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消えた中津川 3

2007年11月24日 18:46

消えた中津川 3 十三篇

十三の渡しがあった川は今の淀川ではなく、その前にこの地に流れていた中津川です。昔から中国街道や能勢街道の通行の要として「十三渡」と木川の「新橋渡」が利用されていました。

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明治11年、中津川に私設の十三橋が完成し十三の渡しはなくなりました。明治後期の淀川改修工事でその橋もなくなります。その後、新淀川に十三大橋(先代の十三大橋)が架橋され、中津川は河川としての機能を失い埋め立てられていきます。中津川の跡を歩きましたが、その痕跡はまったく見当たりません。唯一、土地が隆起している地域がありました。ただ、これが中津川の堤防跡かは不明です。

中津十三01
現在の地図(Googleマップより)。
緑色の辺りが隆起している所です。1は空楽寺周辺。2は銀座通りにある地蔵尊。3はその西側にある地蔵尊。4は元今里墓地です。それぞれ歴史があり、昔からこの地にありました。当時どの辺りにあったかをみていきたいと思います

中津十三02
明治42年の地図です。中津川の埋め立てが進み、明治40年には修徳館の建設が始まっています。緑色の隆起している辺りは、この当時中津川の堤防からは離れており、大野川(中島水道)との間にあたります。2と3の地蔵尊は中津川の堤防沿いにあったことがわかります。元今里墓地も中津川と大野川(中島水道)に挟まれた場所にありました。

中津十三03
明治18年の地図です。緑色の隆起している辺りは、中津川と大野川(中島水道)との間で今里村の辺りになります。細い街道は野里や尼崎方面につながっており、この道しかありませんでした。この地域は昔から水害の多く、少し小高い土地を利用して今里村の集落が出来たのかもしれません。1の空楽寺は、まだここにはありませんでした。

ガレージ神社
1の空楽寺の横のガレージの中にある地蔵尊です。いつからあるのかは不明ですが、昔の今里村集落の中心に位置するので、由緒あるお地蔵さんかもしれません。

空楽寺
空楽寺。1577年に開基とあります。1908年(明治41年)に西区からこの地に移ってきました。

空楽石垣
空楽寺の敷地内にある石垣。この地が平坦でなかったので家を建てるときは、こんな石垣があちこちにあったのではないかと思います。

隆起01
空楽寺の裏の私道。写真ではわかりにくいですが、隆起しています。

隆起02
上の写真の反対方向からみた写真。撮影場所自体が少し坂になっていて、この路地はさらに隆起しているのがわかります。

隆起03
さらにその下から見た写真。左の家をみると高低差がわかります。この道の後ろは大野川跡の道路になります。北から南方面を見ています。

銀座
2の銀座通りにあるみかえり地蔵尊。お社が新しくなりました。

風呂近
3の福智延命地蔵尊。目立つ場所にあって、子供の頃から一番親しみのあるお地蔵さんです。

元今墓地
4の元今里墓地。いつからこの地にあるのでしょう。今里村のお墓です。




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