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京街道を歩く・枚方宿・鍵屋

2011年11月17日 08:00

京街道を歩く(17)
鍵屋・浄念寺

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枚方宿の西の出入口、西見付から歩いていきます。

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ケンペルやツンベルク、シーボルトなども立ち寄ったのだとか。

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明治21年測量の地図です。

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川が流れていた場所は河川敷になっていますね。

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歩き出してすぐに現れたのは

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鍵屋。歴史的にも大変重要な建物です。

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現在は枚方市立枚方宿鍵屋資料館として管理されていますが、平成9年まで料理旅館・料亭として営業していました。

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ファサードがとても美しい。

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創業は天正年間(1573~1592)と伝えられています。
この主屋は文化8年(1811)に建てられたようで枚方市の有形文化財に指定されています。

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煙り出しがいいですね。

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こちらが資料館の入口。

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「淀川三十石船唄」に「鍵屋浦には碇(いかり)は要らぬ 三味や太鼓で船止める」と謡われていたとか。

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「河内名所図会」の「枚方驛」です。提灯に「平」の文字が見える。鍵屋に似ているけど違うかも。川で提灯の灯りで魚をさばいている料理人が描かれています。

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敷地内は残念ながら撮影禁止でした。とても興味深い建物です。機会があればぜひ見学してみてください。

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鍵屋さんの斜向かいにも素敵な建物が。

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こちらは古民家を利用したカフェ・ザッカ・カグのお店。

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ラムネの布がかわゆい。

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ちょっとええ感じの場所。

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奥の建物が古そうですね。

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問屋役人 木南喜衛門家 屋号 田葉粉屋。 
なかなか由緒があるようです。

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建物自体は明治期のものだとか。

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枚方船番所跡の碑。

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行ってみましょう。

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別に何かがあるわけでもなく説明板がありました。
この辺りが港だったのですね。現在は高い壁があるだけで遺構らしきものは何もありません。アスファルトをはがせば石積みが現れるかも。発掘しませんか。枚方市さん! ^ ^

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さて、少し歩いたところに大きな松の木がありました。
別に無名の木だと思うのですが枝ぶりがいい。

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街道の突き当たりに大きな屋根が現れました。

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浄土真宗 浄念寺。

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「河内名所図会」の「枚方 萬年寺」の中にも西御坊として描かれている。ただし、東御坊と西御坊の位置関係がおかしい。ただ、西御坊は川沿いにあり東御坊は山の麓に描かれているのは正しい。もしかすると意図的にデフォルメしている可能性も考えられるなぁ。

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山門の前で京街道は大きく屈曲しています。見通しを妨げて防御機能をもたせる「枡型」といわれるものだそうです。

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本堂は、寛政4年(1792)に再建されたものだとか。

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枚方は寺内町だったんですね。それも興味深い。元々あった順興寺(じゅんこうじ)の後身が東御坊と言われる願生坊(がんしょうぼう)だそうです。

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さてさて、再び歩きます。
こちらの建物、ちょっと基礎を高くしています。

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水害対策でしょう。旧地図を見ると地理的に水害に悩まされた地域だったのではないかと想像できます。

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唐突に道標があった。
すぐ國道第二号路線 京
左 枚方街道

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こちらの公園が旧本陣跡。

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幕末に取り壊されたようで、旧地図でも建物らしきものが記されていません。明治天皇の石碑がありますが、

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大阪行幸の時に立ち寄られたようですね。
(関連記事)『京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺2011.09.14

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またまた素敵な建物が現れた。

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こちらは有名な氷屋さん。
とにかくここのかき氷は絶品らしい。

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専光寺の角を曲がって

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万年寺山へ向かいます。
石段の下の地蔵尊がありますね。

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中をのぞいたら真っ白い顔のお地蔵さんたちでした。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


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コメント

  1. jack77betty | URL | BaVqJGy6

    河内名所図会

    >ただし、東御坊と西御坊の位置関係がおかしい(新之介さん)

    「東御坊と西御坊の位置関係」というより、「本陣と西御坊の位置関係」がおかしい、すなわち西御坊と本陣の位置がそっくり入れ替わってしまっている、というほうが正しいのではないでしょうか。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    jack77bettyさん

    「枚方萬年寺」はかなりデフォルメされている絵だと思っています。
    萬年寺がメインの絵なので下の方はかなり無理があるように思います。
    萬年寺と東御坊の位置関係はほぼ正しいと思いますが
    本陣と西御坊の位置はかなりおかしい。
    想像ですが作者が意図的に構図優先で描いたのではないかと思っています。
    先日淀川両岸一覧を借りて見ていたのですが
    それにも西御坊と東御坊が描かれていました。
    その位置関係はかなり正確に描かれています。
    また後日記事にする予定です。

  3. 中瀬衛亮 | URL | sn1p.Qns

    初めまして

    初めまして、私の祖父が五番の吉岡から養子に来ていて、検索していてこちらを発見し拝見させて頂いています。京街道で私の生まれた三矢とひと続きで嬉しく思いました。また、檀家総代を務めている淨念寺や意賀美神社の階段下にある地蔵さんも載っていました。地蔵さんのお家を作って祀ったのが先ほどの祖父です。祖父は、北河内郡の郡長をしていた家から養子に来ていました。郡役所が、三矢公園の向かいの枚方療育園の場所で枚方宿の本陣があった場所と聞いています。お地蔵さん2体と石の亀が今は専光寺さんになっていますが、高架事業で転居しましたが、そこにあった井戸の改修工事の時に見つかったもので、何か因縁を感じて書かせていただきました。長文で申し訳ありません。

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