2011年05月08日 09:00
西国街道を歩く(23)
大山崎山荘と宝寺と大念寺と天王山の自然

JR山崎駅の横にある宝寺踏切。
西国街道からは外れてこれを渡ります。

ここからが天王山の登り口。

ここを登れば大黒天宝寺、
右に行けば山崎聖天さんです。

この場所に江戸時代の絵図があった。
山崎通分間延絵図というものらしい。

昔の山崎聖天(観音寺)や宝寺(宝積寺)が描かれていて
見ていて飽きない。
さて、

まずは有名な大山崎山荘に向かいます。

このアーチ、入り口側は「大山崎山荘」、
反対側は「天王山悠遊」となっている。

アーチから山荘までのアプローチの途中にきれいな枝垂れ桜。

そして門が見えてきた。

その奥に大山崎山荘がある。
実はこの山荘、バブル期に取り壊されて
この土地にマンションが建設される計画がありました。

しかし、地元住民から反対運動が起こり、
京都府から保存の協力依頼を受けたアサヒビールがこの山荘を買い上げ、
アサヒビール大山崎山荘美術館として蘇らせたのです。

当時はニュースでも取り上げられていたのでよく覚えています。
マンションにならなくて本当によかった。

元々この建物は、実業家加賀正太郎氏が自らの山荘として設計し、
大正7年(1917)に建てたもので、昭和初期に増築されたています。

増築された部分も素敵です。

中庭からの見上げた山荘のシルエットも素晴らしい。
さて、

宝寺に向かう途中に長い石段が現れます。

浄土宗大念寺、弘治元年(1555)開山の寺です。

静かで風が気持ちいい場所でした。

こちらも幕末の禁門の変(1864)の兵火で焼失し、
明治12年に復興したのだそうです。
さらに、

ゆるい長い坂を登って行くと石段が現れます。

それを登ると現れるのが宝積寺(ほうしゃくじ)の仁王門

金剛力士像の阿形と

吽形。鎌倉時代のもので重要文化財です。

この宝積寺、通称を宝寺といい、そちらの方が一般的のようです。
由緒ある打出と小槌が祀られているめでたい寺です。

仁王門からまっすぐに参道が続く。

その右手に現れた三重塔。

こちらも重要文化財です。

桃山時代のものらしい。

こちらが本堂です。
ご本尊は鎌倉時代の十一面観世音菩薩立像でこちらも重要文化財。
しかし、本堂が白蟻の被害を受けて早急の改修工事が必要なんだとか。

本堂の向こうにちらっと見えるのが小槌宮。
大黒天と打出と小槌が祀られている。

本殿の右手の閻魔堂の中にも
重要文化財の閻魔王坐像が祀られている。
宝積寺はまさに宝の寺である。

本堂前につまずいてしまいそうな石があった。
そこには「秀吉之出世石」とある。
この寺は天正10年(1582)、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いで
秀吉の本陣が置かれた場所だそうで、この石に腰掛けたのだとか。

「十七士埋骨地 是ヨリ七丁」
幕末の禁門の変(1864)で幕府軍に破れた真木和泉らが天王山で自害、
その十七烈士が眠る墓が天王山の中腹にあります。
より大きな地図で 新之介の西国街道マップ2 を表示
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
(武庫川~宿川原間の記事はこちらから)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
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大山崎山荘と宝寺と大念寺と天王山の自然

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西国街道からは外れてこれを渡ります。

ここからが天王山の登り口。

ここを登れば大黒天宝寺、
右に行けば山崎聖天さんです。

この場所に江戸時代の絵図があった。
山崎通分間延絵図というものらしい。

昔の山崎聖天(観音寺)や宝寺(宝積寺)が描かれていて
見ていて飽きない。
さて、

まずは有名な大山崎山荘に向かいます。

このアーチ、入り口側は「大山崎山荘」、
反対側は「天王山悠遊」となっている。

アーチから山荘までのアプローチの途中にきれいな枝垂れ桜。

そして門が見えてきた。

その奥に大山崎山荘がある。
実はこの山荘、バブル期に取り壊されて
この土地にマンションが建設される計画がありました。

しかし、地元住民から反対運動が起こり、
京都府から保存の協力依頼を受けたアサヒビールがこの山荘を買い上げ、
アサヒビール大山崎山荘美術館として蘇らせたのです。

当時はニュースでも取り上げられていたのでよく覚えています。
マンションにならなくて本当によかった。

元々この建物は、実業家加賀正太郎氏が自らの山荘として設計し、
大正7年(1917)に建てたもので、昭和初期に増築されたています。

増築された部分も素敵です。

中庭からの見上げた山荘のシルエットも素晴らしい。
さて、

宝寺に向かう途中に長い石段が現れます。

浄土宗大念寺、弘治元年(1555)開山の寺です。

静かで風が気持ちいい場所でした。

こちらも幕末の禁門の変(1864)の兵火で焼失し、
明治12年に復興したのだそうです。
さらに、

ゆるい長い坂を登って行くと石段が現れます。

それを登ると現れるのが宝積寺(ほうしゃくじ)の仁王門

金剛力士像の阿形と

吽形。鎌倉時代のもので重要文化財です。

この宝積寺、通称を宝寺といい、そちらの方が一般的のようです。
由緒ある打出と小槌が祀られているめでたい寺です。

仁王門からまっすぐに参道が続く。

その右手に現れた三重塔。

こちらも重要文化財です。

桃山時代のものらしい。

こちらが本堂です。
ご本尊は鎌倉時代の十一面観世音菩薩立像でこちらも重要文化財。
しかし、本堂が白蟻の被害を受けて早急の改修工事が必要なんだとか。

本堂の向こうにちらっと見えるのが小槌宮。
大黒天と打出と小槌が祀られている。

本殿の右手の閻魔堂の中にも
重要文化財の閻魔王坐像が祀られている。
宝積寺はまさに宝の寺である。

本堂前につまずいてしまいそうな石があった。
そこには「秀吉之出世石」とある。
この寺は天正10年(1582)、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いで
秀吉の本陣が置かれた場所だそうで、この石に腰掛けたのだとか。

「十七士埋骨地 是ヨリ七丁」
幕末の禁門の変(1864)で幕府軍に破れた真木和泉らが天王山で自害、
その十七烈士が眠る墓が天王山の中腹にあります。
より大きな地図で 新之介の西国街道マップ2 を表示
(長岡京~高槻)
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19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
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30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
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6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
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16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
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コメント
kotaro | URL | 8nGiSIKA
禁門の変
前回から気になりつつも、山崎の地形をにらんで屯所が
置かれていたことに、初めて気が付きました。
長岡京に3年住んだのですが、その前に山崎が気に入り
何度か足を運んで、住めそうな家を探したこともあります。
先祖が長州藩士で、関わりがあったようなふしもあります。
今思えば、こういうのを何かの巡り合わせと言うのでしょうね。
( 2011年05月10日 06:46 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
私も長岡京に住むときに大山崎地域も検討しました。
結局いい物件がなかったので諦めましたが
昔からなぜか気になる地域でした。
理由はわからないのですがなぜか惹かれる。
何なんでしょう。
( 2011年05月11日 02:00 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
私の場合は
学生時代から延べ8年住んだ京都生活の終わりの時期です。
後半の4年間は、社会人生活でした。
京都支局と最後の方は月に何度か大阪本社に
出向くのに、両方に行きやすい地形の場所を探しました。
京都は独特の町で、市内の濃い空気から逃げ出したかったことも
ひとつあります。
さりとて、大阪の住宅密集地に埋没するのは、自動車を持っていたので
避けたかったというのも、本心でした。
狭い道の運転に気を遣い、気が休まらないのではないかと思いました。
長岡京時代のお出かけコースは、圧倒的に物集女街道経由、樫原から
亀岡へのドライブ。またポンポン山の中を抜けて、山中を越えて丹波から
帰ったこともあります。
京と浪速の境部は、丹波方面、また八幡に出て田辺や木津、奈良や伊賀への
遠い道のりも楽しい。
おそらく古の駒使いたちも、道しるべ頼りに遠い旅路を楽しんだのでは
ないでしょうか。
今も一番好きな道である、池田、川西からの摂丹街道を覚えたのもこの頃
です。
そうそう、私は中学2年からの国土地理院ファンです。
未だに購入する地図の大半は、本屋で、引き出しから見て買っています。
摂津、丹波あたり、25年から30年の地勢の変化を見るのも、自分の
航跡を見る様に、新旧地図を見比べています。
( 2011年05月11日 05:58 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
なるほど、私もよくドライブをしていたので同じような道路を通っていました。特に物集女街道はよく通っていました。鮎釣りの季節は亀岡経由で周山や美山へ毎週のように行っていました。一番車に乗っていた時代かもしれません。当時はパジェロに乗っていましたが、山道は黒鉛をよくはいていました。いい車で好きだったんですけどね。
( 2011年05月18日 00:09 [Edit] )
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