2011年11月14日 08:00
京街道を歩く(16)
枚方宿の入口

明治21年測量の地図です。
枚方が淀川の港町であったことがよくわかる。
浄念寺の右の所から道が北にのびている。その先が渡し場です。

現在の地図と重ねると鉄道が枚方丘陵と街道の狭い隙間を通っているのがわかる。

現在です。

出口方面から京街道を歩いて来ると、大きな道路に差し掛かった。国道170号線の枚方大橋南詰め。

横断歩道を渡りこの細い道を行きます。これが京街道。

細い水路の橋を渡る。

旧地図を見るとまわりに池があったようだ。

突き当たりに石積みが現れた。
これは昔の堤防跡です。この上を淀川に沿ってもう片方の京街道を通っている。

旧堤防沿いのなだらかな坂を上がっていきます。

ここが京街道が分かれる三叉路。左の道から来ましたが、大阪方面へは、右に行くと淀川の堤防沿いを歩くことになり、左に行くと出口村を通ることになります。

ここに道標があった。新しいものですが。

さて、枚方宿に向かいましょう。

この辺りも古い家が残っていますね。

うだつがいいアクセントになっている。

昔は商店が並んでいたのでしょうか。

桜湯という銭湯があった。どうも廃業されてるようですね。

昔はよく見かけた郵便の看板。

米・燃料・タケダ・食品の看板。
昔のお米屋さんは燃料も売っていましたね。練炭とか豆炭とか灯油とか。
食品はタケダのいの一番やプラッシーとかでしょう。
米屋の息子の私が言うのだから間違いない … ^ ^

蔵の前の植木鉢がなんかよい風景だ。

まだアゲハが飛んでる季節です。

突き当たりの場所。

その角に寺がある。

浄土真宗 誓願寺。

山門脇に地蔵堂があった。
この道を行くと旧伊加賀村です。

こちらの道は京阪「枚方公園」駅に続く。

突き当たりの道を左に行くと案内看板が現れる。
この先は淀川になります。

堤防の上を走る道路脇にある「明治十八季淀川洪水碑」。
淀川改良工事のきっかけにもなった明治18年の淀川大洪水の決壊場所はこの辺りのようですね。

この説明板にとても興味深い事が書かれていた。
「…決壊箇所は水深5.5メートルもあり、水勢も激しいことから、旧堤防から後退して弓形に仮堤防が築造されました…」とある。旧地図の測量は明治21年。旧伊加賀村の左側に大きな湾があるのですが、それがこの時に作った仮堤防のようです。ということは5枚目の写真の堤防跡と書いたのは仮堤防の跡だったのか。その前の写真で池があったと書いたが、その池は洪水の名残かもしれない。

こちらにも立派な石碑がある。

これは郵便屋の渡し跡の碑。

明治10年、対岸に官営鉄道が開通したことにより淀川左岸一帯の郵便物はこの渡しで高槻駅まで運んでいたようです。ちなみに京阪電気鉄道が開通したのは明治43年です。(どうでもいいことですが、高槻駅の開業は明治9年だと思うのだが…)

石碑の横から古い建物が見える。
これが有名な鍵屋。昔は建物の前は淀川で敷地の中まで船が入っていました。

さて、再び京街道へ。

ここが枚方宿の西見付。
見付とは番所のことで、ここに高札場がありました。
ここから枚方宿を歩いていきます。
(追記)

三つ又の道を大阪方面へ歩くとこのような場所に来る。

横道に入っていくと

地蔵尊がある。その奥には樋門跡があります。

ちなみにこちらのお地蔵さんはしろぬりのお顔でした。

ここは合同樋門があった場所。

現在は公園として整備されています。

かつてあった伊加賀川かもと思っていたのですがそうではないようです。

この橋の名前はなんだろう?
かつてあった伊加賀橋を探していたのですがわかりませんでした。

たもとには京街道の碑。

この辺り、かつての色街でもあります。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
枚方宿の入口

明治21年測量の地図です。
枚方が淀川の港町であったことがよくわかる。
浄念寺の右の所から道が北にのびている。その先が渡し場です。

現在の地図と重ねると鉄道が枚方丘陵と街道の狭い隙間を通っているのがわかる。

現在です。

出口方面から京街道を歩いて来ると、大きな道路に差し掛かった。国道170号線の枚方大橋南詰め。

横断歩道を渡りこの細い道を行きます。これが京街道。

細い水路の橋を渡る。

旧地図を見るとまわりに池があったようだ。

突き当たりに石積みが現れた。
これは昔の堤防跡です。この上を淀川に沿ってもう片方の京街道を通っている。

旧堤防沿いのなだらかな坂を上がっていきます。

ここが京街道が分かれる三叉路。左の道から来ましたが、大阪方面へは、右に行くと淀川の堤防沿いを歩くことになり、左に行くと出口村を通ることになります。

ここに道標があった。新しいものですが。

さて、枚方宿に向かいましょう。

この辺りも古い家が残っていますね。

うだつがいいアクセントになっている。

昔は商店が並んでいたのでしょうか。

桜湯という銭湯があった。どうも廃業されてるようですね。

昔はよく見かけた郵便の看板。

米・燃料・タケダ・食品の看板。
昔のお米屋さんは燃料も売っていましたね。練炭とか豆炭とか灯油とか。
食品はタケダのいの一番やプラッシーとかでしょう。
米屋の息子の私が言うのだから間違いない … ^ ^

蔵の前の植木鉢がなんかよい風景だ。

まだアゲハが飛んでる季節です。

突き当たりの場所。

その角に寺がある。

浄土真宗 誓願寺。

山門脇に地蔵堂があった。
この道を行くと旧伊加賀村です。

こちらの道は京阪「枚方公園」駅に続く。

突き当たりの道を左に行くと案内看板が現れる。
この先は淀川になります。

堤防の上を走る道路脇にある「明治十八季淀川洪水碑」。
淀川改良工事のきっかけにもなった明治18年の淀川大洪水の決壊場所はこの辺りのようですね。

この説明板にとても興味深い事が書かれていた。
「…決壊箇所は水深5.5メートルもあり、水勢も激しいことから、旧堤防から後退して弓形に仮堤防が築造されました…」とある。旧地図の測量は明治21年。旧伊加賀村の左側に大きな湾があるのですが、それがこの時に作った仮堤防のようです。ということは5枚目の写真の堤防跡と書いたのは仮堤防の跡だったのか。その前の写真で池があったと書いたが、その池は洪水の名残かもしれない。

こちらにも立派な石碑がある。

これは郵便屋の渡し跡の碑。

明治10年、対岸に官営鉄道が開通したことにより淀川左岸一帯の郵便物はこの渡しで高槻駅まで運んでいたようです。ちなみに京阪電気鉄道が開通したのは明治43年です。(どうでもいいことですが、高槻駅の開業は明治9年だと思うのだが…)

石碑の横から古い建物が見える。
これが有名な鍵屋。昔は建物の前は淀川で敷地の中まで船が入っていました。

さて、再び京街道へ。

ここが枚方宿の西見付。
見付とは番所のことで、ここに高札場がありました。
ここから枚方宿を歩いていきます。
(追記)

三つ又の道を大阪方面へ歩くとこのような場所に来る。

横道に入っていくと

地蔵尊がある。その奥には樋門跡があります。

ちなみにこちらのお地蔵さんはしろぬりのお顔でした。

ここは合同樋門があった場所。

現在は公園として整備されています。

かつてあった伊加賀川かもと思っていたのですがそうではないようです。

この橋の名前はなんだろう?
かつてあった伊加賀橋を探していたのですがわかりませんでした。

たもとには京街道の碑。

この辺り、かつての色街でもあります。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
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36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
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コメント
kotaro | URL | 8nGiSIKA
京街道シリーズ、楽しみにしています
くらわんか船が上下の往来に横に着けていた淀の河川交通の要所。
枚方は地名の読みにくさと共に、やっぱり港だっただけに、開けたところ
開け田くらいが、地名の起こりかなと、一人で地図を見て考えていました。
今も残る丘陵地帯の麓が、船着き場の岸でしょう。その上には
堂島の米相場の手旗信号で知られる、飛ぶ火や旗振りの信号所があり
遠くから見渡せるような、真っ直ぐの風景が延びていたと思われます。
中振という地名も国道1号線沿いに残されています。
以前歩いた吹田の古い土地も、河川の港から起こっていたと思います。
街道のことは、歩いて道標と地政学的なフィールドワークをすれば、結構
過去のことが分ってくるかと思います。
また鉄道のことは、明治以降のことですし、近年研究が進み文献資料が
非常に増えたと思います。
歩かれるついでに、金融機関、地場の銀行信金発達史を、考えてみるのも
面白い発見があるのかもしれません。大阪の地場金融は近年急速に整理統廃合
が進みました。
金貸しと経済その沿革、大阪の街道に沿って。ひとつ面白い論文が
書けそうな気がいたします。
( 2011年11月16日 17:41 [Edit] )
元おけいはん住人 | URL | -
ありがとう
まいかたし駅?、ひらぱーって何?
初めて枚方の地を踏んだ頃の昔が思い出されました。
枚方を取材してくれてありがとう!
( 2011年11月19日 16:24 )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
なるほど。
いつもながらkotaroさんの想像力に関心しっぱなしです。
中振(なかぶり)という地名も不思議といえば不思議です。
経済の視点はまったく持っていなかったのですが
調べていくと面白い発見がありそうな気もします。
だれか書いてくれないかな ^^;
元おけいはん住人さん
まいかたし…
昔から当たり前のように枚方を知っていましたが
確かに枚方って難解な地名なのかもしれませんね。
いまさらそれに気づきました ^^;
( 2011年11月21日 00:53 [Edit] )
Yoshida | URL | -
懐かしい枚方の思い出
懐かしい写真有難う。
今から56年前に3年ほど伊加賀町で世話になりました。
写真にある桜湯の銭湯にはよく通いました。
桜湯の通りの近くには当時は遊郭もあったと思います?
旧一号線(京阪国道)沿いにナショナルのラジオ組立工場があり
そこにS38年まで世話になってましたがその年の末に倒産しました。
ほんとうに懐かしい写真有難うございました。
( 2016年05月08日 11:56 )
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