2011年08月21日 08:00
今里まちなみ逍遥 ①
暗越奈良街道を歩く
(関連記事)
「大阪巨樹巡礼 6 八王子神社御旅所の楠」 2011.08.19
巨樹巡礼が主目的だったのですが、
どうせなら旧地図を持って出かけてみようということで
大今里、西・東今里、本庄、中道を歩いてきました。

明治18年測量の地図です。
大今里村、西今里村、東今里村とあるのですが
今里村というのはないのですね。
村の周辺一帯は田園地帯でした。

昭和4年の測量地図です。
すごい勢いで住宅地や工業地が広がっているのがわかる。
今里ロータリーはまだない。
5叉路のロータリーが出来るのは昭和9年です。

現在です。
面白いのは昔のくねくね道がそのまま残っている。
それをくねくね歩くのが好きなのだ。

地下鉄千日前線今里駅から北に歩いてきた。

暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)の石碑。
そうか!ここはあの暗越奈良街道が通ってるんだ!
と、現場で知りました… ^^;

「奈良尼ヶ辻において三條通と合流し、平城京に至る暗越奈良街道の終点は、暗越大坂街道の起点であり、シルクロードの東の端とも言える…」

なるほど…
こういう説明図は前知識無く歩く私にとっては本当にありがたい。

ここを歩いていけば旧大今里村です。

道沿いにまた暗越奈良街道の石碑。

ちょっとええ感じの町並みが続きます。

ええやん。

こういうのもいい。
屋根に注意。

街道沿いの地蔵尊。

なにげにある車避けの唐臼がよい。

かわいいお花がうれしそうなお地蔵さん。

向こうに見える鳥居は旧大今里村の氏神熊野大神宮です。

旧街道と国道が交差する場所に変わった道標があった。
上部を四角にくり抜いて火袋にし、その上に笠石を載せている。
文化3年(1806)に建てられたものらしい。

北八尾街道との分岐点に建っていたものを道路の拡幅時にここに移動したそうです。
右
きしのだう(岸田堂)
久(く)はんぜおん(←どこやろ?)
志(し)ぎさん(信貴山)
八尾
久宝寺
道(よみは東成区史より)

左 いせ なら 道
道路の向こうにある細い道が北八尾街道。
暗越奈良街道は国道に沿って奈良に向かっています。
さて、

本庄村と大今里村の途中にもうひとつ道標がありました。

アップで撮るのを忘れてしまいましたが、
是ノ左りへ三町 常善寺

ちなみに常善寺は旧西今里村になります。

止まれを右に行けば大今里村
まっすぐ細い道を行けば西今里村です。

ここに暗越奈良街道の説明板があった。
「暗越奈良街道は、高麗橋(江戸時代は玉造)を起点に奈良への最短コースをとる街道で、生駒山脈の横断は、暗峠を越えるのでこの名がある。古代に開かれた平城京への道は、一部この街道と重なるといわれる…」

古地図を見るとこの角に墓があったのだが探してみるとすぐに見つかった。

大今里墓地。今は建物に囲まれているが昔は水路と田んぼに囲まれるようにあったのだろう。

ここにも何やらありますね。
中道八坂神社の参道です。

暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里

「…明治九年に設けられた高麗橋の道路元標からここが一里にあたる…」
ということらしい。

この参道もええ感じですね。

最後は二軒茶屋跡。
帰りに玉造駅まで歩いたらその手前にありました。
正直、ここにあることを知らなかった… ^^;
ここには桝屋(ますや)と鶴屋(つるや)という二軒の茶屋があったそうで、江戸中期からお伊勢参りが盛んになり、旅人はこの地で旅装を整え、家族友人らの見送りを受けて東へ向かったのだとか。
ちなみに、桝屋は明治初年に廃業、鶴屋は牛肉商として大正時代まで存続していたそうです。

その傍らを流れる猫間川には古い石橋が架かっていました。正式名称は黒門橋。
この界隈は落語にもでてくるようですよ。
「東の旅発端」 世紀末亭
時間がない方は6分25秒からどうぞ。
音声だけですが… ツ・ポポ・ポン!
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「今里・暗越奈良街道」 2011.08.21
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「西今里・東今里」 2011.08.26
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明治18年測量の地図です。
大今里村、西今里村、東今里村とあるのですが
今里村というのはないのですね。
村の周辺一帯は田園地帯でした。

昭和4年の測量地図です。
すごい勢いで住宅地や工業地が広がっているのがわかる。
今里ロータリーはまだない。
5叉路のロータリーが出来るのは昭和9年です。

現在です。
面白いのは昔のくねくね道がそのまま残っている。
それをくねくね歩くのが好きなのだ。

地下鉄千日前線今里駅から北に歩いてきた。

暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)の石碑。
そうか!ここはあの暗越奈良街道が通ってるんだ!
と、現場で知りました… ^^;

「奈良尼ヶ辻において三條通と合流し、平城京に至る暗越奈良街道の終点は、暗越大坂街道の起点であり、シルクロードの東の端とも言える…」

なるほど…
こういう説明図は前知識無く歩く私にとっては本当にありがたい。

ここを歩いていけば旧大今里村です。

道沿いにまた暗越奈良街道の石碑。

ちょっとええ感じの町並みが続きます。

ええやん。

こういうのもいい。
屋根に注意。

街道沿いの地蔵尊。

なにげにある車避けの唐臼がよい。

かわいいお花がうれしそうなお地蔵さん。

向こうに見える鳥居は旧大今里村の氏神熊野大神宮です。

旧街道と国道が交差する場所に変わった道標があった。
上部を四角にくり抜いて火袋にし、その上に笠石を載せている。
文化3年(1806)に建てられたものらしい。

北八尾街道との分岐点に建っていたものを道路の拡幅時にここに移動したそうです。
右
きしのだう(岸田堂)
久(く)はんぜおん(←どこやろ?)
志(し)ぎさん(信貴山)
八尾
久宝寺
道(よみは東成区史より)

左 いせ なら 道
道路の向こうにある細い道が北八尾街道。
暗越奈良街道は国道に沿って奈良に向かっています。
さて、

本庄村と大今里村の途中にもうひとつ道標がありました。

アップで撮るのを忘れてしまいましたが、
是ノ左りへ三町 常善寺

ちなみに常善寺は旧西今里村になります。

止まれを右に行けば大今里村
まっすぐ細い道を行けば西今里村です。

ここに暗越奈良街道の説明板があった。
「暗越奈良街道は、高麗橋(江戸時代は玉造)を起点に奈良への最短コースをとる街道で、生駒山脈の横断は、暗峠を越えるのでこの名がある。古代に開かれた平城京への道は、一部この街道と重なるといわれる…」

古地図を見るとこの角に墓があったのだが探してみるとすぐに見つかった。

大今里墓地。今は建物に囲まれているが昔は水路と田んぼに囲まれるようにあったのだろう。

ここにも何やらありますね。
中道八坂神社の参道です。

暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里

「…明治九年に設けられた高麗橋の道路元標からここが一里にあたる…」
ということらしい。

この参道もええ感じですね。

最後は二軒茶屋跡。
帰りに玉造駅まで歩いたらその手前にありました。
正直、ここにあることを知らなかった… ^^;
ここには桝屋(ますや)と鶴屋(つるや)という二軒の茶屋があったそうで、江戸中期からお伊勢参りが盛んになり、旅人はこの地で旅装を整え、家族友人らの見送りを受けて東へ向かったのだとか。
ちなみに、桝屋は明治初年に廃業、鶴屋は牛肉商として大正時代まで存続していたそうです。

その傍らを流れる猫間川には古い石橋が架かっていました。正式名称は黒門橋。
この界隈は落語にもでてくるようですよ。
「東の旅発端」 世紀末亭
時間がない方は6分25秒からどうぞ。
音声だけですが… ツ・ポポ・ポン!
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
ええ道やねぇ
ほんま なかなか風情のあるええ道やねぇ この方面は行ったことがなくて 奈良へと続く街道が通っているのも知りませんでした
昔 住所に今里とつくところで 遊郭跡のような街を見たことが有りますが あの街の建物は残っているかしら
( 2011年08月21日 09:09 [Edit] )
catpeanuts | URL | -
はじめまして、おじゃまします。
楽しいブログが見つかりました。私(関東)も地図を見ながら、通りを歩くのが好きです。特に歴史を振り返りながら。古い地図や文献などを読み込んでのブログ尊敬します。1年前の上町台地アースダイビングの地図の使い方。素晴らしいです。私は長年各時代の地質地図も含めて、年代別に重ねられる地図本を探しています。これは、新之助さんのホームメイドですよね?出版されているものをご存知ですか?
また、ホテルプラザの解体のニュース。知りませんでした。去年12月梅田に行った時、プラザがそのままで残っているのを見ました。私は、閉館直前まで同ホテルか、または、(やはり今はありませんが)グランドホテルのどちらかに出張時は、泊まりました。プラザホテルは古かったですが、好きでした。私が泊まる部屋はシングルで小さかったのですが、浴室が大きく、壁や床はタイルで、タブはホーローでした。今よくみられるビジネスホテルのプラスチックのユニットスタイルではなかったのです。
これからも同ブログ楽しみです。
( 2011年08月21日 15:41 )
M田 | URL | Ef5G3OlI
はじまして いつも楽しみに拝見しています
はじめまして。 いつも楽しく拝見しています。今日は八王子神社御旅所の楠を見てきました。今まで行ったことが有った筈なのに大きな楠は気がつきませんでした。今日改めてみると大きく大変立派でびっくりしました。大阪の古い街道は大好きで暗がり奈良街道も幾度となく通っています。今日も暗がり奈良街道を通ると矢田地蔵の準備をされていました。これからも楽しみに拝見いたします。
( 2011年08月21日 20:34 [Edit] )
びんみん | URL | j549y3BY
街道と巨樹
こんばんは。
街道の目印に巨樹があって、というのもいい風景ですね。
暗越奈良街道は部分的(このあたり)しか歩いたことがなくて、一度じっくり歩いてみたい街道の一つです。
京街道の記事の方が先ですね。期待しています。
( 2011年08月21日 23:27 [Edit] )
jack77betty | URL | -
>久(く)はんぜおん(←どこやろ?)
観音信仰は本当に盛んだったようで、その土地土地で固有名詞なしで通る観音様がたくさんおられたようです。大阪市内南部ではあびこの観音さんが有名ですが、ちょっと方向が違うようで、この場合は西国33ヶ所第5番の「葛井寺」だと思います。
( 2011年08月22日 21:22 )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
今里は初めて歩いた町でした。
今回今里新地の方は歩きませんでしたが
近鉄今里駅の南側になります。
今でも独特の雰囲気があります。
それもまた大阪の文化かもしれませんね。
catpeanutsさん
はじめまして。
お褒めありがとうございます♪
さて、年代別に重ねた地図の件ですが
大阪でいうと私が知る限りひとつしかありません。
柏書房の「明治前期・昭和前期 大阪都市地図」です。
だだし2万円と高額です。
サイズも大きくて不便です ^ ^;
ただし、国土地理院でも手に入らない
貴重な地図も掲載されているので私は重宝しております。
ちなみに古本屋で半額でゲットしました!
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-351.html
M田さん
うっかりしてまして
家に帰ってから矢田地蔵の事を知りました。
帰りに近くを通っていたのにちょっと後悔…
また近くに行ったときに写真を撮っておこうと思っています。
びんみんさん
先日あそこの建物の扉をアップされていましたね。
あっ!ってすぐ分かりました ^ ^
京街道、早く歩きに行きたいのですが
まだまだ暑そう…
jack77bettyさん
!!!
そうか!
観世音ですね。
すっきりしました。
葛井寺ですか。
なるほど、そうかもしれませんね。
どうもありがとうございます ^ ^
( 2011年08月26日 21:35 [Edit] )
なあ | URL | -
初めまして。
お邪魔します。
「伊勢本街道」を探していてこちらへたどりつきますと
懐かしい風景に出会いました。
「 大今里・熊野大神宮と妙法寺」「暗峠奈良街道」
拝読させて頂き、フォトに涙してしまいました。
ホンマに懐かしすぎてうれし泣きです。
色んなところを歩かれているんですね。
またこちらへ来させていただきます。
( 2011年09月20日 12:01 )
新之介 | URL | sDz630us
なあさん
ありがとうございます!
「伊勢本街道」ですか。いいですね。
いつかは歩いてみたい街道です。
僕のブログの最終目標かもしれないな…^^
( 2011年09月25日 21:51 [Edit] )
しんじ | URL | SDMp9c1c
なつかしいです
ラウンドアバウト採用、今里ロータリーで大今里を思い出しました。奈良街道 熊野神社や妙法寺の三角ベース野球。 楠神社でかくれんぼ。コンクリートの防火用水槽。 自転車が乗れるようになると大阪城へ。城東区のガスタンク。布施まで続く商店街。瞼に焼き付いています。
今59歳大今里を離れて38年 懐かしい写真ありがとうございました。
( 2014年09月03日 06:27 [Edit] )
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