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京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅

2011年11月24日 08:00

京街道を歩く(19)
淀川両岸一覧・枚方駅

江戸時代の京街道がどのような風景であったかを知るのに「河内名所図会(1801)」はとても貴重な資料でした。今回はそれとよく似た資料で「淀川両岸一覧」を見ながら当時の京街道に想いを馳せてみようと思います。

「淀川両岸一覧」とは、川から見た風景を描いた旅行案内記のようなものです。出版は文久年間(1861~1863)と言われているので、あと数年で明治維新という時代のものです。

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江戸時代の面影が残る明治21年測量の地図です。
地図の下部に伊加賀村と伊加賀村字堤町の文字が確認できる。
湾になっている場所は明治18年淀川大洪水で堤防が決壊した場所です。
江戸時代、おそらくこの湾はなかったのでしょう。
その上の泥町村から枚方宿になります。
その川べりに浄念寺があり、丘の上に臺鏡寺がある。
泥町村と三矢村の間に山に向かって道があり、
その道沿いに願生坊、山の上には萬年寺。
三矢村から淀川沿いを北に伸びる道は渡し場へ続く道です。

yodoryo_001.jpg
「淀川両岸一覧・伊加賀」
枚方宿の西端に隣接する伊加賀村。伊加賀川と伊加賀橋が描かれている。
この川は、現在せせらぎの水路として整備されている川のことだと思う。

yodoryo_002.jpg
「淀川両岸一覧・其二 枚方駅 泥町」
泥町には淀川を上下する船を監視する船番所が置かれていました。江戸時代の淀川では通行手形を持ち独占的に運行していた過書船(かしょぶね)と、後に公許された伏見船が激しく競合していたそうで、泥町にその2つの船番所があったそうです。資料を見ると東側に過書船船番所が、西側に伏見船船番所があったようです。

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「淀川両岸一覧・其三」
この絵の中には大きな屋根が3つ描かれている。浄念寺、願生坊、臺鏡寺だと思います。右の三十石船らしき船に寄り添っている小さな舟はくらわんか舟かもしれない。

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「淀川両岸一覧・其四 枚方渡口」
宿場町を離れ川沿いを少し歩くと渡し場がありました。駕籠を担ぐ人や旅人、畑を耕す人が描かれている。山の上に見える屋根は萬年寺でしょうか。左の小さい舟が渡し舟でしょう。

yodoryo_000.jpg
隣接する3つの絵をつなぎ合わせてみました。
どうでしょう。江戸時代の枚方宿が見事に描かれています。

大きめの画像(3000x740)を貼っています。
下記の文章を読みながら江戸時代の枚方宿にタイムスリップしてくださいませ ^ ^


枚方駅(ひらかたのえき)
伊加賀村につづく。守口の駅より当駅まて、陸路行程二里。松が鼻より此所まで、水上凡三十町といふ。
此駅は、京師浪花(みやこなにわ)の通路のうへ、西国の諸侯方、関東参勤の官道なるがゆへに、旅舎、本陣、茶店、貨食家(にうりや)多く、将(はた)、飯盛の女などありて、昼夜とも賑わしく、駅中、泥町、三矢、岡、新町等の小名ありて、町続き頗(すこぶ)る長く、至ての繁花(はんくわ)なり。又、両六条の御坊も有て、東は願生坊といひ、西を浄念寺といふ。詣人(けいじん)常に間断なし。貨食船は当初の名物にして、夜となく、昼となく、ささやかなる船に、飯、酒、汁、餅なとを貯へ、上り下りの通船を目がけて、鎰(かぎ)やうの物を其船に打かけ、荒らかに苫引あけ、眠かちなる船客を起して、声かまびすしく酒食を商う。俗に、これを喰(くら)わんか船と号す。往来の船に、もし風波の難ある時は、此船々漕つれ出て、夫を助くる役ありと聞こゆ。「淀川両岸一覧」より


(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
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28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


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コメント

  1. うえキング | URL | GCA3nAmE

    淀川両岸一覧 カラー

    こんにちは。
    いつも楽しく読ませていただいております☆

    早稲田大学のデータベースに多数の古文書の閲覧が可能になってます。
    摂津名所図会や、河内名所図会もありますが、
    淀川両岸一覧の挿し絵はカラーで見る事が出来ますので
    枚方宿の景色もさらにイメージしやすいと思いますw

    http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko06/bunko06_01881/bunko06_01881_0001/bunko06_01881_0001.html

  2. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    枚方考と京阪電車

    じっくり読ませていただきました。
    また、うえキングさんの早稲田大学の古文書も面白かったです。
    感想点をまとめると、まず最初に、京阪電車のこと。
    見事に旧街道に沿っており、駅の設置場所も、京街道の宿駅や主だったところに
    作られたのが明快である。

    大学時代に鉄道研究会でした。
    京阪電車はカーブが多いので、阪急組が「のろい、遅い、カーブばっかり」と
    揶揄していたことを思い出しました。
    (通学電車で2大一派があり、しょっ中、「京阪組」とセクト抗争していた)

    これは、黎明期の淀川右岸の鉄道が、否応なく町のお客を拾って集めて走ったことに
    起因するわけですが、官鉄東海道線が、血も涙も無く、最短ルート、高速輸送を主眼に
    作られたのに対し、京阪の創設は客を奪われた淀川の水運関係者が、危機感をもとに
    「よっしゃそれなら電車で」と頭をひねったことに違いありません。

    京阪電車は、昭和初期にクロスシートの「ロマンスカー」を走らせた鉄道として
    マニアの間では有名です。
    名所絵図にみられるように、もともと淀川右岸の旅は、名所巡り、物見遊山的な性格が
    強かったのでしょう。「夢よもう一度」ではありませんが、のちの「テレビカー」や
    二階建て電車、最近の「おけいはん」に見られる創意工夫のサービス精神のDNAは
    江戸時代にまで溯ると、学説を立てたくなりました。

    またおりおり気が付いた感想を書いて行きます。

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    うえキングさん
    ありがとうございます。
    こんなデータベースがあったとは。
    とても参考になりました!


    kotaroさん
    京阪もそうですが私鉄の線路のルートは転々存在する村々の近くをいかに効率よく回っていくかであったように思います。昔の地図を見ているとそれは一目瞭然でわかりやすい。駅の多さもそのためでしょうね。阪神電車は駅が多いなぁと思っていた時に、旧地図を見てその理由が理解できました。
    京阪沿線を歩いて感じたことは昔ながらの風景がところどころに残っていることです。西国街道とは違う魅力が京街道にはありますね。面白いです。

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