2010年12月16日 08:00
ラジオって聴いてますか?
土曜日の午後12時半はラジオ大阪(1314)
ラジオ大阪で毎週土曜日(午後12時30分~13時)放送の
「ピピッとおおさか大発見!」が取材に来てくれました。
放送は、
12月18日(土)午後12時30分から
取材当日は、タレントの藤原宏美さんらと
十三(じゅうそう)駅から中津の富島神社まで歩きました。
天気が良くてよかった…
そういえば、ラジオって最近あんまり聴いてないな…
ラジオ大阪といえば、まず「ぬかるみの世界」を思い出してしまう…。
鶴瓶さんと新野新さんのやつ。学生時代によく聴いてました。
僕らにとってラジオは生活の一部だった…。
今はパソコンでラジオが聴ける時代。
ラジコ(radiko)は利用してますか?

これ↑をクリックするとラジオが聴けますよ。
(配信エリアは東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、群馬、栃木、大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山)
【 放送の補足資料 】

明治18年測量の地図です。
新淀川が開削される前なので、川は中津川です。
当時、十三の渡しはなく、成小路村が私設の橋を架けていました。
十三橋の南詰が旧十三地域。北詰めにある建物は
おそらく今里屋久兵衛だと思います。

現在の地図と重ねてみました。
旧十三地域が新淀川の開削時になくなったことがわかります。
現在の十三駅を含む十三地域は、小嶋村と堀村、
今里村で十三ではありませんでした。
ちなみに今里屋久兵衛の今里は今里村のことです。
より大きな地図で 「ピピッとおおさか大発見」で歩いたコース を表示
新淀川が完成したのは明治42年。
翌明治43年に箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が開業します。
当時、新淀川の堤防に十三駅ができました。
大正5年、現在の場所に十三駅が移転しています。

「思い出の十三イラストマップ」です。
昭和10~20年頃の十三を中津第三小学校の同窓生が
昔を思い出しながらまとめたものです。

今里屋久兵衛の十三焼。
昔はあん焼と呼んでいました。

十三の渡しの北岸はあん焼、
南岸は焼餅と呼び方が違ったようで、旧十三には
同じような焼き餅を売る店がいくつもあったようです。

中津の富島(とみしま)神社です。以前は利島(としま)神社でした。
この鳥居は明治42年に合祀された鷺嶋神社の鳥居です。
鷺嶋神社は成小路村の旧十三にあった神社です。

富島神社の片隅にある十三思昔会の碑。

大正10年、新淀川の開削でバラバラになってしまった
旧十三地域の人達によって建てられました。

境内には他にも旧十三地域の名残が残っている。
玉垣に旧十三の大黒屋が刻まれていた。
十三焼餅の大黒屋だと思います。

お百度石にも十三屋利助の文字が…

十三にはさまざまな顔がある。
渡し場として交通の要所だった歴史ある十三。
高度経済成長期に歓楽街として賑わったギラギラな十三。
今なお下町情緒が残る住宅街としての十三。
十三ってやっぱりおもろい町です。
(関連サイト)
「ピピッとおおさか大発見!」 ラジオ大阪
「藤原宏美のオフィシャルブログ」 藤原宏美
(関連記事)
『今里屋久兵衛の十三焼』 2010.04.01
『さよなら今里屋久兵衛旧本店』 2010.03.19
『さよなら今里屋久兵衛』 2009.02.16
『元の十三の場所』 2008.01.09
『十三大橋の渡り初め』 2008.01.01
『十三あん焼と十三焼餅』 2007.11.11
『「十三焼」食わずして十三を語るなかれ』 2007.09.22
『十三の由来 条里制篇』 2007.12.08
『十三の由来2 中津町史篇』 2008.01.11
『十三の由来3 摂陽郡談篇』 2008.01.12
『十三の由来4 呼び方篇』 2008.03.23
『十三の由来5 摂津国絵図篇』 2008.03.26
『十三の由来6 地名伝承学論篇』 2008.09.05
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ラジオ大阪で毎週土曜日(午後12時30分~13時)放送の
「ピピッとおおさか大発見!」が取材に来てくれました。
放送は、
12月18日(土)午後12時30分から
取材当日は、タレントの藤原宏美さんらと
十三(じゅうそう)駅から中津の富島神社まで歩きました。
天気が良くてよかった…
そういえば、ラジオって最近あんまり聴いてないな…
ラジオ大阪といえば、まず「ぬかるみの世界」を思い出してしまう…。
鶴瓶さんと新野新さんのやつ。学生時代によく聴いてました。
僕らにとってラジオは生活の一部だった…。
今はパソコンでラジオが聴ける時代。
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明治18年測量の地図です。
新淀川が開削される前なので、川は中津川です。
当時、十三の渡しはなく、成小路村が私設の橋を架けていました。
十三橋の南詰が旧十三地域。北詰めにある建物は
おそらく今里屋久兵衛だと思います。

現在の地図と重ねてみました。
旧十三地域が新淀川の開削時になくなったことがわかります。
現在の十三駅を含む十三地域は、小嶋村と堀村、
今里村で十三ではありませんでした。
ちなみに今里屋久兵衛の今里は今里村のことです。
より大きな地図で 「ピピッとおおさか大発見」で歩いたコース を表示
新淀川が完成したのは明治42年。
翌明治43年に箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が開業します。
当時、新淀川の堤防に十三駅ができました。
大正5年、現在の場所に十三駅が移転しています。

「思い出の十三イラストマップ」です。
昭和10~20年頃の十三を中津第三小学校の同窓生が
昔を思い出しながらまとめたものです。

今里屋久兵衛の十三焼。
昔はあん焼と呼んでいました。

十三の渡しの北岸はあん焼、
南岸は焼餅と呼び方が違ったようで、旧十三には
同じような焼き餅を売る店がいくつもあったようです。

中津の富島(とみしま)神社です。以前は利島(としま)神社でした。
この鳥居は明治42年に合祀された鷺嶋神社の鳥居です。
鷺嶋神社は成小路村の旧十三にあった神社です。

富島神社の片隅にある十三思昔会の碑。

大正10年、新淀川の開削でバラバラになってしまった
旧十三地域の人達によって建てられました。

境内には他にも旧十三地域の名残が残っている。
玉垣に旧十三の大黒屋が刻まれていた。
十三焼餅の大黒屋だと思います。

お百度石にも十三屋利助の文字が…

十三にはさまざまな顔がある。
渡し場として交通の要所だった歴史ある十三。
高度経済成長期に歓楽街として賑わったギラギラな十三。
今なお下町情緒が残る住宅街としての十三。
十三ってやっぱりおもろい町です。
(関連サイト)
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『今里屋久兵衛の十三焼』 2010.04.01
『さよなら今里屋久兵衛旧本店』 2010.03.19
『さよなら今里屋久兵衛』 2009.02.16
『元の十三の場所』 2008.01.09
『十三大橋の渡り初め』 2008.01.01
『十三あん焼と十三焼餅』 2007.11.11
『「十三焼」食わずして十三を語るなかれ』 2007.09.22
『十三の由来 条里制篇』 2007.12.08
『十三の由来2 中津町史篇』 2008.01.11
『十三の由来3 摂陽郡談篇』 2008.01.12
『十三の由来4 呼び方篇』 2008.03.23
『十三の由来5 摂津国絵図篇』 2008.03.26
『十三の由来6 地名伝承学論篇』 2008.09.05
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コメント
nao | URL | -
私は、パソコンでradiko経由でラジオいつも聞いてます。
もっぱらFM.CoCoRoです。OVER45ageと言う事で、実年齢と
ほぼドンピシャですんで心地よいです(笑)
十三。昔付き合ってた娘が連れて行ってくれた寿司屋が、
十三にありました。たぶん今でもきっとあるでしょう。
すごく旨い寿司を出してくれました。だから余計に・・・
ホロ苦い、青春の思い出でございます。ちなみに、今隣に
いる妻ではございません(^^ゞ
そのうち、十三もおじゃまさせて頂きます。赤川鉄橋と
セットで探索してみたいです!!o(^o^)o
( 2010年12月16日 18:09 )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
ラジオ番組
その時間帯に、できればクルマで聴いてみます。
( 2010年12月18日 07:20 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
空中庭園から見た淀川、すっきりと大幅に横たわっていますが、
中津川が蛇行していたころの姿を空中庭園相当もしくはヘリで見たらさぞや痛快でしょうね。
その蛇行の迫力と摂津平野の農地が美しく広がっていたことがわかるのでしょうね。
タイムマシンもありませんが、こちらを拝見するとそんな時代へのロマン紀行ができてうれしいです。
大阪平野は淀川と大和川の産物と改めて思います。
( 2010年12月25日 12:45 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
naoさん
ぜひぜひ十三にお越しくださいませ。今度は奥様と… ^ ^
赤川鉄橋ももうしばらく残っていると思いますよ。
kotaroさん
私はしっかりPCで録音しました。
便利な時代になりましたね。
ノイズが入らないんですから…
Empizzoさん
僕の街歩きはまさにそんな風景をイメージしながら歩いています。
農地が広がる中を旧道がくねくねと続き、そこから向こうを見渡せば
村や神社の森が遠くに見える。
いつも頭の中でタイムスリップしています ^^
( 2010年12月26日 22:26 [Edit] )
jack77betty | URL | -
佐伯祐三
「富島神社」のすぐ東にある「光徳寺」は夭折の画家、佐伯祐三の生家です。彼はこのとぴにも因縁が深いですね。
さて現在彼の美術展が大阪市内の2ケ所(大阪市立近代美術館心斎橋展示室と山王美術館(浪速区))で開かれています。同市内で同時期に同じ企画が重なるというのは珍しい。佐伯ファンにとってはうれしいことでしょう。
( 2012年06月15日 17:32 )
新之介 | URL | sDz630us
jack77bettyさん
佐伯祐三の生家だというのは存じておりました。
私も大好きな画家のお一人です。
世界に誇れる方ですよね。
( 2012年06月24日 19:06 [Edit] )
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