2007年11月11日 07:00
十三あん焼と十三焼餅
十三の渡があった頃、中津川の北岸と南岸の両側で「十三あん焼」と「十三焼餅」が名物を競い合っていました。この地は街道の要衝にあたることから、十三の渡を待つ人々が、茶店に腰をかけ渋茶をすすりながら互いの名物に舌鼓をうっていたのです。
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『摂津名所図会大成』には「往還の旅人間断なし、名物として焼餅を売る家多し」とあり、十三の渡の両岸に多くの焼餅の店があったようです。当時、北岸よりも南岸の方が村は栄えていたので、南岸に数件の茶屋があって、焼餅を出していたのではないかと思われます。
「十三あん焼き」は享保12年(1727)隣郷今里の百姓久兵衛が中津川の北岸に茶店を始め、名物となりました。現在も十三大橋の北詰に店舗があり、「十三焼き」として人気があります。
「十三焼餅」についての記録はほとんど残っていません。唯一、中津町史に「大黒屋」が店を閉めていたが、再び十三橋の南詰で店舗を設けているとあります。ただし、中津町史の発行が大正14年と思われるので、少なくともその頃には新淀川の両岸で再び「十三あん焼き」と「十三焼餅」が売られていたようです。

十三あん焼の今里屋久兵衛。十三橋北詰め

十三焼餅の大黒屋。十三橋南詰め

十三の渡。今里屋久兵衛の焼餅を食べてこの渡しに乗っているのかもしれませんね。

中津川に架かる十三橋。この橋が出来て渡しがなくなりました。まだ新淀川は出来ていない時代です。手前が南詰めです。

十三橋南詰め。焼餅の店がいくつもあったようです。淀川改修工事でこの町はなくなりました。
(追記)

中津の富島神社に「十三焼餅」の大黒屋の玉垣を見つけました。
(関連記事)
『今里屋久兵衛の十三焼』
『さよなら今里屋久兵衛旧本店』
『さよなら今里屋久兵衛』
『十三あん焼と十三焼餅』
『「十三焼」食わずして十三を語るなかれ』
『十三大橋の渡り初め』
『元の十三の場所』
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十三の渡があった頃、中津川の北岸と南岸の両側で「十三あん焼」と「十三焼餅」が名物を競い合っていました。この地は街道の要衝にあたることから、十三の渡を待つ人々が、茶店に腰をかけ渋茶をすすりながら互いの名物に舌鼓をうっていたのです。
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『摂津名所図会大成』には「往還の旅人間断なし、名物として焼餅を売る家多し」とあり、十三の渡の両岸に多くの焼餅の店があったようです。当時、北岸よりも南岸の方が村は栄えていたので、南岸に数件の茶屋があって、焼餅を出していたのではないかと思われます。
「十三あん焼き」は享保12年(1727)隣郷今里の百姓久兵衛が中津川の北岸に茶店を始め、名物となりました。現在も十三大橋の北詰に店舗があり、「十三焼き」として人気があります。
「十三焼餅」についての記録はほとんど残っていません。唯一、中津町史に「大黒屋」が店を閉めていたが、再び十三橋の南詰で店舗を設けているとあります。ただし、中津町史の発行が大正14年と思われるので、少なくともその頃には新淀川の両岸で再び「十三あん焼き」と「十三焼餅」が売られていたようです。

十三あん焼の今里屋久兵衛。十三橋北詰め

十三焼餅の大黒屋。十三橋南詰め

十三の渡。今里屋久兵衛の焼餅を食べてこの渡しに乗っているのかもしれませんね。

中津川に架かる十三橋。この橋が出来て渡しがなくなりました。まだ新淀川は出来ていない時代です。手前が南詰めです。

十三橋南詰め。焼餅の店がいくつもあったようです。淀川改修工事でこの町はなくなりました。
(追記)

中津の富島神社に「十三焼餅」の大黒屋の玉垣を見つけました。
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コメント
西岡邦夫 | URL | -
十三焼きの思い出
十三大橋北詰の今里屋の昔の写真を見て、本当に懐かしい昔が目の前に現れました。昭和一桁の時代、十三に住んでいた私は、父に連れられ淀川に蜆とりに良く行きました。その帰りに必ず今里屋のこのお店に寄り、店先の床机に腰をかけて十三焼を食べるのが定番でした。先日60年ぶりくらいに昔の今里屋のところに新しくなった今里屋を訪れ、十三焼をよばれました。畳かまちに腰をかけてでしたが、昔の床机の頃の広さはありませんが、十三焼は昔と全く変わらない白と蓬の緑の2種類で味も子供の頃を思い出させました。今は阪急十三駅西口の真向かいにお店を出していますが、やはり昔の今里屋の位置のお店を訪れて欲しいとおもいますが、付近の景観が全く近代化しており、昔を知る人間の郷愁かも知れません。
( 2007年11月11日 10:21 )
新之介 | URL | -
昔の今里屋
私は昔の今里屋を知らないのですが、十三焼きを買うときは本店に行きます。
景観は変わってしまいましたが、昔の十三の情景を思い浮かべながら食すのが、もっとも贅沢な十三焼きの楽しみ方ではないでしょうか。店内の畳かまちで店の方とお話をしながら十三焼きを食べてる西岡さんが、一番十三焼きの楽しみ方を知っておられるのだと思います。
( 2007年11月11日 22:31 )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
今里屋
昭和30年代 今里屋の近くに味噌屋さんが あったように思います
バスの窓から見ていました
十三焼き 私は駅のところでおばあちゃんが焼いているのをよく見ていました
( 2007年11月11日 23:38 [Edit] )
increscentmoon | URL | -
Re:十三焼餅
>十三の渡があった頃、中津川の北岸と南岸の両側で「十三あん焼」と「十三焼餅」が名物を競い合っていました。
>十三橋南詰め。焼餅の店がいくつもあったようです。淀川改修工事でこの町はなくなりました(新之介さん)
子供の頃阪急沿線に住んでいましたが「十三の焼餅」というのは聞いた事がありませんでした。
「十三やきもち」という名前を目にしたのはもっと別の場所、大阪のとなり生駒山宝山寺の玄関口に当ります生駒駅近くのお店でのことでした。
名前は「十三やきもち(ひらがな)侘助」です。由来によりますと淀川改修工事により立ち退き移転してきたとのことでしたので、その時は「十三の焼餅」というのが丸ごと移ってきたのだと思っていました。
そのあと十三に「十三焼餅」の店が残っている(実際はあん焼の店だった訳ですが)ということを聞き、今度は丸ごと移転ではなく「暖簾分けだったのか。」と考えました。
最近になって新之介さんのブログを知り、記事をよく読んで、十三橋南詰にあったお店の一つが生駒に新天地を求めたと言う事がわかりました。
お店の名前を「十三やきもち」としておられるのも、「南詰」にお店があったという出自をはっきり残したい(もっと言えば「あん焼と違うよ。」)というお気持ちだったのだと納得しました。
その「侘助」さんも今では移転して既に90年、奈良県や近鉄沿線の住民は、生駒宝山寺の名物といえば「十三やきもち」を思い浮べるほどすっかりご当地に定着しています。
付け加えますと、最初にも書きましたように子供の頃「十三の焼餅」というのは、聞いた事がありませんでしたが、清荒神や宝塚に行ったときは「焼餅」をお土産に買って帰ってよく食べました。
新之介さんの記事によれば、「その頃(大正時代)南詰にお店がいくつもあった」ということは、言い換えますと移転もしくは廃業を余儀なくされた店が他にもあったということですから、ひょっとしたらこれらの焼餅屋さんも、(「十三やきもち」を名乗りこそしなかったものの)「侘助」さんとおなじくルーツは十三橋南詰にあるのかもしれないなどと推理を逞しくしてみました(笑)。
( 2008年06月03日 18:53 )
新之介 | URL | -
十三やきもち侘助
increscentmoonさん
十三やきもち侘助さんはこの記事を書いた後にネットで知りました。侘助さんのやきもちも今里屋さんのとそっくりですね。昔の人達に喜ばれた味とカタチが今も十三と生駒に残っているのは本当にうれしいかぎりです。生駒に行ったときに買おうと思っていました。
TOSSYさん
ごめんなさい。11月にコメントをいただいて、書こうと思いながら忘れてしまったようです。今は駅前は息子さんが焼かれていますね。おばあちゃんからすると孫にあたるのでしょうか。以前本店に買いに行ったときは明るいお母さんが対応してくれました。
( 2008年06月04日 14:22 )
increscentmoon | URL | -
次のローカル
新之介さん、こんばんは。お返事有難うございました。
>十三やきもち侘助さんはこの記事を書いた後にネットで知りました(新之介さん)
まったくの逆コースで「十三やきもち」から検索して新之介さんのブログに辿りつきました(笑)。
>侘助さんのやきもちも今里屋さんのとそっくりですね。(新之介さん)
私の最初の印象は「子供の時食べた清荒神の焼餅とそっくり。」でした。新之介さんは清荒神の焼餅は御存知ありませんか。「こやき」といっている様ですが。
今里屋さんの焼餅も写真で見た外見、焼くのだけれども冷めてから提供するというコンセプト、侘助さんと同じです。ただ商品名が違っているだけですね。
話かわって、
>そんなローカル情報こそ価値があるんじゃないかなぁと思っています。十三や塚本だけでなく、その他の地域にも興味があるんです。福島とか海老江とか…。(新之介さん)
お気持ちよくわかります。これからも応援しています。どうぞ頑張ってください。次は福島、海老江ですか。
このコメントをお聞きする前は、塚本、中津と来たからには、次はきっと同じく十三お隣の三国に違いないと勝手に思っていました(笑)。(実際は私の予想は見事に外れて梅田へ飛んでしまわれた訳ですが。)
さてその三国駅前の商店街も昭和レトロの雰囲気が残っていますね。いづれお採り上げになるんではなかろうかとの予想は継続です(笑)。
>十三の渡があった頃、中津川の北岸と南岸の両側で「十三あん焼」と「十三焼餅」が名物を競い合っていました。(新之介さん)
とっくにご承知でしょうが、三国川にも三国橋がかかるまでは三国の渡しがありました。その昔十三南北岸では焼餅が競い合っていたようですが、この三国もその「十三焼餅」にライバル心を燃やして「あんころ餅」で対抗していたようです。
露の五郎さんの著書「なにわ橋づくし」に、「十三の焼餅に三国のあんころ」といわれていたと書かれています。
( 2008年06月04日 19:29 )
新之介 | URL | u6i4c2k.
三国
increscentmoonさん
清荒神の焼餅は知りませんでした。近くに行った時は買ってみたいと思います。
梅田に出たのはアクセス数が増えないからです(笑)。ローカルな内容ばかりだと、地元の人達にも気付かれません。今回、たくさんの人に見ていただいたことによって、地元の人も少し増えたのではないかと思っています。ただ、梅田にはまってしまいました。どんどん知りたいことが増えてきて困っています。
「なにわ橋づくし」は読んだことがありますが、興味のある所しか読んでいませんでした。「三国のあんころ」も知らないです。三国をほとんど知らないのだと思います。「三国駅」はaikoの歌で有名になったので、若い人達にこのブログを見てもらうきっかけとしては面白そうですね。商店街の昭和レトロの雰囲気は今のうちに見ておかないと無くなっちゃうかもしれませんし。
福島、海老江に興味があるのは単純で、塚本も同じ鷺洲町だったからです。淀川が出来るまでは隣村だったわけです。ただ、面白い記事にするのは難しそうです…(笑)。
( 2008年06月05日 01:04 [Edit] )
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( 2008年06月13日 09:44 )
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( 2009年02月11日 01:22 )
increscentmoon | URL | -
旅亭十三屋
先日、信貴山に登って来ました。ここの門前町には「旅亭十三屋」という新装の綺麗な国際観光旅館があります。
以前は昔からの古い旅館という感じの建物でした。名前も普通に「十三屋旅館」だったばずです。
こちらもルーツは十三なのだろうか、あるいは生駒の侘助さんと関係があるのだろうかと古い建物の時から頭を悩ませてました(笑)。
( 2009年03月28日 12:50 )
新之介 | URL | sDz630us
increscentmoonさん
「旅亭十三屋」をホームページでみました。
しっとりと落ち着いた料亭ですね。
http://www.jyusouya.jp/
読み方も「じゅうそうや」ですね。
信貴生駒スカイラインに「十三峠」という
有名なスポットがありますがそこに近いので
関係があるのかな?
でもちちらは「じゅうさんとうげ」ですね。
( 2009年03月29日 22:18 [Edit] )
wac89 | URL | ZK/TaodE
十三やき餅大黒屋
私は昭和13年大阪市大淀区中津浜通りで生まれました
私の祖父黒田熊吉は十三の出自で十三橋南詰で十三やきもちの店を営業していました
私も4,5歳の頃は店でよく遊んでいた記憶があります 小さいときの記憶ですのではっきりしませんがその店が写真の大黒屋ではなかったかと思います 昭和19年に中津国民学校(小学校)に入学し疎開のためその年の秋までしか在学していませんが
店のたたずまいが古い記憶とよく似ているのです なんだかとても懐かしく思ったものですからコメントさせてもらいました
( 2012年02月05日 21:53 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
wac89さん
わ~!そうですか!
大黒屋さんの関係者の方からコメントをいただけるとはうれしいです。
もっと資料が出てくるといいのですが、なかなか見つけられていません。
ただ、きっとどこかに十三焼餅の記録や写真が残っているのではと思っています。
これからも埋もれた記録の発掘をしていくつもりです。
( 2012年02月08日 01:24 [Edit] )
jack77betty | URL | -
wikipediaの「十三やきもち」
wikipedia、インターネット百科事典として認知度が高いですが、「十三」の項目にあります「十三やきもち」の内容はまったくの誤り(混同に加えて事実誤認)です。みなさん、うっかり信用して他所に引用などされることのありませんように。「十三やきもち」については新之介さんのこのブログの一連のシリーズをを参照されるのが一番だと思います。
( 2013年01月29日 08:04 )
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