2011年06月13日 08:00
西国街道を歩く(30)
鉄道近代化遺産のトンネル群
鉄道建設は明治維新後の文明開化の象徴でした。
日本で初めて鉄道が開通したのは、明治5年の新橋ー横浜間です。
関西では明治7年に大阪ー神戸間が開業、
明治9年7月には大阪ー向日町間、
明治9年9月には向日町ー京都間が開業、
明治22年には東京ー神戸間が全面開通しました。
「鉄道は夢をつなぐ(大山崎町歴史資料館)」より

大正初年頃の向日市を走る機関車です。
大阪ー京都間は関西の鉄道黎明期の近代化遺産が数多く残る場所。特に梶原地域はそれらがたくさん確認できる。

明治21,22年測量の地図に近代化遺産の場所をプロットしました。
全て煉瓦造りのトンネルでそのほとんどが排水路として築かれたものらしく、現在もほとんどの水路は暗渠として残っている。鉄道の北側は山で南側は水田、水路が多い地域なのでそれを通すトンネルもたくさん作られたのでしょう。明治9年から数えると今年で135年、まだまだ現役で頑張っています。
※煉瓦造りの構造物は拱渠、暗渠、溝渠などいろんな呼び方があるようですが、子供にもわかりやすいようにトンネルで統一しています。
( a ) 藪ヶ花

(a)(b)(c)は以前も紹介した場所ですがおさらい。
ここは西国街道が鉄道の下をくぐる場所。
『西国街道を歩く(28)神内と鉄道近代化遺産』 2011.06.06

今の時代には狭いが、煉瓦と石で頑丈にできている。
( b ) 神森

神森橋梁。
神南備(かんなび)の森を縮めて神森なのかも。
旧地図を見ると旧上牧村と繋がる旧道だったようですね。
( c ) 山端

上の神森と違って側面の斜面も煉瓦で出来ている。
( d ) 甚兵衛川

甚兵衛川橋梁。

周辺の風景です。
山沿いに民家が集まっていますがそこが西国街道。

トンネルの中です。
途中に煉瓦とコンクリートの境目がある。
この境目は昭和30年頃に複々線化で拡張したときの物でしょう。

反対側です。

ここの斜面も煉瓦でしっかり作られている。

手書きの文字がいいです。
( f ) 池田

池田橋梁。

かすかに池田の文字がわかる。

トンネル内部。

反対側です。

後で気付いたのですが途中にもうひとつトンネルがあったようです。
それと、このトンネル群は阪急電車からもよく見えます。
実はずっと以前から気になっていて、いつか見に行きたいと思っていたのだ。
( g ) 下

ここは桁下が低そう。

下橋梁です。

トンネル内部。

反対側です。
( h ) 奥田

ここも桁下が低い。

トンネル内部。

ん?

おお~っ!
ここは ねじりまんぽ だ!

反対側です。

「ねじりまんぽ」とは煉瓦をねじるように積んだタイプ。

これは線路に対してトンネルが直角ではなく、斜めにくぐる際、力の伝わる角度に応じて煉瓦を積んだもので、当時の技法のひとつです。

微妙な角度の違いがこの端っこの煉瓦を見てもわかる。
これはかなり高度な技術で、外国人技師の指導によるものだとか。
近くの円明寺にもありましたが、2つとも明治9年の鉄道開業時に出来ていたと考えられるので日本最古に近いねじりまんぽだと思います。すごい。
(関連記事)
『西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ』 2011.04.28
( j ) 磯野

さて、ここは梶原の隣、萩之庄。

ここにもトンネルがある。

磯野橋梁です。

トンネル内部。

ここは煉瓦がまっすぐです。

反対側です。
今回はかなりマニアックな記事になってしまいましたが、
これらは鉄道近代化遺産、建築物と違って簡単に解体できないので
おそらくまだまだ何十年も残っていくでしょう。
それにしても、この時代のものは頑丈にできてますよね。
重要文化財になったりしないんですかね。
より大きな地図で 新之介の西国街道マップ2 を表示
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
(武庫川~宿川原間の記事はこちらから)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
ポチッと、応援よろしく♪
鉄道近代化遺産のトンネル群
鉄道建設は明治維新後の文明開化の象徴でした。
日本で初めて鉄道が開通したのは、明治5年の新橋ー横浜間です。
関西では明治7年に大阪ー神戸間が開業、
明治9年7月には大阪ー向日町間、
明治9年9月には向日町ー京都間が開業、
明治22年には東京ー神戸間が全面開通しました。
「鉄道は夢をつなぐ(大山崎町歴史資料館)」より

大正初年頃の向日市を走る機関車です。
大阪ー京都間は関西の鉄道黎明期の近代化遺産が数多く残る場所。特に梶原地域はそれらがたくさん確認できる。

明治21,22年測量の地図に近代化遺産の場所をプロットしました。
全て煉瓦造りのトンネルでそのほとんどが排水路として築かれたものらしく、現在もほとんどの水路は暗渠として残っている。鉄道の北側は山で南側は水田、水路が多い地域なのでそれを通すトンネルもたくさん作られたのでしょう。明治9年から数えると今年で135年、まだまだ現役で頑張っています。
※煉瓦造りの構造物は拱渠、暗渠、溝渠などいろんな呼び方があるようですが、子供にもわかりやすいようにトンネルで統一しています。
( a ) 藪ヶ花

(a)(b)(c)は以前も紹介した場所ですがおさらい。
ここは西国街道が鉄道の下をくぐる場所。
『西国街道を歩く(28)神内と鉄道近代化遺産』 2011.06.06

今の時代には狭いが、煉瓦と石で頑丈にできている。
( b ) 神森

神森橋梁。
神南備(かんなび)の森を縮めて神森なのかも。
旧地図を見ると旧上牧村と繋がる旧道だったようですね。
( c ) 山端

上の神森と違って側面の斜面も煉瓦で出来ている。
( d ) 甚兵衛川

甚兵衛川橋梁。

周辺の風景です。
山沿いに民家が集まっていますがそこが西国街道。

トンネルの中です。
途中に煉瓦とコンクリートの境目がある。
この境目は昭和30年頃に複々線化で拡張したときの物でしょう。

反対側です。

ここの斜面も煉瓦でしっかり作られている。

手書きの文字がいいです。
( f ) 池田

池田橋梁。

かすかに池田の文字がわかる。

トンネル内部。

反対側です。

後で気付いたのですが途中にもうひとつトンネルがあったようです。
それと、このトンネル群は阪急電車からもよく見えます。
実はずっと以前から気になっていて、いつか見に行きたいと思っていたのだ。
( g ) 下

ここは桁下が低そう。

下橋梁です。

トンネル内部。

反対側です。
( h ) 奥田

ここも桁下が低い。

トンネル内部。

ん?

おお~っ!
ここは ねじりまんぽ だ!

反対側です。

「ねじりまんぽ」とは煉瓦をねじるように積んだタイプ。

これは線路に対してトンネルが直角ではなく、斜めにくぐる際、力の伝わる角度に応じて煉瓦を積んだもので、当時の技法のひとつです。

微妙な角度の違いがこの端っこの煉瓦を見てもわかる。
これはかなり高度な技術で、外国人技師の指導によるものだとか。
近くの円明寺にもありましたが、2つとも明治9年の鉄道開業時に出来ていたと考えられるので日本最古に近いねじりまんぽだと思います。すごい。
(関連記事)
『西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ』 2011.04.28
( j ) 磯野

さて、ここは梶原の隣、萩之庄。

ここにもトンネルがある。

磯野橋梁です。

トンネル内部。

ここは煉瓦がまっすぐです。

反対側です。
今回はかなりマニアックな記事になってしまいましたが、
これらは鉄道近代化遺産、建築物と違って簡単に解体できないので
おそらくまだまだ何十年も残っていくでしょう。
それにしても、この時代のものは頑丈にできてますよね。
重要文化財になったりしないんですかね。
より大きな地図で 新之介の西国街道マップ2 を表示
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
(武庫川~宿川原間の記事はこちらから)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
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コメント
kotaro | URL | 8nGiSIKA
煉瓦の鉄道アーチ橋
いつ頃作られたのかというと、殆どが明治時代。
いまでも現役が多く、構造物として無理の無い
ものであったと土木工学的に、再確認します。
20年くらいに前にロンドンの鉄道施設で残っている
古い物は1世紀半経っていると聞き感心しました。
東京駅の近くにも煉瓦構築物は見られますから
150年は持つものなのでしょう。
関西では、長岡京駅の向日町側、馬場地区の
6連アーチが有名です。
あとは甲子園口駅の立花側、武庫川の横の
堀川に架かる煉瓦アーチが知られています。
どちらも下を車が一方通行で隣同士のアーチ下を
くぐるような交通形態になっているのが面白いです。
( 2011年06月18日 15:21 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
改めて当時の土木工学の技術力の高さに感心してしまいます。
問題はこれらの耐久年数ですよね。
素人的には、まだまだ行けそうな気もするのですが
あと100年とかどうなんでしょう。
やはりどこかで全て改修しないといけないんでしょうね。
( 2011年06月28日 00:56 [Edit] )
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