2012年02月19日 15:30
京街道を歩く(36)
上鳥羽と地蔵尊

明治22年測量の地図です。

現在の地図と重ねると

このようになる。

小枝橋です。

橋を渡ってすぐに右折、阪神高速の下をくぐる。

まっすぐな道が続きます。

旧上鳥羽村に入るとすぐに寺がある。

浄土宗 浄禅寺。左右に山門があります。

恋塚 浄禅寺とも呼ばれています。

下鳥羽にも恋塚寺がありましたが、なんと同じ由来が残っているのです。

境内には袈裟御前(けさごぜん)の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があります。下鳥羽の恋塚寺にも袈裟御前の首塚と伝えられる宝筐院塔があります。

こちらが山門。奥が本堂。

その横に正保4年(1647)に建立された林羅山の撰文による恋塚碑。

そして袈裟御前の首塚といわれている五輪塔の恋塚。

境内には地蔵堂(右)と観音堂(左)がある。

この地蔵堂には「京の六地蔵巡り」のひとつ鳥羽地蔵が祀られています。

地蔵堂の裏には石仏がたくさん集められていた。

浄禅寺の前で街道がゆるやかにカーブ。

バスの停留所の名前も地蔵前なんですね。

京都の中心に近づくにつれて地蔵尊をよく見かけるようになります。

土地柄なのでしょうね。

古そうな寺がありました。

浄土宗 行住院。

こちらが本堂。

山門の左右にお堂があって、薬師如来と大日如来が祀られています。

ちょっと中へ。

このお堂の脇には、

たくさん石仏が集められています。

反対側のお堂脇にも。

こじんまりとしながらもしっかり作られた祠。

こちらはシンプル。

浄土宗 誓祐寺(せいゆうじ)。刈萱道心(かるかやどうしん)旧跡の碑がある。

鳥羽街道はさらにまっすぐ続きます。

松山容子さんのボンカレーの看板。牛肉野菜入りでヒートパックです。子供の頃このカレー用の器で食べてみたいと思ってた…

煙出し櫓。

私、煙出し櫓フェチです…

脇道の奥に大きな屋根が見えた。

日蓮宗 實相寺(実相寺)。開創は正平18年(1363)、室町時代です。

こちらの脇道には段蔵があった。

この蔵は窓の位置がなんかかわいい。

この石造りの基礎がさりげなくいいです。

角は美容室でした。乙女美容室。いいネーミングだ。

ロッテチョコレートの看板。

いい感じのショーウインドウ。ストライプのタイルがいいな。

こちらの家は、街道沿いの塀や蔵はそのまま残して建替えしていました。

再び地蔵尊。

こちらのは

おしろい姿でした。

道端の地蔵尊。道路がアスファルトになる前から道端にあったのでしょうか。

わ~、なんか京都らしいな。

十条通まで来ました。
道路の向こうにも常夜灯がある。

十条通は吉祥院天満宮の参道になるのかな。

脇にも地蔵尊がある。
さて、次回はいよいよ終着点の羅城門跡と東寺です。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
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旧上鳥羽村に入るとすぐに寺がある。

浄土宗 浄禅寺。左右に山門があります。

恋塚 浄禅寺とも呼ばれています。

下鳥羽にも恋塚寺がありましたが、なんと同じ由来が残っているのです。

境内には袈裟御前(けさごぜん)の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があります。下鳥羽の恋塚寺にも袈裟御前の首塚と伝えられる宝筐院塔があります。

こちらが山門。奥が本堂。

その横に正保4年(1647)に建立された林羅山の撰文による恋塚碑。

そして袈裟御前の首塚といわれている五輪塔の恋塚。

境内には地蔵堂(右)と観音堂(左)がある。

この地蔵堂には「京の六地蔵巡り」のひとつ鳥羽地蔵が祀られています。

地蔵堂の裏には石仏がたくさん集められていた。

浄禅寺の前で街道がゆるやかにカーブ。

バスの停留所の名前も地蔵前なんですね。

京都の中心に近づくにつれて地蔵尊をよく見かけるようになります。

土地柄なのでしょうね。

古そうな寺がありました。

浄土宗 行住院。

こちらが本堂。

山門の左右にお堂があって、薬師如来と大日如来が祀られています。

ちょっと中へ。

このお堂の脇には、

たくさん石仏が集められています。

反対側のお堂脇にも。

こじんまりとしながらもしっかり作られた祠。

こちらはシンプル。

浄土宗 誓祐寺(せいゆうじ)。刈萱道心(かるかやどうしん)旧跡の碑がある。

鳥羽街道はさらにまっすぐ続きます。

松山容子さんのボンカレーの看板。牛肉野菜入りでヒートパックです。子供の頃このカレー用の器で食べてみたいと思ってた…

煙出し櫓。

私、煙出し櫓フェチです…

脇道の奥に大きな屋根が見えた。

日蓮宗 實相寺(実相寺)。開創は正平18年(1363)、室町時代です。

こちらの脇道には段蔵があった。

この蔵は窓の位置がなんかかわいい。

この石造りの基礎がさりげなくいいです。

角は美容室でした。乙女美容室。いいネーミングだ。

ロッテチョコレートの看板。

いい感じのショーウインドウ。ストライプのタイルがいいな。

こちらの家は、街道沿いの塀や蔵はそのまま残して建替えしていました。

再び地蔵尊。

こちらのは

おしろい姿でした。

道端の地蔵尊。道路がアスファルトになる前から道端にあったのでしょうか。

わ~、なんか京都らしいな。

十条通まで来ました。
道路の向こうにも常夜灯がある。

十条通は吉祥院天満宮の参道になるのかな。

脇にも地蔵尊がある。
さて、次回はいよいよ終着点の羅城門跡と東寺です。
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(守口~京橋~高麗橋)
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コメント
ボナクア | URL | WqUt9MVg
古い町並みはどこも似たような景色だけど
地域によって微妙に雰囲気が違うんです
「京街道を歩く」では進むにつれ
だんだん京都な感じになっていくのが楽しいです
大阪と京都で具体的にどう違うのかはわからないですけど・・・
( 2012年02月19日 16:59 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
国道1号線と旧街道
30年くらい昔に、京都に住んでおりました。
秋の観光シーズンに、名神インター付近は観光バスとマイカーで、今どころでない大渋滞でした。
地元っ子を装い、南インターまで最速のルートをとるために、この道は南下でよく使いました。
あの頃も旧街道だろうなあと、想像はしていましたが、今回の一連の記事で思っていたことがあたり、少し納得もいたしました。
私の先祖は、長州なので、都に来ていたのか。禁門の変の時はどこに配所されていたのか。後の七卿落ちにも関わりのある家系です。
学生時代に初めて京都に来たのが33年前。この歳になっても、こういう記事に思いを寄せるのは、若いままで亡くなっていった人びとが維新の土台になったことへの、レクイエムでしょうか。
( 2012年02月19日 18:36 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
ボナクアさん
地域によって街の雰囲気は違います。
ただ、戦前の建物はどの地域もよく似ている。
特に旧村を歩くと日本中の村々がこのような建物だったのかなと思うことがあります。
面白いですよ ^^
kotaroさん
長州ですか。
それもご先祖様が討幕の戦争に関わっていたとは…
当時の史料を読んでいてたまに怖くなります。
生々しい残酷な史料が結構残ってる。
俺ならたぶん逃げてしまうだろうなと思ってしまいます。
当時の人は凄いです。
( 2012年02月26日 22:17 [Edit] )
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