2012年02月04日 21:00
京街道を歩く(32)
淀城跡・納所

明治23年測量の地図です。
淀小橋の下を流れるのは旧宇治川、赤い印は妙教寺。
宇治川沿いの道は伏見街道、桂川に架かる橋を渡れば西国街道と繋がります。

現在の地図と重ねると

このようになる。

さらに川や堀の跡などが分かりやすいように色を付けてみた。明治以降、大きく土地が変化した地域だということがよくわかる。

淀城跡にある與杼(よど)神社です。

与杼(よど)神社という漢字も使われているようですね。元は桂川の対岸、水垂(みずたれ)村の神社で、明治33年(1900)の淀川改良工事でこの地に移されました。

拝殿は国の重要文化財のようです。

こちらが拝殿。慶長12年(1607)に建造されています。

こちらが本殿。
本殿も重要文化財だったようですが、未成年者達の花火遊びにより昭和50年に焼失してしまったのだとか。

久しぶりに訪れたのですが、境内が駐車場になっていて驚いた。

與杼神社の横にも小さな神社がある。こちらは稲葉神社。

淀藩稲葉家の祖、稲葉正成公が祭神だそうです。

淀城跡の碑。

淀城は徳川二代将軍秀忠の命により松平越中守定綱が築城、寛永2年(1625)に竣工しています。その後、諸大名が次々と入城し、享保8年(1723)、春日局の子孫・稲葉丹後守正知が城主となり、明治維新まで稲葉氏の居城となっていました。ちなみに淀君ゆかりの淀城はこの地ではなく、納所の妙教寺がその場所だといわれています。

ここに石柱が集められている。

唐人雁木跡の碑と解説板がある。

ですが、実際に雁木があった場所はかなり離れた場所です。

現在の淀城跡には石垣と堀の一部しか残っていません。

手前は井戸の跡。
石を落とすとポチャンと音が鳴ります。以前、おじさんが案内してくれました。

こちらは天守台跡。柵があって中へは入れません。

電車から見るとこんな感じです。

天守台下の石垣。

昔は水辺に浮かぶような城でしたが、今は堀の一部がわずかに残るのみです。
さて、

ここは淀小橋の北詰です。

淀小橋旧跡の碑。
旧地図を見ると京街道はこの先を逆L字に曲がっている。

逆L字の角が道路になっている。
ここを下りて向かいにある階段を上ります。

階段を上ったところ。

ここをまっすぐ行きます。

もう一度鋭角に曲がる場所です。右から来て向こうに進みます。

角の家の玄関先に納所村道路元標の碑があった。

浄土真宗 法行寺。

さりげなく十三重塔がある。

土地柄なのでしょうか。
お地蔵さんをよく見かけます。

それも化粧の濃いお地蔵さん。

少し行くと小さな橋がある。

五番ノ橋。

明治45年(1912)に竣工した石橋です。
今年でちょうど100年ですね。

川下には五番樋門がある。

この辺りは納所(のうそ)と呼ばれる地域。
古来より淀川水運の主要な中継地のひとつでした。

この路地の奥に寺がある。

こちらは念仏寺。

本殿前にあるのは枝垂れ桜でしょうか。

境内には薬師堂と地蔵堂がある。

突き当たりにもうひとつ寺がある。

こちらが妙教寺。

淀殿が住まわれた淀城のあった場所だといわれています。
淀殿とは豊臣秀吉の側室で浅井長政の娘、茶々ですね。

淀城があったのは400年以上前なので遺構などは残っていません。

それほど古くない石碑が残るのみです。
史跡
淀古城跡 此所は戦国時代の始細川管領家が築城し薬師寺与一岩成左通淀君らの居城となった淀古城跡である
戊辰役砲弾貫通跡 慶應四年正月四日戊辰役の際東軍砲弾の飛来で本堂を貫通したその弾痕がある

先に行きましょう。

こちらにも綺麗に着色されたお地蔵さんが。

ゆるやかなカーブ。

そこにもお地蔵さんが祀られている。

こちらは真っ白なお顔。

納所の一番端の辺りに小さな祠があった。

三宅神社。

新しい枝葉が供えられていた。

納所を過ぎ、次は横大路に向かいます。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
淀城跡・納所

明治23年測量の地図です。
淀小橋の下を流れるのは旧宇治川、赤い印は妙教寺。
宇治川沿いの道は伏見街道、桂川に架かる橋を渡れば西国街道と繋がります。

現在の地図と重ねると

このようになる。

さらに川や堀の跡などが分かりやすいように色を付けてみた。明治以降、大きく土地が変化した地域だということがよくわかる。

淀城跡にある與杼(よど)神社です。

与杼(よど)神社という漢字も使われているようですね。元は桂川の対岸、水垂(みずたれ)村の神社で、明治33年(1900)の淀川改良工事でこの地に移されました。

拝殿は国の重要文化財のようです。

こちらが拝殿。慶長12年(1607)に建造されています。

こちらが本殿。
本殿も重要文化財だったようですが、未成年者達の花火遊びにより昭和50年に焼失してしまったのだとか。

久しぶりに訪れたのですが、境内が駐車場になっていて驚いた。

與杼神社の横にも小さな神社がある。こちらは稲葉神社。

淀藩稲葉家の祖、稲葉正成公が祭神だそうです。

淀城跡の碑。

淀城は徳川二代将軍秀忠の命により松平越中守定綱が築城、寛永2年(1625)に竣工しています。その後、諸大名が次々と入城し、享保8年(1723)、春日局の子孫・稲葉丹後守正知が城主となり、明治維新まで稲葉氏の居城となっていました。ちなみに淀君ゆかりの淀城はこの地ではなく、納所の妙教寺がその場所だといわれています。

ここに石柱が集められている。

唐人雁木跡の碑と解説板がある。

ですが、実際に雁木があった場所はかなり離れた場所です。

現在の淀城跡には石垣と堀の一部しか残っていません。

手前は井戸の跡。
石を落とすとポチャンと音が鳴ります。以前、おじさんが案内してくれました。

こちらは天守台跡。柵があって中へは入れません。

電車から見るとこんな感じです。

天守台下の石垣。

昔は水辺に浮かぶような城でしたが、今は堀の一部がわずかに残るのみです。
さて、

ここは淀小橋の北詰です。

淀小橋旧跡の碑。
旧地図を見ると京街道はこの先を逆L字に曲がっている。

逆L字の角が道路になっている。
ここを下りて向かいにある階段を上ります。

階段を上ったところ。

ここをまっすぐ行きます。

もう一度鋭角に曲がる場所です。右から来て向こうに進みます。

角の家の玄関先に納所村道路元標の碑があった。

浄土真宗 法行寺。

さりげなく十三重塔がある。

土地柄なのでしょうか。
お地蔵さんをよく見かけます。

それも化粧の濃いお地蔵さん。

少し行くと小さな橋がある。

五番ノ橋。

明治45年(1912)に竣工した石橋です。
今年でちょうど100年ですね。

川下には五番樋門がある。

この辺りは納所(のうそ)と呼ばれる地域。
古来より淀川水運の主要な中継地のひとつでした。

この路地の奥に寺がある。

こちらは念仏寺。

本殿前にあるのは枝垂れ桜でしょうか。

境内には薬師堂と地蔵堂がある。

突き当たりにもうひとつ寺がある。

こちらが妙教寺。

淀殿が住まわれた淀城のあった場所だといわれています。
淀殿とは豊臣秀吉の側室で浅井長政の娘、茶々ですね。

淀城があったのは400年以上前なので遺構などは残っていません。

それほど古くない石碑が残るのみです。
史跡
淀古城跡 此所は戦国時代の始細川管領家が築城し薬師寺与一岩成左通淀君らの居城となった淀古城跡である
戊辰役砲弾貫通跡 慶應四年正月四日戊辰役の際東軍砲弾の飛来で本堂を貫通したその弾痕がある

先に行きましょう。

こちらにも綺麗に着色されたお地蔵さんが。

ゆるやかなカーブ。

そこにもお地蔵さんが祀られている。

こちらは真っ白なお顔。

納所の一番端の辺りに小さな祠があった。

三宅神社。

新しい枝葉が供えられていた。

納所を過ぎ、次は横大路に向かいます。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪

スポンサーサイト
コメント
nao | URL | -
ものすごく興味深く見せていただきました。
とうとう納所まで来はりましたか!!一気にずっと歩いて
来たのですか?ふと思いましたので・・・
淀城が今の場所になかったと言うのは知ってましたが、
これほど地形も変わっていたとは・・・感動ですわ。
( 2012年02月04日 21:20 )
新之介 | URL | sDz630us
naoさん
ありがとうございます!
一気に歩いていないです。
4~5回歩いていて、1回歩くと6~7回分の記事が書けます。
淀を歩いたのは去年の12月です ^^
( 2012年02月08日 01:15 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
ふむむ、と思ったこと
地図を見ていますと、淀城と周辺流路の位置関係が
大坂城のそれとなんとなく似ているような気がしました。
北に大川が蛇行して流れ、東から旧大和川が合流するような形。
しかも巨椋池の低湿地形状の拡がりが、旧河内湖を想わせます。
大坂城と同じく淀城立地も地盤安定性が河川近辺にもかかわらずあったのかな、と思います。
( 2012年02月09日 11:34 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
Empizzoさん
たしかに、大阪城に似ているようにも思います。
当時の淀城は大きな水車があって水辺の要塞のようだったのではないかと想像したりしております。
今回は載せなかったですが、「淀川両岸一覧」を見るとなかなか興味深いお城です。
( 2012年02月15日 00:22 [Edit] )
もっぎー | URL | -
京阪淀駅付近の高架化もだいぶ進んでいるみたいですね。
ここは、城跡公園として復元整備する計画があると聞きました。その際、かつて「誰を待つやらくるくると」と言われた大きな水車も復元するようです。もしそうなった場合は模擬天守も建てるのかな?と気になりました。
( 2012年02月27日 22:48 )
新之介 | URL | sDz630us
もっぎーさん
そうなんですか。
いまは少し荒れかけていますが
公園として整備するのはいいかもですね。
個人的には資料館が欲しい。
昔の淀城はとても興味があるので
古地図は当時の模型を見てみたいです。
( 2012年03月07日 00:11 [Edit] )
コメントの投稿