このエントリーをはてなブックマークに追加

落語と十三と菜の花

2007年12月11日 01:32

落語と十三と菜の花

NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」や上方落語が毎日楽しめる「天満天神繁盛亭」の影響か、最近上方落語がちょっとしたブームのようです。上方落語の中に「十三」がでてくる噺があります。今日は、そんなお話を少しだけお付き合い願います。

続きを読む前に <人気ブログランキング> をクリックお願いします。

桂米朝さんの本に「米朝ばなし 上方落語地図」という本があります。「上方」という言葉は、元来、京都が都であった頃のことで、現在は東京が「上方」になるわけですが、長い習慣で今でも大阪や京都が「上方」呼ばれています。上方落語には、その土地土地に因んだ噺も多く、今とは違う昔のその場所の雰囲気が噺の中に残っています。

「池田の猪買い」という噺の中で、「淀屋橋、大江橋、蜆(しじみ)橋と、橋が三つある。これを渡るとお初天神が見えたあるな。お初天神の西門のところに、紅卯(べにう)というすし屋の看板が見えたある。これが目印や、そこから北へずーっと一本道。まっすぐに抜けたら、それが池田へ行く道や。十三の渡しに三国の渡しと、渡しを二つ越える……」当時の十三は、辺鄙な場所で閑雅な所だったようです。野駆け(今のピクニック)でもしようということになると、大阪の中心からこの辺りまで出かけたようです。十三に行く手前に、鶴野茶屋、萩の茶屋、車の茶屋などがありました。

この辺りは春になると菜の花の美しい野原がずーっと広がっていたとか。それは美しい風景で、それから採れる菜種油は灯篭用にされていて、豊臣秀吉の時代からこの辺りの名物であったようです。

「十三中道」の絵はこちらを参照ください。
http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/

「データベースへ」→「浪花百景」→「十三中道」

「浪花百景」は江戸末期の安政年間(1854~1860)に出版された錦絵で、100ヵ所の大阪風景が描かれており、開版当時は大阪を訪れた旅人の土産として持ち帰られ、全国に流布したといいます。その中に、十三を描いた絵があります。中道とは、二つのものの間の道という意味のようです。十三周辺は田園が広がりその真ん中に街道がありました。この絵は梅雨時の絵でしょうか。この辺りは菜の花でも有名だったようで、春にはそれは美しい風景が広がっていたのだと思います。


明治18年
明治18年の地図。大阪と十三をつなぐ街道。十三の渡しの向こうで中国街道と能勢街道に分かれます。右にある新橋にも渡しがあり、能勢街道はこちらのルートが一般的でした。


クリックすると河川敷の菜の花が見れます。

こちらでは十三の菜の花が見れます。



ブログランキング・にほんブログ村へ  ←ここにも参加しています。クリックお願いします。

スポンサーサイト


コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    ありがとうございます

    ご紹介 ありがとうございます

    TBがよく分からないとのことですが TBしたい記事のTBのところに出ているURLを させたい記事の編集場面で TBの欄がありますね
    そこにコピペして送信 です

    私の菜の花の記事のurlは
    http://kannnon.blog11.fc2.com/tb.php/92-e739037c  です

    TBができれば 私の記事のTB欄に 「十三の昔今を歩こう」が 記載されます

    蜆橋 梅新の新地入り口近くに石碑 ありますね
    茶屋町に出るということは お初天神の通りでしょうか
    今の十三に行く道 ヨドバシ横の道ではないでしょうね

  2. 新之介 | URL | -

    TB

    TOSSY様
    ありがとうございます。再チャレンジしてみます。
    さて、茶屋町に出る道はTOSSYさんのコメント通り、ヨドバシカメラの横の道ではないく、お初天神の通りだと思います。茶屋町を抜けて、済生会病院の辺りで道が分かれます。一方が十三方面へ、もう一方は北へ上がって行き、カンテ・グランデと富島神社の間の道を通り、新橋の渡しへつながります。

  3. | |

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/66-1a82fa9c
この記事へのトラックバック