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大阪にも大津波・安政大津波(浪)碑

2011年09月05日 08:00

約150年前の先人が
我々に残してくれたメッセージ

大地震両川口津浪記石碑(安政大津波碑)

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9月4日の淀川です。
各地に大きな被害をもたらした台風12号が去った後。

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あふれんばかりの水位ですね。

asahi.com
osaka_tsunami.jpg
そういえば先日、大阪府が将来くるであろう津波の高さの想定を2倍にしたというニュースがありました。防災について関心が高まっています。

ところで大阪に大津波が来た歴史はあったのだろうか?

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大正橋東詰、ここに安政大津波の碑があります。

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安政2年(1855年)7月に建立されている。
その前年、嘉永7年(安政元年1854年)11月に大地震による大津波が大阪を襲ったようです。

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大地震両川口津浪記。

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裏面と側面にはびっしりと文字が刻まれている。

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当時の被害状況がこまかく記録されているのだ。

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これには全文が書かれているがちょっと今の時代の人には読みにくいかも。

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これは読みやすい。

大地震両川口津波記

嘉永7年(1854年)、6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら4、5日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。

同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
 
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約1.4メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。

道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
大黒橋から西の道頓堀川、松ヶ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
 
その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起こり得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところを選んでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
 
津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は用心が必要である。
 
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。

安政2年(1855年)7月建立

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文章の最後に
「願わくば心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入たまふべし」とある。
記念碑保存運営委員会の方々が今も文字に筆で墨をいれてくださっているようです。ちなみにこの石碑は大阪市有形文化財に指定されています。

ところで、
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地下鉄「阿波座」駅の近くに大阪府の「津波・高潮ステーション」がある。

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ここにも立ち寄ったのだが驚いた!

あっ!

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ここに立ち寄った目的は、いままで大阪を襲った津波がどれだけあったのかを知りたかったのだ。でも残念ながらその資料はなかったが、地震の資料はあった。

1605年2月3日 慶長地震 M7.9
1707年10月28日 宝永地震 M8.4
1854年12月23日 安政東海地震 M8.4
1854年12月24日 安政南海地震 M8.4
(石碑と日にちが違うのはこれが新暦だからです)
1944年12月7日 昭和東南海地震 M7.9
1946年12月21日 昭和南海地震 M8.0

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先日、朝日新聞にも取り上げられていたみたいですね。

「国土地理院ホームページ掲載の航空レーザ測量によるカラー陰影段彩図(図名等)」より
kokudo.jpg
ご存知のように大阪の地形は上町台地より西側は標高が低いです。
海抜0メートル地帯もかなり広範囲。
万が一の時にどういう行動をとればいいのか。
私自身も防災に関心を持ち出した今日この頃です。


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コメント

  1. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    最大級の教訓

    「安政大津波の碑」のラスト、やっぱり感じ入ります。
    「願わくば心あらん人、年々文字よみ安きよう墨入れたまふべし。」
    谷村新二さん作「ココロツタエ」という歌があります。
    「ココロ」を「ツタエル」、まさにそれではないかとおもいます。
    科学技術が今のようにではなかった当時の方々は、
    科学技術によることなく、本質を見抜き、後世に伝えるという
    防災のもっとも基本となるセオリーをこうした碑に残されることで
    実践されたと思います。

    段彩図から海抜の高低は明らかですね。、
    日々通過する時にも河川の橋梁とその両サイドのエリアの高低差を実感しているところです。
    たとえば堂島橋北詰から土佐堀橋西詰までのたかだか350mを自転車で走っても、強く実感します。
    堂島橋に向かって坂をぐっと登り、橋を過ぎるとだーっと下る。
    そしてまた土佐堀橋へ向かってぐっと登り、橋を過ぎるとまた下る、
    みたいなアップダウン。
    クルマに乗っているとあまりわからないのですがその高低差から感じることは、
    川の水面より、周りの土地の方がはるかに低いということです。
    津波が大阪の河川をさかのぼることは十分予想されます。
    そして波が一気に堤防を乗り越えたら大阪の低地は一気に滝壺のごとし、的になるのではないかと危惧しています。 


    ps)先日の書き込みの文中で新之介さんの敬称を抜かしてしまいました。申し訳ありませんでした。

  2. ばんぼう | URL | t/Klp7tQ

    ホント怖いです

    西淀川区、神崎川河口だったかと思いますが
    (淀川?)、満潮だったのか、堤防から見た水面が、その反対側の家々よりも明らかに高くて、なんか怖いなぁと思ったことがあります。

    でも、そのあと。大阪は、瀬戸内海の一部で内海なので、津波とは無縁と思っていましたが、
    津波が襲ったことがあることを今回の新之介さんの話で知りました。

    今住んでいる名古屋は近い将来確実に大地震が来るといわれています。しかし、地震の時にどこにいるか分からないので、高いところに逃げないいと助からないと思いつつ、運命に任せるしかないのかなと思ったりします。

    しかし、そのときの為に、いろんな教訓を知っておくのがとても大事なんですね。

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    Empizzoさん
    大阪湾の埋め立て地域拡大で安政時代とはあきらかに地形が変わっていますが、津波が川を逆流し堤防を超えるのが一番怖いです。特に淀川は水門がありませんので毛間の閘門まで来るかもしれない。大事なのは万が一の時にどういう行動をとるかですね。いろいろ考えさせられる石碑です。

    ばんぼうさん
    おっしゃるとおり満潮時は海抜0メートル地帯であることを実感します。
    その時に津波が来たら…
    いろいろ考えさせられますね。

  4. 銀河遊星 | URL | dc1KBcnU

    参考になります

    フジテレビ「とくダネ」で取り上げていたので、ネットで検索したらこちらに辿り着きました。
    東京に住んでいて震災の怖さを実感しましたが、昔は大阪も津波の被害があったんですね。実家が堺なので気になる所です、「海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある」と言う事は津波被害が無くても液状化はあり得ると考えた方が良いですね。とても参考になりました。

  5. 新之介 | URL | sDz630us

    銀河遊星さん

    「とくダネ」で取り上げられていたのですか。
    津波関連の検索ワードでのアクセスが増えていたので
    気になっていました。

    先人のメッセージが広く知られることはとても重要です。
    少しでも多くの方に知ってもらえるとうれしいです。

  6. 歴史は語る | URL | e78oGWls

    先人の伝言

    随分遅れて投稿させていただきます。最近また南海地震や津波についてのニュースが増えています。過去テーマとしてあがったかもしれませんが、先日大阪歴史博物館を見ていた際に昔の地震津波についての記録が紙で残っているのを見て、大変驚きました。大阪湾は奥まってるので津波は関係ないと勝手に思い込んでいたので、実際あったという事実とその記録がきちんと残っているということにも驚き、そのことをもっと調べてみようと検索したところこのブログにたどり着きました。石碑としても残っているんですね。展示品では今でいうハザードマップのようなどのあたりまで浸水したみたいな地図やら、屏風を建てて家族が寄り添っている避難所での様子がイラストで描かれた新聞のようなものがありました。メディアが発達していない時代でもこうして後世に事実を残そうとされた先達の知恵に関心しています。計算してみるとだいたい100年から150年周期で起こっているので、あり得ることとしてしっかり対策しないと昔の人に申し訳ないなと思いました。津波ステーションのこともここで初めて知りましたので、いつか見学してみたいと思います。ありがとうございました。

  7. 通りすがり | URL | -

    まだ新之介さんの記事の全部に目を通したわけではありませんので、すでに記事になっているのであればすみません。
    四天王寺境内にも安政地震津波碑があったように思います。

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