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吉原治良とグタイピナコテカ

2011年04月18日 07:30

吉原治良具体美術協会
グタイピナコテカ

IMG_4949_3.jpg
中之島ダイビル南側の道しるべがある場所です。

IMG_4910_3.jpg
その奥でなにやら発掘している様子。

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遺跡作業中?

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遺跡ってなんだか大層ですが、

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おそらく蔵屋敷の調査なんだろうと思っていました。

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この辺り、鳥取藩の蔵屋敷があった場所だと思います。

IMG_4933_3.jpg
石灯籠も出てきたみたい。

で、こんなプレートがあった。
IMG_4940_3.jpg
グタイピナコテカ跡?
吉原治良!? 具体!?


えェーッ!!!

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なんと!
私が学生時代から尊敬してやまない
吉原治良
(よしはらじろう)氏が設立した
美術館跡の発掘ではないか!



「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
gutai_pinacotheca.jpg
これが開館当時、昭和37年(1962)のグタイピナコテカ。江戸時代末期の土蔵3棟を改装した現代美術の美術館で、これらの土蔵は吉原氏の所有でもあったようです。ちなみに名前の由来は、イタリア・ルネサンス時代の絵画館、画廊を意味する“Pinakotheca”からきているそうです。


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
yoshihara.jpg
この写真は吉原治良氏の晩年(1970)の写真です。
吉原氏は前衛画家でありながら、吉原製油(現J-オイルミルズ)の社長でもありました。昭和29年(1954)、当時住んでいた芦屋市で「具体美術協会」を結成。彼の元には若手の前衛芸術家達が集まり、互いに切磋琢磨しながらやがて世界に通用する前衛芸術家集団になっていきます。吉原氏は芸術の才能もありましたが、財もあり、人間的な魅力もあったのだと思います。彼が会員たちに繰り返し言っていたことは、「人のまねをするな!」「誰もやっていないことをやれ!」です。この言葉、簡単なんだけど、実行するのが一番難しい。


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
saburomurakami.jpg
これは具体美術協会の象徴として紹介されることが多い写真で、村上三郎氏が紙をぶち破る作品です。だだだだだ~っと走ってきて、ばばばばば~んと紙をぶち破る!僕は当時の8ミリ映像を見ていますが、思わず笑ってしまったのを覚えています。ただ、すごくインパクトがあった。あんな行為は誰も思いつかない。素晴らしい作品です。


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
syozoshimamoto.jpg
これは嶋本昭三氏。絵の具の入った瓶をキャンバスに投げつけて割ります。投げる前に石をビンの中に入れカチャカチャカチャっと振って混ぜておもいっきり投げつけて割ります。

ただそれの繰り返し…
もう 最高!!


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
syugo01.jpg
これはグタイピナコテカの開館披露パーティーの写真です。グタイピナコテカの道を隔てたほぼ対面に日本家屋の吉原治良の本宅があったそうです。後ろに写っている家屋がそれかどうかは不明。現在の阪神高速道路の中之島出入口の辺りだったそうです。


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
gutai_pinacotheca2.jpg
この写真はグタイピナコテカ内、一階ロビー。土蔵の中とは思えないモダンな空間です。貴重な写真だ。


「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
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昭和45年(1970)、グタイピナコテカは都市計画による立退きで閉館します。しかし、翌年の秋に新グタイピナコテカが完成することを朝日新聞と毎日新聞が伝えていたそうです。これがその完成予想図で、候補地がクラブ関西の西隣り。ということは、現在アクア堂島東館がある辺りですね。

しかし、候補地が芦屋市に変更され、設計も進んでいたようですが、吉原氏の急死により新グタイピナコテカが日の目を見ることはありませんでした。



「具体ってなんだ? 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録」より
syugo02.jpg
この写真は第45回ヴェネチア・ビエンナーレ(1993)での元「具体」会員の皆さんです。いいお歳になられていますが、僕からしたら皆さんは永遠のアイドルなのです。カッコイイっす!


最後に、
mudai.jpg
これは私が以前制作した作品です。実は第7回吉原治良賞美術コンクール(大阪府立現代美術センター・1993)で入選したことがあったのです。私が20代の頃、具体美術の人達が大好きで美術館によく見に行きました。特に芦屋市立美術博物館で行われた「具体展 I (1992) 」「具体展 II (1993)」は私の人生で最も刺激的な展覧会だったと思います。しばらく具体美術から遠ざかっていたけど、こんな形でまた思い出させてくれるとは。

今回の記事、ちょっと熱くなってしまったかも…


(追記)
「具体(具体美術協会)」は、吉原治良氏が住んでいた芦屋市で結成され、芦屋公園で野外展を行うなど芦屋と深い関わりのある美術団体です。また、当時の主要メンバーのほとんどが、芦屋市、西宮市、尼崎市など、阪神地域に居住する前衛美術家で、作品発表の場を大阪や東京、そして世界へと広げていきました。1992・1993年に行われた大回顧展「具体I 1954-1958」「 具体II 1959-1965」「具体III 1965-1972」が芦屋市立美術博物館で行われたことから考えても、「具体」は芦屋及び阪神地域を創作活動の拠点とした美術団体であるというのが一般的な認識だと思います。しかし、グタイピナコテカが中之島にあったことで、あたかも「具体」は大阪を拠点とする美術団体であるかのような表記を目にしました。大阪大学総合学術博物館が企画した『オオサカがとんがっていた時代 -戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで-』がそれです。企画展自体はとても素晴らしい内容なのですが、中に書かれている文章で芦屋や阪神地域のことが触れられていませんでした。「具体」を知らない人が読めば、「具体」は大阪の美術団体であると受け取るでしょう。事実、私のまわりでもそのように思っている人がおり、聞いてみると上記の企画展で知ったという事でした。大阪大学総合学術博物館という公的な施設が、世間に対し誤解を招くような文章を書くのはいかがなものかと思い追記させていただきました。当時、大阪がとんがっていたかどうかは知りませんが、芦屋あるいは阪神地域で創作活動をしていた具体派の前衛美術家はとんがっていましたし、大阪の中之島にはグタイピナコテカという展示の場、交流の場があったのも事実です。大阪とアヴァンギャルドを繋げるために「具体」や「グタイピナコテカ」を紹介するのはいいのですが、「大阪」「オオサカ」と強調しすぎて「具体=大阪」という印象にしてしまったことに違和感を覚えました。『同協会を知らない世代が増え、元会員も高齢化する中、「われわれの世代で再検証しなければ」』と大阪大学総合学術博物館館長は答えておられます。ならば、誤解が生じない正しい紹介を心がけていただきたいものです。「具体」を紹介するときになぜ芦屋や阪神地域での活動のことに触れないのか。「戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで」というタイトルにするためにはそれが不要だったのでしょうか。「具体=大阪」にしてはいけない。それは歴史の捻じ曲げに等しいものです。私は「具体」を愛する大阪人ですが、「具体」を大阪のものだと思ったことはありません。「具体」は芦屋で生まれ、大阪を含む阪神間を活動の拠点とした前衛芸術家集団だと思っています。



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コメント

  1. ばんぼう | URL | t/Klp7tQ

    ご無沙汰です

    S45の完成予想図はウルトラマンのシーボーズみたいですね。
    今実在すれば、きっと関西ウォーカーに載るようなデートコースかも^^

    前衛美術はバカバカしいほど、意味を見つけるためにもがくのが目的でもあるような気がしました。

    美術には疎いですが、80年代は意味の無いことに価値を置く年代だったと思います。
    前衛美術の影響が花開いた時代だったのでしょうか。。

    たとえば旅行に行く。行く意味は無い。ただのんびり空を見るだけ。あるいは海を眺めるだけ。

    目的無いことが目的である事の意味を教えてくれたのかなあ。

    70年代はとにかくモーレツで、人々は貪欲に行動する意味を探す時代だったように思います。

  2. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    故白髪一雄さん

    私の高校の先輩。具体のメンバー。
    白髪さんは私をご存じないでしょうけれど。

    私の気持ちでは、具体の評価はこれからもさらに
    ふつふつと煮えたぎるるつぼのような感じになっていくと思われます。
    吉原治良氏、すごいですね。
    元永さんも阪神地区の世界的アーティストですね。

  3. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    思い出など

    実際の時代はまだ流石に子供の頃であったので
    存じていませんが、社会に出た頃はそこここに
    匂いが残っていました。
    デザインの仕事をされている方には影響を受けたり
    係わり合いのあった先輩が多かったですね。
    子供ができた頃には本永定正さんの絵本を与え
    個展にも足を運び、遠くから尊顔を拝見していました。
    会社員時代の同僚の吉田君のお父さんもメンバー
    だったと、聞きましたが。

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    ばんぼうさん
    シーボーズ、確かに^^
    >前衛美術はバカバカしいほど、意味を見つけるためにもがくのが目的でもあるような気がしました。
    確かにそうかもしれませんね。
    もがいて自分のスタイルをみつけたもん勝ちです。
    人がやっていないことを見つけて
    それおもろいやんって言われて、それをずっと続ける。
    それができた人が勝者です。
    でも、それがなかなかできないのです。だから面白い。

    Empizzoさん
    白髪一雄さんは先輩でしたか。
    とにかく製作現場が面白い。
    作品はめちゃくちゃ迫力がある。
    私が一番好きだったのが白髪一雄さんでした。

    kotaro さん
    元永さんの絵本は我が家にもあります。
    「もこもこもこ」ですね。おそらく。
    僕も大好きです。

  5. taKAKAku | URL | HPXFiA.E

    いいぞぉ[e:266]

    いい…熱いねーっ
    具体的に具体性が具体策の具体化で…いいよ

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    taKAKAkuさん

    具体は色あせないね。
    やっぱり凄い集団です。

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