2011年05月11日 08:00
プチスクープ!
ここは清風学園発祥の地?
最初の設立校・大阪電気学校の校舎が
西淀川区に残っていた!

私立の名門・清風学園。
設立母体は大阪電気学校堺分校(昭和12年開校)です。

しかし最初の設立校は大阪電気学校(昭和7年7月設立)となっており、
創立者の平岡宕峯氏が初代校長に赴任していたようです。(Wikipediaより)
その大阪電気学校があった場所を調べてみました。
「大阪市学事要覧 昭和15・16年度」を見ると、
位置が【西淀川区塚本町761】となっている。
入学資格は尋常小学校以上で、電気科と機械科があり
生徒数は約8~900名もいたようです。

昭和16年の地図です。
中心にあるのが現在のJR塚本駅。

◯の印をつけた場所が【西淀川区塚本町761】です。

現在の地図を重ねてみると、

ちょうどこの辺り。

実はその場所に現在も木造の建物が残っているのです。

こちらがその建物がある印刷会社。
そして正面に見えるのがその建物です。
両サイドの建物はおそらく増築したものではないかと思われます。

建物の端の方には当時の木造校舎の面影を残す外壁が確認できる。
いったい中はどのようになっているのだろう?
わくわくしながら中を見学させていただきました。

正面入り口に階段がありました。

親柱もシンプルで学校っぽい。

階段右側の空間です。
廊下の跡と、その左奥は教室だった場所だと思われます。

足下の木には廊下扉があった溝も確認できる。

階段を上ってみましょう。学校の階段って感じがする。

2階に上ってビックリ。
天上には電気の古い配線が残っている。
古い線には電気は流れていないそうですが歴史を感じます。

床もいいです。

お~っ!
ええ感じの廊下。

天上板はおそらく当時のままではないでしょうか。
補強された部分は後で行われたのだろうか。

こちらの教室は活版印刷の資料が展示されていました。
それについてはまた後日記事にする予定。

廊下と教室の間にある壁もいいです。

手前の部屋は教室ではなく畳敷きでした。
後で作った部屋なのでしょうか。

で、廊下の突き当たりの部屋に入って驚いた。
なんだ!ここは!

床もいい。

このテーブルは折りたたみ式になっている。
おそらく音楽室ではないかということです。
ここはいい!

さて、外階段を下りていきます。

ガラスは当時のままっぽい。
左上の窓ガラスが均一のサイズでないですね。

外壁に塗られているペンキはいつの時代のものだろう。

この洗面所も当時のものでしょうか。
今は屋根があるけど昔は屋外だったのかもしれないな。

裏側も見てみましょう。

窓はサッシに変わっていますが、外壁は茶色いまま。
補強している部分は後年のものだと思います。

古い外灯もそのまま残ってる。

L字型の金具も当時のものでしょうか。
大阪市内に戦前の木造校舎がいまだに
残っているなんて奇跡に近いと思いました。
さらに驚くことに、
当時のことをご存知の方がいらっしゃいました。
その方はなんとこの会社(寿印刷株式会社)の社長 井下廣氏。
今年92歳だそうです。
すごいです!
会社がこの建物で操業を開始したのは終戦後の昭和21年。
当時、この建物の向かい側にも校舎があったそうですが火災にあい、
引っ越したばかりでまだ使っていなかった2階部分で
授業をしていた事があったそうです。
1階が印刷所、2階が学校。
休憩時間には生徒が現在の事務所前で遊んでいたとか。
ということは大阪電気学校は少なくとも
昭和21年までは存在していたことになります。
何らかの理由でこの校舎を売却したのでしょう。
しかし授業を行うはずの校舎が焼けてしまい閉校したのかもしれません。
あるいは、元々閉校する予定で生徒数が少なかったとも考えられます。
どちらにしろ私の勝手な想像です。
はたして、この建物は本当に大阪電気学校の校舎なのでしょうか。
ぜひ専門の方及び関係者の方々の検証を願いたいと思います。
(取材協力)
寿印刷株式会社
大阪市西淀川区歌島1丁目4番4号
http://www.kotobuki-print.co.jp
(おまけ)

こんな黒板消しを見つけた♪
素敵すぎる!!
(追記)
寿印刷さんから古い写真をお借りしました。
昭和30年頃のものです。

正面の写真です。窓がサッシになる前ですので、校舎の名残が色濃く出ています。
自動車もいいですね。

校舎の窓から正門を見ています。
当時の町並みがよくわかる。

写真では分かりにくいのですが、奥に箱型のレコードプレーヤーらしきものが確認できる。テーブルは当初は折りたたみ式ではなかったようです。やはり音楽室っぽいですね。

瓦の敷き替えの写真です。
当時の町並みが分かる貴重な写真です。正面右側奥には十三大橋が見える。
左奥の森は十三公園です。
(関連記事)
『寿印刷の活版印刷機』 2011.05.15
ポチッと、応援よろしく♪
ここは清風学園発祥の地?
最初の設立校・大阪電気学校の校舎が
西淀川区に残っていた!

私立の名門・清風学園。
設立母体は大阪電気学校堺分校(昭和12年開校)です。

しかし最初の設立校は大阪電気学校(昭和7年7月設立)となっており、
創立者の平岡宕峯氏が初代校長に赴任していたようです。(Wikipediaより)
その大阪電気学校があった場所を調べてみました。
「大阪市学事要覧 昭和15・16年度」を見ると、
位置が【西淀川区塚本町761】となっている。
入学資格は尋常小学校以上で、電気科と機械科があり
生徒数は約8~900名もいたようです。

昭和16年の地図です。
中心にあるのが現在のJR塚本駅。

◯の印をつけた場所が【西淀川区塚本町761】です。

現在の地図を重ねてみると、

ちょうどこの辺り。

実はその場所に現在も木造の建物が残っているのです。

こちらがその建物がある印刷会社。
そして正面に見えるのがその建物です。
両サイドの建物はおそらく増築したものではないかと思われます。

建物の端の方には当時の木造校舎の面影を残す外壁が確認できる。
いったい中はどのようになっているのだろう?
わくわくしながら中を見学させていただきました。

正面入り口に階段がありました。

親柱もシンプルで学校っぽい。

階段右側の空間です。
廊下の跡と、その左奥は教室だった場所だと思われます。

足下の木には廊下扉があった溝も確認できる。

階段を上ってみましょう。学校の階段って感じがする。

2階に上ってビックリ。
天上には電気の古い配線が残っている。
古い線には電気は流れていないそうですが歴史を感じます。

床もいいです。

お~っ!
ええ感じの廊下。

天上板はおそらく当時のままではないでしょうか。
補強された部分は後で行われたのだろうか。

こちらの教室は活版印刷の資料が展示されていました。
それについてはまた後日記事にする予定。

廊下と教室の間にある壁もいいです。

手前の部屋は教室ではなく畳敷きでした。
後で作った部屋なのでしょうか。

で、廊下の突き当たりの部屋に入って驚いた。
なんだ!ここは!

床もいい。

このテーブルは折りたたみ式になっている。
おそらく音楽室ではないかということです。
ここはいい!

さて、外階段を下りていきます。

ガラスは当時のままっぽい。
左上の窓ガラスが均一のサイズでないですね。

外壁に塗られているペンキはいつの時代のものだろう。

この洗面所も当時のものでしょうか。
今は屋根があるけど昔は屋外だったのかもしれないな。

裏側も見てみましょう。

窓はサッシに変わっていますが、外壁は茶色いまま。
補強している部分は後年のものだと思います。

古い外灯もそのまま残ってる。

L字型の金具も当時のものでしょうか。
大阪市内に戦前の木造校舎がいまだに
残っているなんて奇跡に近いと思いました。
さらに驚くことに、
当時のことをご存知の方がいらっしゃいました。
その方はなんとこの会社(寿印刷株式会社)の社長 井下廣氏。
今年92歳だそうです。
すごいです!
会社がこの建物で操業を開始したのは終戦後の昭和21年。
当時、この建物の向かい側にも校舎があったそうですが火災にあい、
引っ越したばかりでまだ使っていなかった2階部分で
授業をしていた事があったそうです。
1階が印刷所、2階が学校。
休憩時間には生徒が現在の事務所前で遊んでいたとか。
ということは大阪電気学校は少なくとも
昭和21年までは存在していたことになります。
何らかの理由でこの校舎を売却したのでしょう。
しかし授業を行うはずの校舎が焼けてしまい閉校したのかもしれません。
あるいは、元々閉校する予定で生徒数が少なかったとも考えられます。
どちらにしろ私の勝手な想像です。
はたして、この建物は本当に大阪電気学校の校舎なのでしょうか。
ぜひ専門の方及び関係者の方々の検証を願いたいと思います。
(取材協力)
寿印刷株式会社
大阪市西淀川区歌島1丁目4番4号
http://www.kotobuki-print.co.jp
(おまけ)

こんな黒板消しを見つけた♪
素敵すぎる!!
(追記)
寿印刷さんから古い写真をお借りしました。
昭和30年頃のものです。

正面の写真です。窓がサッシになる前ですので、校舎の名残が色濃く出ています。
自動車もいいですね。

校舎の窓から正門を見ています。
当時の町並みがよくわかる。

写真では分かりにくいのですが、奥に箱型のレコードプレーヤーらしきものが確認できる。テーブルは当初は折りたたみ式ではなかったようです。やはり音楽室っぽいですね。

瓦の敷き替えの写真です。
当時の町並みが分かる貴重な写真です。正面右側奥には十三大橋が見える。
左奥の森は十三公園です。
(関連記事)
『寿印刷の活版印刷機』 2011.05.15
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
学校だ
これはまさしく昭和初期の学校ですよね
階段 小学校を思い出します
私の通っていた小学校は昭和9年創立の建物でした
清風の円形校舎 今もあるのですね
清風には確か清風南海というのもあったと思うのですが 今もありますか
( 2011年05月11日 10:26 [Edit] )
kotonohana | URL | IQVxV6DI
すばらしい!
正面から見ると元校舎とは分かりにくいですが、本当に状態よく使用されていますね。t92歳でなお現役の社長と一緒に、末永く残ってほしいと思います。
( 2011年05月11日 21:38 [Edit] )
ゴリモン | URL | Vlv9gDmU
あああ、なんか感動した!
この学校に通っておられた方はまだまだご健在なんでしょうね。この校舎で同窓会を開かれるのはどうでしょうか?(お節介な発想^^;)
( 2011年05月11日 22:23 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
これはニュースです
スクープですね、頭が下がります。
地道な研究と努力の賜物ですし、空からの眼というのに
現代的な方法論の適用も秀逸です。
報道部長賞を進呈したいくらいです(笑)
清風関係者の耳に入れば、何らかのリアクションも
ありえるかと思いますが、反対に隠したがることも
ほんの少し懸念しました。
個人的にはこのままで使われて欲しいですね。
しかしこれは産業遺産、大大阪アーカイブの一級品です。
( 2011年05月12日 01:09 [Edit] )
きーぼー | URL | kNOGdEho
確かにこれはスクープですね!
電気学校とは意表をつかれました。戦前築の校舎は鉄筋コンクリート校舎でもどんどん無くなっていくのに、木造とは!
ちなみに我が西宮では津門小学校(昭和12年築)、浜脇小学校(昭和12年)、用海小学校(昭和12年)と短期間の間に古い校舎の解体が相次ぎ、次は夙川小学校(昭和11年)が7月から解体される事になっています。
中は綺麗にリフォームされているのかな、と思いきや昔の面影をかなり残していて素晴らしいです。どのような経緯で発見して、見学させてもらえる事になったのか気になりますね~。
昔を知る人が健在で、写真も残っているとは!音楽室らしい部屋は何のために撮ったのだろうと思いますが、その分貴重な写真です。
( 2011年05月13日 17:15 [Edit] )
うろこ | URL | -
驚きました
数年前まで近所に住んでいましたが、あの建物にそのような歴史があったとは驚きです。
( 2011年05月13日 23:47 )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
昭和初期の貴重な校舎、
当時の写真が見てみたいですがやはり残っていないようです。
清風南海は現在ももちろんあります。
その設立者も大阪電気学校と同じ平岡宕峯氏です。
kotonohanaさん
同感です。
社長にとっても思い入れ深い建物だと思います。
ゴリモンさん
この学校に通っていた方がいつかこのサイトにたどり着いて懐かしんでもらえると最高に嬉しいです。
kotaroさん
>これは産業遺産、大大阪アーカイブの一級品です。
うれしいコメント♪
もっと広く知られて欲しいと思っています。
大阪の宝物です。
きーぼーさん
一階の工場部分や二階の作業場は結構手が加えられています。
補強がその大部分だと思われますが、廊下とか業務に関係がない所が昔のままだったりします。
なので音楽室も食堂として使われているようなのでそのまま残った。
音楽室の写真はあれ以外にもあって、記念撮影場所として若い女性行員さんの写真が数枚出てきました。
まだ着物姿でしたよ。
うろこさん
おそらく近所の方も知らない方が多いと思います。
かなり戦前から住んでおられる方はご存知のようです。
( 2011年05月22日 18:33 [Edit] )
寿印刷 田中由佳 | URL | WqncY2uU
驚いています
大大阪アーカイブ、まして一級品!・タイムマシンなど、
弊社としては思っていなかった皆様からの好意的な反応に驚いています。
日常の中にあると「見たいのもなのでしょうか?」という感じでした。
見学者の受け入れも、ご希望があった時点で対応させていただこうと思っています。
現在は出入りの業者さん等に、「ちょっと見てみはります?」って声かけています^^
よく来社される方でも、「奥がこうなっていたとは知りませんでした」と言われますので
新之介さんのお力で多くの方に驚いていただけて嬉しいです。
( 2011年05月23日 11:54 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
田中さん
見学者の受け入れ、とても嬉しいです。
もっと多くの方に知ってもらえるといいですね。
活版印刷もみなさん興味津々でしたよ。
今後もよろしくお願いします。
( 2011年05月30日 23:33 [Edit] )
RICOH | URL | 6KsEYXdY
趣深いですね
清風に通っていた者です。
清風の沿革については知っておりましたが、
私の通っていた母校のルーツがここにあったと知り、
大変驚き、また知ることができ感謝しております。
昨年、清風の2代校長が大腸癌のために校長の座を降り、
3代校長にその息子が就任しましたが、その一方で、
かつての校舎が残されていることは非常に趣深いことだと思います。
清風の関係者にも見てほしいですね。
( 2012年02月07日 02:09 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
RICOHさん
新聞社の方が学校にも取材をされたようですが
当時の詳しい資料が残っていないため
はっきりしたコメントはいただけなかったようです。
仕方がないかもしれませんね。
( 2012年02月08日 01:30 [Edit] )
TAKAKO | URL | iRj/Sbqg
大阪電気学校について
たまたま調べていてこちらのサイトを拝見しました。
清風学園とのいきさつは別として、この地で校長をしていたのは
私の祖父で 当時の資料や写真があります。
何かお役に立てるか、教えて頂けるかもと思い
連絡した次第です。
偶然がもう一つ、私は現在長岡京市在住です。
塚本駅を通るときはいつもどうなっているかしらと思ってましたが
まだ面影が残る場所があるのですね。 行ってみたくなりました。
ご連絡お待ちします。
( 2012年08月21日 01:12 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TAKAKOさん
おじいさまが校長先生をされていたのですか。
それはビックリです。
寿印刷さんにも連絡してみようと思います。
どうどよろしくお願いします。
( 2012年08月24日 12:04 [Edit] )
ichimonji | URL | -
そういえば祖母から聞いていました
たまたま、地車のページをググっていて、、、たどり着きました。地元に在住しているものですが。この建物の前に駄菓子屋さんがありまして、幼い頃はよく通っていました。周辺には何件か駄菓子屋さんがあったのですが、この駄菓子屋さんは、何故か「デンキ」とよんでいた記憶があります。なぜ、デンキと呼んでいたのか?ある時、祖母から、「昔ここは電気学校があったから、デンキとよんでいるんだよ」と聞かされていました。
( 2012年11月12日 21:06 )
新之介 | URL | sDz630us
ichimonjiさん
ほ〜、「デンキ」ですか。
これは面白いお話です。
情報ありがとうございます!
( 2012年12月14日 18:46 [Edit] )
谷口肇 | URL | -
昭和24年3月の卒業です。
昭和8年7月生まれです。今86歳です。大阪市生野区大友町3丁目から通学しました。国家試験「電気工事士」の資格を取るために通学した人が多かったです。私は工業学校を2年生で中途退学しました。工員で働きました。新制工業高校へ入学するために大阪電気学校へ通学しました。昭和24年4月に布施工業高校・定時制課程・機械科へ入学しました。後に国家公務員試験に合格して、建設省で54歳まで勤務しました。今は86歳です。奈良県大和郡山市で暮らしています。
( 2020年02月06日 17:30 )
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