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十三の由来

2007年12月08日 21:41

十三の由来 条里制篇

十三という地名の由来はいくつかの説がありはっきりしません。諸説の中で有力とされる説のひとつに、条里制に由来するというのがあります。条里制についてちょっと調べてみました。

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条里制とは簡単に説明すると、飛鳥時代から奈良時代にかけて土地を碁盤の目のように区画し、土地に番地をつけた古代の土地制度です。条里制の研究が始まったのは遅く、大阪府下の研究に関しては、天坊幸彦氏が昭和22年に発表した「上方浪華の歴史地理的研究」が最初になります。その後、天坊氏の研究成果を受けて大越勝秋氏が所説をさらに補強、修正した「河内の条里制の諸問題」を昭和30年代に発表し、大阪市域の条里制の概要がほぼ解明されることになったのです。研究といっても飛鳥時代に行われたことを調べるわけですから考古学の部類になるのです。
十三という地名が条里制からきているのではないかと言ったのは天坊幸彦氏のようです。天坊氏が「四天王寺御手印縁起」という古文書の記載から、「トビ田を飛田とみて西成郡一条をここに求め、神崎川南岸の淀川区十八条に地名をとどめる一八条まで北へ数え進み、同区十三本町の十三の地名は一三条に当たる」と考えたようです。昔から伝わる地名の中には明らかに条里制からきている地名が各地に残っています。十三もそのひとつではないかと天坊氏は考えたのです。

条理制01
大阪市域の条里制(大阪市史より)
東成郡、西成郡の条里制に関しては、市街化によって資料が少なく明確ではないので破線になっています。西成郡の地割がやや傾いているのがわかりますね。理由はわかりません。大阪の中心部は条里制の遺構は皆無です。


条里02
大阪市北部の条里地割(大阪市史より)
破線と条数は、最初の地図を参考にして重ね合わせてみました。16条の辺りで中島大水道が直角に曲がっているのと地割がピッタリと合致しました。中島大水道は古水道を利用して1678年に農民達が作った治水等を目的にした水路です。古水道は条里制の名残の水道だと考えられています。オレンジ色の辺りが淀川改修工事前の十三です。十三は成小路村の一集落でした。18条の辺りが現在の淀川区十八条です。十八条の地名の由来は、いろいろな資料に書かれているのをみると、ほぼ条里制からきているということで間違いないようです。


条里03
明治18年の地図に地割を重ねてみました。
地割でみるかぎり、十三地区は一四条になります。多少の誤差が考えられますが、西成郡の条里制の記録がほとんど残されていないのと、研究者が研究を始めた昭和初期には市街化が進み、田んぼや水路がほとんど残されていないなどが原因で、条里制の正確な地割がわかっていません。西成郡の地割は研究者の推定になります。





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コメント

  1. 西岡邦夫 | URL | -

    十三の由来について

    今度の条里制篇は非常に興味深く拝見しました。十三の地名の由来については”十三信用金庫”のWebの中の「十三・今・むかし」で色々の説を見ましたが、今度の条里制を調べられた内容は非常に詳しく、考古学的説得力があります。その他の説もすべて十三番目という数の”じゅうさん”からの説です。ここまで詳しく調べられた新之介様なので、ついでに”十三”を”じゅうそう”と言ったかについて教えて頂けると有難いのですが。漢字は色々の読みがあり、”三”も” さん、ざ(吉三)、ぞう(伊丹十三)、み(三次)”などの読みがありますが、”そう”と読まれる例が浅学菲才の私には見当たらないように思います。よろしくお願いします。

  2. 新之介 | URL | -

    十三の読み方

    西岡様
    いつもありがとうございます。西岡様のコメントはいつも励みになっています。
    さて、「十三」を「じゅうそう」と言うことについては、いろいろな資料を読んでいる中で、いくつか目にしましたがどれもあいまいに感じていました。「十三」を最初から「じゅうそう」と読んでいたのかは不明です。最初は違う読み方をしていて、いつからか「じゅうそう」と読むようになったのかもしれません。「十三」という漢字は1701年に刊行された『摂陽群談』に「十三濟」という十三の渡しの説明で出てきます。この時代に「じゅうそう」とみんなが読んでいたかを知りたいですね。

    個人的には、口から口へ伝わっていく間に、いつしか「じゅうそう」と呼ばれるようになったのではないかと思っています。最初は「じゅうぞう」ではなかったかと思っています。人名と同じ読み方であれば漢字が読めない人でも読めたのではないかと思うのです。これは個人的な意見です(笑)。

    追伸、最初にコメントを書いていただいた場所から、こちらに移動させていただきました。

  3. 西岡邦夫 | URL | -

    十三の読み方

    早速お教え頂き有難うございます。私も昔”じゅうそう”という読み方は知らない多くの方に会った記憶があり、最近全国のどこかに十三がつく場所はないかと簡単に調べたのですが、青森県五所川原市に「十三湖」という湖があります。これは”じゅうさんこ”といわれていますが、昔は「十三湊」といわれ、この時は”とさみなと”と言われていたそうです。日本語の読みは本当に難しいものだと、つくづく思いますが、新之介様の言われるように、人の口から口に伝えられるうちに、何時しか変わって行ったといhのが真実なのでしょうね。

  4. 新之介 | URL | -

    十三の読み方

    西岡様
    「十三」という地域は、昔から知名度はあったと想像できます。落語でも十三の渡しは出てきますし、江戸時代から交通の要所だったので、「十三の渡しを渡って…」とか「十三の渡しのたもとのあん餅やで…」とか村の名前よりも十三の名前がよく使われていたのだと思います。昔は今のように地図などの紙の情報が少なかったですから、口から口へと「十三」の評判は伝わったのではないでしょうか。そういう意味でも、徐々に言い方が変わったのかなと思います。普通に考えて、「じゅうそう」って読めないですよね(笑)。

  5. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    十三湖には 「十三の砂山」という民謡がありますよ
    行ったことはないです

  6. 新之介 | URL | -

    十三の砂山

    TOSSY様
    十三の砂山の歌詞を検索してみました。
    なんか不思議な感じですね。
    歌詞にいっぱい「十三」がでてきますが
    「じゅうそう」って読んでしまうんですよね(笑)

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