2010年12月12日 00:00
さよなら開高健の旧宅
「一夜限りのトリスバー」
開高健の旧宅が取り壊されることが決まり、
解体前に開高健を偲ぶ会がその旧宅で行われました。
「開高健さん:旧宅でトリスバー
大阪・東住吉で10日、一夜限りの偲ぶ会」毎日新聞 (cache)
「一夜限りのトリスバー 開高健さんしのび開店」毎日新聞 (cache)
「一夜限りの開高トリスバー」☆Connyなブログ♂♀
「旧開高邸のこと」日常旅行日記

近鉄南大阪線、北田辺駅。
駅前に開高健(かいこうたけし)の文学碑があります。

少年時代のことを書いた一節。

7歳の時に引っ越して来たようですね。

駅前に古そうな建物が。
レコードとか楽器を売ってたみたい。
開高さん、レコードと買ってたのかな…

商店街を歩いて2~3分の所に、

開高健の旧宅があります。

表札もかかったまま。

4軒長屋の一番端っこで、他の4軒はすでに建替えられています。

右側には同時代に建てられたっぽい長屋が続いている。
旧宅は昭和初期の建物だそうで、戦災をまぬがれています。

開高さんはこの家で7歳~21歳頃までを過ごしたようです。

さて「一夜限りのトリスバー」の当日です。

玄関のたたきがタイルになっている。かわいい。

当日は満員でこんな状態。

旧制中学時代の同窓生で京大名誉教授の作花済夫先生のお話。
とても面白かったです。リアリティが違う。
当日の様子を @namihayanote さんがUstreamで配信していますので、
関心のある方はどうぞ。→ http://ustre.am/rhRg
ところで、開高健さんのことを簡単におさらいしますね。
「開高健」と書いて「かいこうたけし」と読みますが
僕らは「かいこうけん」って呼ぶことが多いです…。
昭和5年、天王寺区東平野町生まれ。
昭和12年にこの北田辺町に越して来て、
昭和18年、旧制天王寺中学に入学します。しかし当時は戦時中、
八尾飛行場や龍華操車場に勤労動員でかりだされていました。
昭和23年、旧制大阪高等学校に入学し、
昭和24年、新制の大阪市立大学に入学しています。
この頃から小説を書き始めたようですね。
学生時代に詩人で7歳年上の牧羊子と出会い、
昭和27年、22歳でできちゃった婚。
住吉区の牧羊子の家で暮らし始めます。
当時、牧羊子は寿屋(現・サントリー)の研究課に勤めていて、
彼女が開高健の就職を斡旋したそうです。
昭和28年に大学を卒業し、
昭和29年、寿屋に入社、宣伝課に配属されました。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

旧本社社屋です。手前の橋は渡辺橋。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

「裸の王様」で芥川賞を受賞したのが昭和33年、28歳の時です。
この写真は受賞直後で、お隣は牧羊子さん。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

この有名なトリスウイスキーの広告ができたのは昭和36年。
「人間」らしくやりたいナ
トリスを飲んで
「人間」らしくやりたいナ
「人間」なんだからナ
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

昭和39年、朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムの戦地に行ったのは34歳の時、彼は最前線でベトコンに包囲され、九死に一生を得て昭和40年帰国。その後反戦活動も行っています。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

でも、僕の開高さんのイメージはやはりこれかな。
「オーパ!」の冒頭でこんな中国のことわざが出てきます。
一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。
-中国古諺-
僕が若い時、あらゆる釣りをやったのは
このコトバの影響かもしれないな…
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

ここは、偲ぶ会でも少し話題になった赤坂にある「木家下(こかげ)バー」。
開高さんがいつも座っていたカウンターに
Nobless Oblige
位 高ければ、努め多し
MAESTRO KAIKO'S Memorial Seat
と刻まれたプレートがある。
さて、

一階の奥には中庭がありました。

一枚ガラスなんですよね。これ。

中庭の横に廊下があって、奥に便所と風呂がある。
スクリーンはガラスの写り込みです。念のため…

これが廊下。
昭和初期の建物で最初からお風呂があったとすれば
かなり立派な部類の家屋になります。

右の扉が便所、かなり広かった。私の後ろに風呂がある。
この洗面台も当時のままかな…

洗面所の窓を開けて中庭をのぞいてみた。

会が終わった後、2階に上がらせてもらった。

2階には部屋が2つある。
こちらは玄関側でおばさんの部屋だそうです。

天井も当時のままっぽい。

こっちが、開高健の部屋だったそうです。

学生時代にここで初期の小説が書かれたのでしょう。
ただ、天井は直されていて床にはカーペットが引かれてた。
当時の名残は木の柱と壁くらいかな…
ちなみにキズとか探したけど何もなかった…

開高さんも見ていたであろう欄間。

この欄間は保存されるそうですよ。

窓の外はベランダです。
下には中庭がある。
当時の周辺はまだ田畑が広がっていました。
かなり遠くまで見渡せたでしょうね。
より大きな地図で 開高健・北田辺の旧宅 を表示
1981年ということは51歳か。
このCM覚えてるよな~
(おまけ)

この日のお土産にトリスのジョッキもらった♪
ニッ♪
ト、ト、トリスのハイボール~♪
吉高由里子ちゃん、かわいいね。
(関連記事)
『さよなら開高健が育った旧宅』 2011.01.26
『開高健旧宅解体』 2011.02.08
ポチッと、応援よろしく♪
「一夜限りのトリスバー」
開高健の旧宅が取り壊されることが決まり、
解体前に開高健を偲ぶ会がその旧宅で行われました。
「開高健さん:旧宅でトリスバー
大阪・東住吉で10日、一夜限りの偲ぶ会」毎日新聞 (cache)
「一夜限りのトリスバー 開高健さんしのび開店」毎日新聞 (cache)
「一夜限りの開高トリスバー」☆Connyなブログ♂♀
「旧開高邸のこと」日常旅行日記

近鉄南大阪線、北田辺駅。
駅前に開高健(かいこうたけし)の文学碑があります。

少年時代のことを書いた一節。

7歳の時に引っ越して来たようですね。

駅前に古そうな建物が。
レコードとか楽器を売ってたみたい。
開高さん、レコードと買ってたのかな…

商店街を歩いて2~3分の所に、

開高健の旧宅があります。

表札もかかったまま。

4軒長屋の一番端っこで、他の4軒はすでに建替えられています。

右側には同時代に建てられたっぽい長屋が続いている。
旧宅は昭和初期の建物だそうで、戦災をまぬがれています。

開高さんはこの家で7歳~21歳頃までを過ごしたようです。

さて「一夜限りのトリスバー」の当日です。

玄関のたたきがタイルになっている。かわいい。

当日は満員でこんな状態。

旧制中学時代の同窓生で京大名誉教授の作花済夫先生のお話。
とても面白かったです。リアリティが違う。
当日の様子を @namihayanote さんがUstreamで配信していますので、
関心のある方はどうぞ。→ http://ustre.am/rhRg
ところで、開高健さんのことを簡単におさらいしますね。
「開高健」と書いて「かいこうたけし」と読みますが
僕らは「かいこうけん」って呼ぶことが多いです…。
昭和5年、天王寺区東平野町生まれ。
昭和12年にこの北田辺町に越して来て、
昭和18年、旧制天王寺中学に入学します。しかし当時は戦時中、
八尾飛行場や龍華操車場に勤労動員でかりだされていました。
昭和23年、旧制大阪高等学校に入学し、
昭和24年、新制の大阪市立大学に入学しています。
この頃から小説を書き始めたようですね。
学生時代に詩人で7歳年上の牧羊子と出会い、
昭和27年、22歳でできちゃった婚。
住吉区の牧羊子の家で暮らし始めます。
当時、牧羊子は寿屋(現・サントリー)の研究課に勤めていて、
彼女が開高健の就職を斡旋したそうです。
昭和28年に大学を卒業し、
昭和29年、寿屋に入社、宣伝課に配属されました。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

旧本社社屋です。手前の橋は渡辺橋。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

「裸の王様」で芥川賞を受賞したのが昭和33年、28歳の時です。
この写真は受賞直後で、お隣は牧羊子さん。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

この有名なトリスウイスキーの広告ができたのは昭和36年。
「人間」らしくやりたいナ
トリスを飲んで
「人間」らしくやりたいナ
「人間」なんだからナ
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

昭和39年、朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムの戦地に行ったのは34歳の時、彼は最前線でベトコンに包囲され、九死に一生を得て昭和40年帰国。その後反戦活動も行っています。
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

でも、僕の開高さんのイメージはやはりこれかな。
「オーパ!」の冒頭でこんな中国のことわざが出てきます。
一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。
-中国古諺-
僕が若い時、あらゆる釣りをやったのは
このコトバの影響かもしれないな…
「新潮日本文学アルバム・開高健」より

ここは、偲ぶ会でも少し話題になった赤坂にある「木家下(こかげ)バー」。
開高さんがいつも座っていたカウンターに
Nobless Oblige
位 高ければ、努め多し
MAESTRO KAIKO'S Memorial Seat
と刻まれたプレートがある。
さて、

一階の奥には中庭がありました。

一枚ガラスなんですよね。これ。

中庭の横に廊下があって、奥に便所と風呂がある。
スクリーンはガラスの写り込みです。念のため…

これが廊下。
昭和初期の建物で最初からお風呂があったとすれば
かなり立派な部類の家屋になります。

右の扉が便所、かなり広かった。私の後ろに風呂がある。
この洗面台も当時のままかな…

洗面所の窓を開けて中庭をのぞいてみた。

会が終わった後、2階に上がらせてもらった。

2階には部屋が2つある。
こちらは玄関側でおばさんの部屋だそうです。

天井も当時のままっぽい。

こっちが、開高健の部屋だったそうです。

学生時代にここで初期の小説が書かれたのでしょう。
ただ、天井は直されていて床にはカーペットが引かれてた。
当時の名残は木の柱と壁くらいかな…
ちなみにキズとか探したけど何もなかった…

開高さんも見ていたであろう欄間。

この欄間は保存されるそうですよ。

窓の外はベランダです。
下には中庭がある。
当時の周辺はまだ田畑が広がっていました。
かなり遠くまで見渡せたでしょうね。
より大きな地図で 開高健・北田辺の旧宅 を表示
1981年ということは51歳か。
このCM覚えてるよな~
(おまけ)

この日のお土産にトリスのジョッキもらった♪
ニッ♪
ト、ト、トリスのハイボール~♪
吉高由里子ちゃん、かわいいね。
(関連記事)
『さよなら開高健が育った旧宅』 2011.01.26
『開高健旧宅解体』 2011.02.08
ポチッと、応援よろしく♪

スポンサーサイト
コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
アンクルトリス
昭和の香りぷんぷんの家ですね
私は知らないのですが 我が家のあった柏里の家がこんなのだったそうです 4軒長屋で2階建て 前栽がついていて石灯籠もあったといっていました
借家でお風呂はなかったといっていました 空襲で燃えてしまったそうです
この家すごいです 廊下の1枚ガラスの掃出し窓 昭和初期のものだとすると 1枚いくらしたのか・・
子供のころ住んでいた阪急住宅の廊下は 1枚ガラスではありませんでした
中庭のある家 朝ドラのてっぱん みたいですね
( 2010年12月12日 09:50 [Edit] )
chuunya | URL | -
昭和50年代のCM
「私はニューヨークが好きになった」。おそらく開高さんのコピーなんだろうけども、この頃のCMってメッセージ性を感じますね。CMといえども、こだわりを感じます。だるまさんですね、開高さんもウヰスキーも。
( 2010年12月12日 17:14 )
むくのきやすお | URL | k8.8F176
先輩
開高健さんは大阪市立大学法学部の先輩になるんですよね。
Wikipedia 改めてみたら北田辺に転居したことが書いてありますね。こんな大学の近くに旧宅があるの知りませんでした。
( 2010年12月12日 17:48 [Edit] )
もにか | URL | GT3i6Br6
いい家ですね~。壊すのがもったいない。いろいろ事情があるのかもしれませんが。
長屋だけど中庭つきで風呂、トイレ、洗面所別。ぜいたくな長屋ですね。
( 2010年12月13日 13:45 [Edit] )
HNは未定(と以前に名乗っていたはず) | URL | ENAFq3jc
残念ですね
まだまだ使えそうなのですが・・・こんなことならあっち方面に用事のあったころにもっとマジマジと目に焼き付けておくべきでした。
まだ年内は残っていますかね?
( 2010年12月20日 19:08 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
とても素敵な家だと思いました。
今頃はすでに不動産屋さんに引き渡されたのではないかと思います。
もしかしたらすでに解体も…
時間があれば立ち寄ってこようと思います。
chuunyaさん
たしかに、いまのCMはメッセージ性が弱くなったのかもしれない。
パンチにあるコトバが少なくなったように思います。
特に景気が悪いとCMはつまらなくなります。
今は好きなCMがほとんどないな…
むくのきやすおさん
すばらしい先輩をお持ちでうらやましい。
来年の2月になんばパークスで大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」が開催されます。
ぜひ、行ってみようと思っています。
もにかさん
ですよね。
いまごろ、どうなっているのでしょう。
解体されているか時間があれば立ち寄ってこようと思います。
HNは未定さん
年内には不動産屋さんに引き渡されると聞いています。
もしかしたらすでに解体されているかも。
時間があれば立ち寄ってみたいと思っています。
( 2010年12月26日 22:12 [Edit] )
どらごんますたー | URL | l8TdN4kk
取り壊しはじまりました
家がごく近所なんですが、今朝、通勤途中通り過ぎたらとうとう解体が始まる気配でした。まだ重機が到着して玄関が開け放たれた状態でしたが、おそらく夜戻ったらあの建物はないんでしょう。幼い頃から見慣れたおうちだけに寂しいですね。
( 2011年01月24日 15:28 [Edit] )
chuunya | URL | n3C3tgxw
解体が始まりますか
先週でしたか、久しぶりに北田辺・開高邸を見に行ったときは、まだそのままでしたが、本日、解体始まるとのお話。何事も唐突に始まるものですね。
解体されることは、分かっていたはずなのに、やはりショックです。
明日、時間があれば、解体後の土地を見に行きます。
あの土地には、開高さん若かりし日の記憶が染みついているはずですからね。
情報ありがとうございます。
( 2011年01月24日 16:03 [Edit] )
どらごんますたー | URL | l8TdN4kk
まだお家は形を残していました
さっき仕事帰りに通ったらまだ解体はされておらず、向かって右側に足場のようなものが組まれ、ブルーシートが張られていました。隣のお家への養生でしょうか。表札も外されていましたので、明日にも本格的に工事が始まりそうです。
( 2011年01月24日 22:15 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
どらごんますたーさん
ご報告ありがとうございます。
早速、twitterでツイートしました。
私のまわりの関係者には伝わったようです。
いつの間にか更地になってしまうのは寂しいものです。
明日、最後の見納めに行かれる方もいると思います。
ご報告、感謝です!
chuunyaさん
解体は残念ですね。
でも、関係者の方々の保存運動には頭が下がります。
最後の見納め、よろしくです!
( 2011年01月24日 22:30 [Edit] )
コメントの投稿