592~1597)に淀川左岸の堤防を改修し、堤防上に陸路を開いたのに始まる。
当初は、大阪城の京橋口がこの街道の起点で、ここから片町、蒲生、関目、今市、そして守口、枚方、橋本、伏見を経て京に至るのが、その経路であった。
江戸時代になって、起点は高麗橋東詰に移ったが、大阪が天下の台所として栄えるにつれ、その利用度も増し、参勤交代の大名や商人、旅人などで大いににぎわったという。その後国道一号が整備され、往時の面影はなくなったが、京街道の名は、今もなお人々の心の中に生き続けている。
昭和六十年 大阪市
なるほどと、今ごろ納得して読んでおります…

ここから旧道に入っていきます。
左の道が京街道です。

ここから京街道ですよという印なのかな。

緩やかなカーブがあって

道がまっすぐのびています。

途中、道を一筋中に入ると六角のお堂があった。

「天然記念物 総本山寳(宝)龍寺」「文化財 宝龍寺」「保存樹林 大阪市」の碑。

この大きなクスが保存樹のようです。

本山 寳龍寺(ほうりゅうじ)。

ちょっと境内に入らせていただきました。

このクスが府指定天然記念物のようですね。

こちらにも大きなクスがある。
大阪府のホームページを見るとクスの大木4本が天然記念物に指定されているとある。

十三重の塔もあった。

寳龍寺の横にあったちょっと気になる今市会館。

そこから少し歩いたところにまたまた気になるものが置いてあった。

何これ?
淀君愛用の燈籠と手洗鉢…

こちらは浄土真宗 浄願寺。由緒ある寺のようです。

その前にある祠。地蔵尊だと思うのですが、扉が閉じられている。

この道を行ってみましょう。

ここは今市商店街のようですね。

再び京街道へ戻ります。

途中にあった旧家の塀。いい感じです。

さて、先に千林商店街が見えてきました。

千林商店街をそのまま通り過ぎると

森小路に入ります。
この通りはその名も「森小路京かいどう商店街」。

京街道の石碑がうなぎ屋さんの店の前にあった。

商店街を抜けると小さな公園がある。

その公園にあった地蔵尊。

いいお顔ですね。
墨を入れてもらったのかな。

道の脇にちょっと気になるアパートが。
日光苑。手前の護美箱とストライプのラインがいい。

さて、川を渡ります。上を走るのは阪神高速守口線です。

古市橋。

この川は城北運河。

この運河は工業用の船運を目的として昭和10年~15年かけて開削されたもので、この橋は昭和12年に架設されたものだそうです。
次回は関目~野江を歩きます。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
土居・今市・森小路

明治18年測量の地図です。

現在の地図と重ねると

このようになる。京阪土居駅から国道1号線に向かって歩きます。

土居商店街です。

ぜにや質店の看板。ええ感じだ。

商店街の中にある神社。

守居神社。昔は土居神社と称していたようだ。

拝殿の前に何か置かれている。

鳥居についてる額ですね。
なぜここに置かれているんだろう?

この奥には稲荷神社がある。

立派な鳥居だ。

神社を過ぎると旭通商店街と名前がかわる。

右に行くと東通商店街、左は京阪商店街、その他に中通商店街などが連なる大きな商店街です。

国道1号線に出て西に向かいます。

国道沿いにある地蔵尊。いつの時代からあるんだろう。

京阪本通1の交差点。

NTTドコモの電波塔の手前にええ感じの建物。

昔の国道沿いにはこういう建物が並んでいたのでしょう。今では貴重だ。

和菓子の国十家さん。ええ感じの店構えだ。

今市商店街の北端です。
かなり長い商店街で、千林商店街と繋がっています。

今市の交差点。

ここに京街道の碑がある。

京かいどう
京街道は大阪と京都を結ぶためにつくられた幹線で、豊臣秀吉が文禄年間(1592~1597)に淀川左岸の堤防を改修し、堤防上に陸路を開いたのに始まる。
当初は、大阪城の京橋口がこの街道の起点で、ここから片町、蒲生、関目、今市、そして守口、枚方、橋本、伏見を経て京に至るのが、その経路であった。
江戸時代になって、起点は高麗橋東詰に移ったが、大阪が天下の台所として栄えるにつれ、その利用度も増し、参勤交代の大名や商人、旅人などで大いににぎわったという。その後国道一号が整備され、往時の面影はなくなったが、京街道の名は、今もなお人々の心の中に生き続けている。
昭和六十年 大阪市
なるほどと、今ごろ納得して読んでおります…

ここから旧道に入っていきます。
左の道が京街道です。

ここから京街道ですよという印なのかな。

緩やかなカーブがあって

道がまっすぐのびています。

途中、道を一筋中に入ると六角のお堂があった。

「天然記念物 総本山寳(宝)龍寺」「文化財 宝龍寺」「保存樹林 大阪市」の碑。

この大きなクスが保存樹のようです。

本山 寳龍寺(ほうりゅうじ)。

ちょっと境内に入らせていただきました。

このクスが府指定天然記念物のようですね。

こちらにも大きなクスがある。
大阪府のホームページを見るとクスの大木4本が天然記念物に指定されているとある。

十三重の塔もあった。

寳龍寺の横にあったちょっと気になる今市会館。

そこから少し歩いたところにまたまた気になるものが置いてあった。

何これ?
淀君愛用の燈籠と手洗鉢…

こちらは浄土真宗 浄願寺。由緒ある寺のようです。

その前にある祠。地蔵尊だと思うのですが、扉が閉じられている。

この道を行ってみましょう。

ここは今市商店街のようですね。

再び京街道へ戻ります。

途中にあった旧家の塀。いい感じです。

さて、先に千林商店街が見えてきました。

千林商店街をそのまま通り過ぎると

森小路に入ります。
この通りはその名も「森小路京かいどう商店街」。

京街道の石碑がうなぎ屋さんの店の前にあった。

商店街を抜けると小さな公園がある。

その公園にあった地蔵尊。

いいお顔ですね。
墨を入れてもらったのかな。

道の脇にちょっと気になるアパートが。
日光苑。手前の護美箱とストライプのラインがいい。

さて、川を渡ります。上を走るのは阪神高速守口線です。

古市橋。

この川は城北運河。

この運河は工業用の船運を目的として昭和10年~15年かけて開削されたもので、この橋は昭和12年に架設されたものだそうです。
次回は関目~野江を歩きます。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
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コメント
KZPK | URL | -
京街道からはすこし外れますが、千林(というか滝井よりのほうかな?)には淀君の使った井戸なるものがあったりします。ぼくがこどものころにはアパートの敷地内にめり込む感じで残っていましたよ。
( 2012年03月06日 01:54 )
阪南市テクノ森田 | URL | GCA3nAmE
以前京阪地区で営業してたので、車で国道1号線の京阪本通周辺はよく通りました。
でも知らないものばかりでした。
あんな天然記念物の立派な楠の木があったんですね。
( 2012年03月06日 09:50 [Edit] )
そむにうむ@森山弘樹 | URL | obYDgEv2
生まれも育ちも現住所も今回取材された所です。
守居神社は厄落としもしてもらいました。(^^)
実は京阪電鉄は現在の複々線になる前、京橋~土居間を今と全く違った路線で運行していました。京橋~旧蒲生信号所(JR城東貨物線の高架前)の手前までは現在の路線に沿ってますが、そこから関目の七曲に沿って路線が進み、今回最後の方に出てきた公園を通って古市小学校方向に路線が進んでました。そして旧森小路駅が千林商店街のくらしエール館の所にあったそうです。
詳しくはこちらのサイトに説明があります。>http://www.rinku.zaq.ne.jp/kixlocal/yomimono/keihan/top.html
( 2012年03月06日 10:25 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
KZPKさん
淀君の使った井戸ですか。
かなり気になります ^^
阪南市テクノ森田さん
車では気づきにくいかもですね。
移動の速度の速さと発見するモノの数は比例すると思います。
きっと…
そむにうむ@森山弘樹さん
旧京阪電車のルートはかなり面白いですね。
なんとなく知っていましたが、ちゃんと検証したことがありませんでした。
手元にある昭和4年の地図を見るとまさに旧線路が残っています。
近いうちに記事にする予定。
ネタをありがとうございます ^^
( 2012年03月07日 02:00 [Edit] )
まさ | URL | V/RNmXXE
地元でした
こんにちは 貴殿ブログ偶然たどり着きました
生まれも育ちもこの辺り 古市小学校ー今市中学でした
守居神社の宮司は私の兄と同級生でお友達でした
確か昭和28年生まれだと思います
守口の玉姫殿で結婚式の祝詞をあげていらしたのを
友人の結婚式で見かけました笑
今市会館は古本屋さんのオークション会場でしたね
軽トラに山積みにされたのをよく見ました
偶然ですが実家は浄願寺の檀家でした
今市中学で私のひとつ上の河野さんが住職です
中学の時担任の浦田先生に進路についてよく相談されていたようです
私の祖父 祖母が
昭和初期に今の森小路駅のすぐそばで酒屋を開業 300坪あった屋敷は数年後城北運河の工事で立ち退きに・・・
このころは行政が計画すると有無を言わずに従う風潮があったと聞いています
現在は兄が森小路駅のちかくで酒屋をやってます
そむにうむ@森山弘樹が仰ってらっしゃるように京阪電車は複々線になるまで高殿から貴殿が取材した小さな公園のあたりにある本屋さんから斜めに古市小学校に向かっていました
いまはあるかどうか知りませんが線路に使われていた石畳が残っていました
( 2018年10月04日 15:51 [Edit] )
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